こんにちは!
今回は、156㎝の小柄ながらも輝くオーラのせいか大きな身長に見える、大女優であり、昭和を体表する大スターの浅丘ルリ子さんについて紹介いたします。
緑色の洋服が好みで帰国子女の浅丘さんの「生い立ちと出身校や学歴」・「実家のご家族」について、「ご結婚後のご家族」と現在の浅丘さんをお伝えしていますので、最後までお付き合いくださいませ♪
目次
浅丘ルリ子の生い立ちと出身校や学歴

出典:https://twitter.com/syowa40stvdrama
浅丘ルリ子の中国人説
浅丘ルリ子さんを検索すると「中国人」のキーワードが出て来ます。
何故、浅丘さんを「中国人」と検索をするのか?と思った私は調べてみるとこれかな?と思うことが2つありました。
浅丘ルリ子の中国人説1:生れた土地
浅丘さんは、満州国新京市・今の中華人民共和国 長春市生まれなので、その生れた国から中国人と検索されるのかと思うのが一つ目。
浅丘ルリ子の中学人説2:両親の結婚
浅丘さんのご両親は、満州で知り合いご結婚されたことで検索されるのかと思うのが二つ目。
参考元:浅丘ルリ子Wikipedia・キネマ共和国・mens-modern・myfavoritetopics・ほか
浅丘ルリ子のハーフ説

出典:https://twitter.com/pipipi43217
浅丘ルリ子さんがハーフではないかと思って検索をする方がいらっしゃるようです。
多分、「Japanese Chinese」のハーフかと思っていらっしゃるのでないでしょうか?
彼女の若い頃の日本人離れしたお顔立ちや瞳の色が関係して検索をされるのかと思った私。
瞳の色が時々変る体質のなようで、「愛の化石」のレコードのジャケットに写っている彼女の瞳は緑色。
その当時にはカラコンがないと思われますので、やはり瞳の色がかわるのだと思います。
後、可能性があるとしたら、彼女の母親のお名前も関係するのかと。
彼女の母親が「ちょう」さんというお名前で、日本人らしい響きでないからかもしれません。
彼女が日本人なのか「Japanese Chinese」のハーフなのかは、結局分らずじまいでしたが、浅丘さんは母親や姉妹のどなたにも似ていないそうですよ。

参考元:PASONICA JP・mens-modern・myfavoritetopics・Amebablog・ほか
浅丘ルリ子の住まいからみる生い立ち

出典:https://twitter.com/ryochikun22
浅丘ルリ子の生れ~小学低学年時代
先の浅丘ルリ子の中国人説1:生れた土地でお伝えしましたが、浅丘さんは、父親の仕事の関係で1940年7月2日に満州国でお生まれになり、誕生された3年後(1943年)にはタイのバンコクへ一家で引越しをしました。
そして、そのバンコクで終戦を迎えることに。
終戦を迎えた後は、タイに流れるのメナム川(チャオプラヤー川)岸辺にあったパンパートン抑留所へ強制収容されてしまい、この収容所での生活が1年。
翌年の1946年に引き揚げが始まり命からがら帰国したそうです。
帰国後は、茨城県の大洗港(おおあらいこう)の近くに住む親戚を頼り、その後は、千葉県の館山(たてやま)の引き揚げ寮へ入寮し生活をしていて、その頃の父親は、「代議士秘書」と「醸造会社の工場長」のWワークをして頑張って働いていましたが、ストレスと過労で体を壊してしまい神田に引越しをすることになりましたが・・・。
浅丘ルリ子の小学中学年から卒業まで
ガード下には人生がある。この小さなガード下の飲み屋街は今も健在。戦後の時代を今に伝える。角の家はかつてあの浅丘ルリ子さんが幼少の頃家族と過ごした家。まだ間に合う、今会いに行ける昭和。 pic.twitter.com/yzpOaISnVM
— 突撃人生 (@kennyhorie) July 8, 2017
東京神田鍛冶町の借家に住むことになった浅丘さん一家でしたが、そこはガード下(高架下)の今川小路で当時の生活は大変貧しかったそうです。
生活を支えるために自宅でジャン荘「五月荘」を営んだり、母親が毛布を裁断し染めることに依ってコートに仕立ててくれたりと工夫をしながら日々を過ごしていたようです。
神田には映画館がたくさんあったことで、妹さんを連れて時代劇や西部劇を見に行っていたとか。

近所の素敵なお姉さんの弟さんが初恋の相手なんだって♡

この頃の彼女は、美空ひばりさんに憧れていて歌になりたかったみたい♪
参考元:浅丘ルリ子Wikipedia・Yahoo!ニュース2021年5月18日配信・wagonnavi・NEWSポストセブン・エルペディア・PASONICA JP
浅丘ルリ子の中学時代

出典:https://twitter.com/mikarin910airi
浅丘ルリ子の出身中学校:千代田区立今川中学校
1954年の夏、『緑はるかに』の映画化するに当たって、ヒロインのルリコ役を募集しているのを知った浅丘さんは、応募し、約3,000人の中から選ばれ芸能界デビューをすることに。
その後は、日活の看板女優になり約160本くらいの映画に出演し、ご自宅は神田から日活のスタジオに近い調布に大きな屋敷を建て住むことになり、住み始めるとそのご自宅に、「石原裕次郎さん」・「小林旭さん」・「二谷英明さん」・「宍戸錠さん」・「高橋英樹さん」などの日活俳優が出入りして合宿上のとようなにぎわいだったとか。

日活の若手俳優などの面倒を見ていた時は、ギャラをもらってもその飲食に充ててお金は全然残らなかった浅丘さん♪

浅丘さんのいとこと同級生の高橋英樹さんは、しょっちゅう泊まりに来ていたとか♪
参考元:PASONICA JP・浅丘ルリ子Wikipedia・Yahoo!ニュース2021年5月18日配信・毎日が発見ネット・ほか
浅丘ルリ子の学歴
浅丘ルリ子が進学した高校:旧・菊華高等学校(現・杉並学院高等学校)
浅丘ルリ子のWikipediaによると、高校に進学したものの多忙のため中退しているとのことです。
それが正しければ、浅丘さんの学歴は中卒。
■咲きつづける 女優浅丘ルリ子
■私は女優
■RURIKO (角川文庫)
■女優 浅丘ルリ子

次のページからは、浅丘ルリ子さんのご実家の家族についてや結婚後の家族のことなどを紹介しています♪
因みに、浅丘さんは、庭的な中華料理を作るのが得意みたいよ♪