男子バレーボール選手で大活躍をしているクォーターの高橋藍選手は2001年9月2日に京都市で生れ、18歳だった2020年に日本代表に初選出されました。
188㎝の高橋選手のポジションはアウトサイドヒッターですが、リベロもバッチリなオールラウンダー的な選手。
そんな高橋選手の生い立ちを「高橋藍の名前は野球由来!生い立ちと出身校やエピソードをまとめて紹介!」と題して、お伝えします。
因みに、高橋の苗字の「高」は”はしごだか”の「髙」だそうですよ。
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高橋藍のプロフィールや名前の由来

高橋藍のプロフィール
名前:高橋藍(たかはし らん)
本名:髙橋藍(「高」は正しくは「はしご高」)
生年月日:2001年9月2日
年齢:21歳(2023年3月時点)
血液型:O型
出身:京都市
身長:188cm
体重:72㎏
最高到達点:343㎝
ポジション:OH(アウトサイドヒッター)
好きなマンガ:ONE PIECE
お金:バンバン使う派で欲しい物は全部買う
高橋藍の名前は野球由来
高橋選手の父親が高校球児だったこともあり、高橋選手の「藍」はホームランの「ラン」から、そして、母親は日本人と米国人のハーフであることから、海外でも名前が呼びやすい名前をと思っていたことから「ラン」で命名されたようです。
フォトエッセイ「高橋藍 カラフルデイズ」
高橋藍小学時代は専用練習場で練習

出典:高橋塁Instagram
高橋藍はハーフではなくクォーター
先にお伝えしましたが、高橋い選手はハーフではなくて、クォーターだそうです。
イケメンは母親に似たようで、母親はアメリカ人と日本人のハーフなんだとか。
母親の血統にはイギリスとドイツの血も混ざっているとのこと。
詳しくは、当サイトの「高橋選手の実家の家族」をご覧くださいませ。
高橋藍のバレーを始めたきっかけ
マシュー・アンダーソンの画像を英語でMatthew John Andersonと検索するよりも韓国語で매슈 존 앤더슨と検索した方が大量に出てきた^^さすが現代のエース!! pic.twitter.com/fB2q34pK
— 祝迫ゆみこ (@iwaizako10) November 29, 2011
高橋選手の小1当たりから、兄がバレーボールに興味を持ち、両親にバレーボールをしたいことを言っていたそうです。
始めの頃は、兄のそんな欲望をスルーをしていたご両親でしたが、兄は1年間くらい言い続けたことで「本気」だと分かり、バレーボールを始めることを許可したそうな。
高橋選手は、兄の練習や試合について行くことが多く、あるの日の練習し合いの時に兄が所属しているチームのメンバーが一人足りない状況になったことから、監督が「お前、試合に出ろ」と高橋選手に言ったことがきっかけになったとか。
プレーをしてみると楽しく、親の勧めもあってバレーボールを始めたそうです。
それは高橋選手の小2の頃のことで、この頃の高橋選手は、アメリカ代表のエースだったマシュー・アンダーソン選手を憧れていたそうですよ。
高橋藍の小学時代はリベロ

高橋藍 9歳
高橋選手が所属していたチームは、高橋選手の兄が得点源でした。
その当時の高橋選手は小柄だったため、動き回ってボールを拾ったり、レシーブ力を養ったりしていたんだとか。
セッターの特訓を受けたこともあったそうですが、監督にリベロとどっちがいいかと聞かれた時に、高橋選手は「リベロいい」と答えたそうです。
チームの練習のほかでは、学校から帰宅してすぐ兄に連れられ自宅近くの公園に行って鉄棒をネット代わりに、自分たちで線を引いたコートを”専用練習場”にして練習したそうな。
それは日が暮れるまで”ひたすら”だったそうです。
身長が伸びると、鉄棒から公園の木と木の間にゴムで張ったネットを練習場所にして、更にひたすらに対人練習をしていたそうな。
兄はこの公園を「俺らが育った公園」と言っているんだとか。
高橋藍が憧れた選手は石川祐希

出典:集英社スポルティーバ@webSportiva
高橋選手の小6の時に、石川選手が春高で優勝しエースとして活躍する姿を見たことがきっかけで憧れたようです。
「自分が高校生になったこんなプレイがしたい」と思ったとか。
高橋藍の小学校の卒業文集
2013年の高橋選手が小6の時に東京五輪の開催が決定。
「東京五輪出場」の夢は一時期、リベロとしてかなえようと思っていた高橋選手でしたが、東京五輪が開催されるはずだった2020年の夏は18歳の高橋選手だったため、その当時は「ちょっと厳しいかな」という思いもあったとか。
卒業文集には「ニッポンチャチャチャ。ニッポンチャチャチャ。目を開けると、東京オリンピック、バレーボールの会場にいる」と綴り、目標に変更はなく、ひたすら努力を重ねた高橋選手。
それから8年後には有言実行にした”まさに男前な高橋選手”でした!!
小学2年:兄の影響でバレーを始め、レシバーとして練習をしていた。
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小学4年:スパイカーの練習を開始
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小5年:兄が中学に進学したことで、自分が何のためにバレーボールをしているのか分らなくなった高橋選手でした。
不安定になった高橋選手を、チームの監督や両親が支えてくれ、「スポーツは絶対にやりなさい」と強く背中を押してくれた両親だったそうな。
このことがバレーボール人生のターニングポイントになったようです。
↓
小6年:東京オリンピックが決定したことで、目標を東京オリンピック出場に定め、湧き上がる熱い思いを卒業文集に綴った高橋選手でした。
高橋藍の中学時代はリベロを経験

出典:https://youtu.be/m9RZ_YXQS-s
自宅から徒歩で10分以内にある京都市立蜂ヶ岡中学校に進学をした高橋選手。
中一で身長は約158㎝で、中学時代は年に1~2㎝ほどしか身長が伸びなく、かなり心配していた高橋選手だったそうな。
身長を伸ばす為、たくさん食べて、毎日21時には就寝していたそうですよ。
中一の時のポジションはリベロ。
2歳年上のエースの兄が中学を卒業すると、スパイカーに。
身長が低かった高橋選手は、高さがない分小技を身につけ、更にレシーブに磨きをかけバレーボール選手としての土台作りをしたようです。
中学時代の高橋選手は、3年連続で全日本中学校選手権に出場しました。
「中1の2014年は2位」で、「中2の2015年には優勝」を経験し、「中3の2016年は2位」という成績でした。
先にお伝えしましたが、中一はリベロで、中二と中三はスパイカーとして出場していた高橋選手であったことを念のためここでもお伝えします。
高橋 藍 ファースト写真集 RAN
高橋藍の高校時代の勝負飯はハンバーグ

出典:高橋塁Instagram
兄と同じ男子校を選び、片道徒歩で約2時間、電車では約1時間かかる東山高校に進学をした高橋選手でした。
京都の男子校のレベルが高かった為、2学年上の兄は大塚達宣選手がいた洛南の壁に阻まれ春高の舞台に立つことがなく卒業。
高橋選手が3年の時には、あれよあれよと言う間に全国制覇まで果たしました。
高校の時の勝負飯は、母親が作ったハンバーグだったとか。
高橋選手曰く、「お母さんが作るハンバーグが一番美味しい」とのこと。
ポジティブで元気ハツラツって感じの高橋選手ですが、高2まではネガティブシンキングだったそうな。
「自分に自信がなくて、めちゃめちゃ緊張しいで、試合前にオエッとなるほど」だったとインタビューで当時の様子を明かしていた高橋選手で、高2の時に悩んで悩んだ末に出て来た言葉が「世界の中で考えたらオレのこんな緊張なんてちっぽけ」だったとか。
それからは、何でもポジティブに考えるようになったそうです♪
高橋藍のバレーボール人生においてのキーマンは松永理生
Vリーグのパナソニックでプレーし、日本代表に選ばれた経歴も持つ松永理生氏が現役を引退してからは、石川祐希選手の指導し、高橋選手も指導することに。
高橋選手が高校2年の時、石川選手の所属する中央大学で監督をしていた松永監督が月1〜2度指導してくれることに。
そして、高橋選手が3年のときには、東山高校のコーチに正式に就任したことで、高橋選手や東山バレー部の練習方法に変化がありました。
松永監督が月1〜2度指導に来ていた時から、「石川選手は、どのような練習をしてたんですか?」・「ビック(バックアタック)ってどう打つんですか?」・「この練習は石川さんもやっていたんですか?」などなどと松永監督に石川選手についての質問をしまくり、石川選手と同じ練習、トレーニングにしてもらったとか。
松永監督は石川選手と高橋選手の違いを「石川は、やりたいプレーを頭で想像できて、体現してしまう天才。高橋の場合は見本を吸収する。教科書があれば、コピーして自分のものにしていく。タイプは全く違う」と表現していたようです。
そして、二人の選手に共通することは、”努力と貪欲”だそうで、「もうそろそろ、練習やめたら?」松永氏は2人に対し共通の言葉をかけていたそうな。
松永監督から「セリエAの会場での雰囲気は経験したほうがいい」と聞いたことから海外でプレーをしてみたという気持ちが芽生えたそうです。
2017年:インターハイベスト16
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2018年:インターハイ京都予選準優勝
近畿大会準優勝
全日本高校選手権京都府大会準優勝
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2019年:インターハイベスト4
国民体育大会京都代表優勝
全日本高校選手権京都府大会優勝
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2020年1月:全日本バレーボール高等学校選手権優勝
※シニアの日本代表初選出
※一番レベルの高い全日本代表選手
バレーボールでは『シニア』下に『ユース』代表があり、大学生や高校生の選抜選手が国際大会を戦っていて、その選手らが学校を卒業後『シニア』と呼ばれるクラスに移行します。

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