石川祐希の小学・中学・高校・大学時代は?恩師の画像を交えて紹介!

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石川祐希を育てた恩師小学校時代~高校時代

 

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バレーボール・石川祐希選手のPOWERフレーズは…(POWERフレーズ2017.8.13OA) 「今ある事が当たり前じゃない」 高校時代からエースでキャプテンとしてその才能を発揮していましたが、後輩の不注意で練習場の電気が使えなくなったことがありました。そんな時、声をかけたのは星城高校バレー部の竹内監督。 この言葉で道具や環境のありがたさを改めて感じた石川選手。それ以来、1つ1つのプレーも大切にするようになり、18歳の時、当時史上最年少で全日本入りを果たしました。 * 「勝負どころは人間性が出るって言われているので、感謝しながらプレーすることによってプレーにも影響してきたかなと思いますね」 石川君。 以前から感謝という言葉 よく言ってて。 そして…’今’… 今だからこその 感謝の思い。 メッセージにも込められている感謝の気持ちが彼の強さに繋がってる.. そう思ってます。💪🏻 大歓声の中、プレーする石川君が恋しいし、その日が楽しみで仕方ありません🥺 皆で頑張る気持ちを、ありがとう… #石川祐希 #kanshano_kimochi

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石川祐希選手の小学生時代・中学生時代や高校時代はどんな選手だったのでしょう?
各時代の恩師が当時の石川選手の思い出などをインタビューで答えていましたので、お伝えしますね。

 

石川祐希の小学校時代の恩師は樹神直也

引用元:https://www.youtube.com/watch?v=tkqKBHsC5eg

 

↑ 上の画像は、石川祐希選手が小学校時代にお世話になった樹神 直也(こだま なおや)先生です。
(樹神先生は2014年時点は六ツ実南部小で勤務されています)

石川祐希選手で一番に思い出すことは、「遊びの天才」だったということでした。
どんな場所にいても、遊びを見つけては楽しむ石川選手だったらしく、バレーボールでもみられたそうです。

石川選手のお母さん・みどりさんは兄弟の中で一番走るのが遅かったとインタビューで答えていましたが、樹神氏は「運動ができる子」と学校で知られていたと当時を語っていました。
走るのがとくかく速く、バレーボールも持って生まれた運動神経の良さからか、めきめき上達していったとのことです。

バレーボールで印象に残っていることは、アタックの練習でも楽しんでやっていて、ジャンプ力があるからブロックされてもその上からバンバン打っていたそうです。
石川選手が活躍しているのをみると、当時の石川選手のプレーを思い出すそうですよ。

石川選手って優しい感じがしませんか?
優しさがにじみ出ているような・・・

石川選手の姉・尚美さんと同じく、石川選手の優しくて面倒見が良い子だったそうです。

母・みどりさんの思い出に残っていることは、1度だけお弁当をゴミ箱に捨てられたことでした。
その時、何が気に入らなかったのか・・・とその理由が今だに分からないようです。

小学校時代の石川選手は部活が終わったら家でテレビゲームをしたり、塾に行ったりしている普通の小学生だったとお母さんは仰っていました。

 

石川祐希の活躍の予言は小学校時代にされていた!?

 

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. . この度、日本代表選手に選出され、大変光栄でとても嬉しく思います。 今年は、非常に重要な代表シーズンになるので結果にこだわり、最高のパフォーマンスを発揮できるように準備していきます。 代表チームへの合流は遅れますが、まずはここイタリアで個人としてどれだけの結果が残せるか、どれだけレベルアップできるかに集中して、今シーズン残り6試合とプレーオフを全力で戦います。そして、少しでも良い結果を持って日本に帰り、皆さんの前でプレーできることを心から楽しみにしています。

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樹神氏が先見の明があると言っているのは、比叡平のクラブの監督が言っていた言葉でした。

「(石川選手)本領を発揮するのは高校以降だ!」と言っていたそうです。

その当時の石川選手は、試合の度に熱が出たり、小さなトラブルがあったりしていたそうですが、そんな石川選手と関わっていながらある意味「石川予言」をしていたのでした。
樹神氏はその予言?を今になっては面白いと答えていました。

樹神氏が思う石川選手は「顔に出さないタイプ」でして、注目を浴びている石川選手のことを精神的にも体力的にも無理をしていないか心配されています。

 

石川祐希の中学校時代の恩師は淺井貞人


引用元:https://www.youtube.com/watch?v=Hzat860Kr90
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=XTD6RZvMzEQ

 

↑ 上の画像は石川選手の中学校時代の恩師・淺井貞人(あさい さだと)氏です。
(淺井先生は2014年時点で六ツ実中で勤務されています)

淺井監督が石川選手を見た時の第一印象は「ちっちゃいな~」でした。
その頃の石川選手はバレーボール選手としては小柄な方でしたが、中学2年生あたりからグングン伸び始めたそうです。

 


引用元:https://www.youtube.com/watch?v=XTD6RZvMzEQ

↑ この画像は、「第24回JOC ジュニアオリンピックカップ」のモノでして、石川選手は向かって右・ユニフォームの番号が「4」です。

この頃の石川選手の身長が「181㎝」・・・おぉ~伸びていますね!!

この画像で注目をして頂きたいのは、石川選手の腕の長さです。
隣の選手と身長差があるに、腕の長さはほぼ一緒だと思ったのです。
私の目の錯覚かしら・・・?

しかし、石川選手の笑顔って最高!
こんな素敵な笑顔を向けられたら、瞬間にキュン死にしてしまいそう♪

「オレのことを忘れないで」と仰る淺井氏ですが、石川選手に考えさせる指導がマッチしたらしく、”うまくなりたい”・”強くなりたい”という気持ちが生まれたそうです。
この時代にコートの角やインナーにイスを置いて狙う練習を石川選手自ら考え始めたそうです。

 

石川選手が泣いたエピソード

そのエピソードは秋の新人戦の公式試合の時。
淺井氏曰く、相当痛かったんでしょうね・・・

 

ん?石川選手が泣いたって?!

 

何故、石川選手が泣いたかと云いますと、捻挫をしたためテーピングを淺井氏がしてあげたそうです。
淺井氏は「捻挫が痛いんだ」と思っていたのですが、石川選手は淺井氏にしてもらったテーピングが痛くて泣いていたそうです。

石川選手と淺井氏が会ったとき、石川選手が「本当に痛かった」と言っていたとのこと。
記憶に強く残っているのですから、やはりマジで凄く痛かったのでしょう。

それでもそんな状態でプレーしていたのか!と思うと、ただ者ではない感がムンムンですね!!
ただ者ではない天才なのですけど・・・。

 

石川選手のお母さんの思い出で、石川選手が弱音を吐いたのは1度だけで、中3の全日本中学選抜ぼ合宿から帰ってきた時でした。
後は自分で解決してしまう石川選手だそうです。

 

石川祐希の高校時代の恩師は竹内裕幸氏


引用元:https://www.youtube.com/watch?v=tkqKBHsC5eg

 

↑ の画像は、石川選手の高校時代の恩師・竹内裕幸監督です。
石川選手にとって竹内監督と過ごした時間は大きかったらしく、プレイヤーとしても、人間性も磨かれたと思っているとのこと。
非常に感謝している監督なのでした。

石川祐希選手の高校時代の石川選手のことやエピソードなどのことをインタビューで答えていました。
そのインタビューで竹内監督がお答えになったことをパッと読みやすくまとめてみました。

 

石川選手の高校時代

■バレーボール以外では、自分の気配を消していた

■女の子と話が出来ない

■優しさとか柔らかさとかを持った男の子という存在と、バレーボールのスイッチが入った時のギャップが本当に激しい子だった

 

石川祐希高校時代のエピソード

■バレーボール部の練習を公開した時に、女の子たちが大勢・・・体育館に入れないくらい集まってパニックになったことがあったそうです。

 

竹内監督が石川選手に伝えたいこと

■楽しんでほしい・・・今は勝ちたいとか、みんなを引っ張っらなくてはとか、責任感が生まれることによって「楽しい」言葉の数が減っているように感じるので、日本のチームとして楽しみながらという部分を彼には持ち続けて欲しいな~と思っているそうです。

高校時代の石川選手は、人気も実力も凄かった!!

 

石川祐希の高校時代の食事やおやつ

高校に入ってから食事に対する意識が高まったとか・・・
必ず生野菜を食べたい」とお母さんにリクエストしたそうです。

・サラダを食べる時のドレッシングは「青じそドレッシング

・飲み物は、「オレンジジュース」・「野菜ジュース」と「牛乳」が常に冷蔵庫に入っていて、石川選手が飲みたいときに飲んでのことです。

・朝食は、食パンにブルーベリージャムを塗って食べていたそうです。

・石川選手が買って食べていたおやつは、「あんころ餅」・「どら焼き」など。
シュークリームを買った時のことが紹介されたことがありますが、お母さん曰く、たまたま買っただけとのことですよ。

 

石川祐希の大学時代

恩師を調べていても、石川選手の大学時代の恩師が出ていませんでした。
ここでは、大学時代の恩師の紹介ではなく、石川選手のキャンパスライフをお伝えすることにしました。

石川選手の大学時代は3そくのわらじ状態で、大学・大学のバレー・イタリアでのバレーと超多忙なキャンパスライフを過ごしていました。

大学バレーでは、石川選手のあまりにもすごい人気のために、6日間無観客試合になったことがあります。
その時の石川選手は複雑な気持ちで少し寂しい気持ちがあったが、試合には集中できたのでした。

 

石川祐希イタリアでの生活

・一人暮らし

・プライベートはものぐさ

・日本の栄養士からアドバイスをもらって自炊している

・積極的にコミュニケーションをとってる

イタリア語の勉強は、イタリアに行ってから勉強をし始めたそうです。

 

イタリア留学の洗礼~大学3年・2回目のイタリア~

試合直前、監督からリベロで出場と云われたのでした。

それはリベロの選手がケガをしたため、石川選手が急きょ代役で出場させられることになったのでした。
Vリーグではありえないことでしたが、石川選手はいつもしていないポジションだったこともあり不安になったそうです。
ですが、その不安の心を追い出しのでしょう「やるしかない」と思ってプレーをした石川選手でした。

悔しかったそうですよ!
ですが、リベロの派時ションの役割を改めて知ったとインナビューで答えていました。

日本のエースがリベロ?!!と思いませんか?

 

日本のプライベートではまったく動かないことから「ナメクジ」みたいな人と言われている(笑)こともお伝えしておきますね

 

くまこちゃん

次のページからは、石川選手のビクトリーアイテム」・「石川選手のアルバム」などを紹介しています♫

 

 




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こんにちは! あんびと申します。 犬が好きすぎて数頭のわんこを保護し、 ペット看護師の資格とペットセラピストの資格も取得して、 犬のために生きているような日々を過ごしているおばちゃんです。 こんな私ですが、よろしくお願いします。