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山村宏太の小3から始め3度五輪に挑戦したバレーの歩みや引退後をまとめて紹介!

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ヤマコフ205の愛称で親しまれていた、ミドルブロッカーがポジションだった山村宏太(やまむら こうた)元選手。

”ヤマコフ”って?と思った方も多いかと・・・。

齋藤信治元バレーボール選手の「ノブコフ205」からもじった愛称なんだとか。

”ノブ”や”ヤマ”はお名前から取り、”コフ”はロシア語で「強い」という意味なんだとか。

齋藤信治元選手や山村宏太元選手の205㎝の身長から”205”と付けたようです。

因みに、父親は182㎝で母親は168㎝だそうですので、ご家族全員で高身長のようです。

そして、2007年にご結婚した奥様は153㎝で、その身長差は52㎝なんだって。

現在の家族は、ご本人・妻・7歳長男・5歳次男の構成の4人家族。

では、「山村宏太の小3から始め3度五輪に挑戦したバレーの歩みや引退後をまとめて紹介!」と題しましてお伝えいたします。

この記事でお伝えしていることは執筆時のものであり、現在では異なる場合がありますのであらかじめご了承の上、お読みくださいませ(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
また、情報に誤りがあった場合など、ご指摘いただけると幸いです。




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山村宏太のプロフィール

出典:わっほいタンク@wahhoitankjapan

生年月日:1980年10月20日

年齢:42歳(2023年6月時点)

出身地:東京都東村山市

身長:205cm

体重 90kg

血液型:O

利き手:右

最終学歴:筑波大学

趣味: 読書、ゲーム、映画鑑賞

尊敬する人: 父

好きな食べ物: 果物

嫌いな食べ物: 海老、蟹

口癖は: 楽しくやろう!

五輪挑戦:2004年アテネ・2008年北京・2012年ロンドン

選手時代に所属していたチーム:サントリーサンバーズ

全日本代表 -:2002年-2013年

現在の所属チーム:サントリーサンバーズ

役職:監督

ポジション:MB

指高:265cm

最高到達点:352cm

山村宏太の生い立ちやバレーの歩み

出典:
RIE@HARUKI7ASAHI8

山村宏太のたくさんの習い事をしていた幼少期からバレーを始めた小学時代

山村選手の父親の仕事の都合で、米国のカリフォルニア州で生れたそうです。

ご誕生時は、身長55㎝の体重4300㌘の大きな赤ちゃんで、2歳に帰国し群馬に住んでいたんだとか。

体を動かすのが好きで、3歳から水泳・サッカーや陸上といろんなスポーツをしていた山村元選手。

スポーツだけではなく、ご自身からお願いしてピアノ・習字・カルタなどの習い事もしていたそうです。

小学3年の終わり頃に、近所の友達がスポーツ少年団でバレーを習っていて、その教室に着いて行ったこときっかけでバレーを始めたそうですが、数年後に東京へ引っ越すことになったんだとか。

東京の引越し先にはバレーチームがなかった事から小6の一年間はバレーができなかったそうです。

この時代は、牛乳を日に1リットル飲んでいて、おやつは煮干しを食べていたそうです。

そして、卒業する頃身長は167㎝だったんだとか。

山村宏太の部員が足りなかった中学時代

中学に進学するとバレー部に入部したそうですが、部員が足りなくて廃部の危機にさらされていたそうです。

時には一人打っていることも・・・。

就学3年の時の身長は190㎝オーバーになっていたそうですよ。

山村宏太の無名だった高校時代

マンガの「ブラックジャック」に影響され医師になることを目標だったの山村元選手は、進学校の錦城高校に進学しました。

バレーをするつもりはなかったのですが、誘われて入部することにしたそうです。

高校の時代もほぼ一人で打ってるような感じだったそうで、最高成績は都のベスト8。

進学先はバレーの強豪校ではなかったのですが、バレー関係者の目に留まり2年の時に高校選抜の選考合宿に参加する事になり、3年の時は、高校選抜の選出され中国遠征にも参加したそうです。

進学校だったからか、段々と勉強が追いつかなくなっていて周囲との差を感じていた山村元選手。

そんな時に筑波大学からバレーボール選手としてお声がけがあったんだとか。

他校からもお声がけがあったそうですが、山村元選手は「国立大学に行きたい」と思っていたので、筑波大学に進学することを決めたそうです。

山村宏太の恩師に出逢った大学時代

推薦で筑波大学に進学した山村元選手でした。

学部は体育専門学群で、バレーボール研究室に所属し、部活動はもちろんバレー部に入部したのでした。

当時のお住まいは春日4丁目で、”あさひ屋”が行きつけのお店だったのです。

バレー部に入部するとすぐミドルブロッカーとしてレギュラーでのご活躍でしたが、当の本人は、”ゴリゴリの体育会系の中でバレーをやってきていない”ので、最初の頃は「筑波大学に入学して、失敗したなぁ」と思っていたんだとか。

当時の山村選手は、大学のバレー部員のレベルに全然追いついていなかったのですが、当時のバレー部の監督の都澤凡夫氏が山村元選手を”育てる”気持ちで、ちょっとずつハードルを高くしていくというご指導だったそうですよ。

そんな山村元選手は、、4年連続インカレ優勝を経験し、4大学年時になるとキャプテンとしてチームに貢献。

また、2002年に日本代表に初選出し、その後もずっと代表としてもご活躍されたのでした。

因みに、バレーで生きて行こうと思ったのは、大学3年の全日本インカレが終わった前後だそうで、その頃から少しずつ自信を持てるようになったんだとか。

この時代の監督・都澤凡夫氏は2015年に他界されたそうですが、山村元選手は今でもこの監督に教えが頭の片隅にあり、今でも尊敬しているそうです。

山村元選手がキャプテンになってからこの監督が陰で一人一人の選手の事を考えていることが分かり、それ以降ずっと尊敬しているんだとか。

この監督の教えの一つ中国の故事にある「画竜点睛」は、大事な試合前には必ず実践していたそうですよ。

山村宏太のアスリート時代/サントリーサンバーズ (2003-2017年)

出典:ぶびにゅー@bucko0615

大学を卒業した後は、サントリーサンバーズに入団した山村元選手でしたが、同時に日本代表としてもご活躍されたのでした。

23歳の時にでアテネ五輪最終予選に出場した時は、五輪がどういうものかも分からないまま、緊張感に押しつぶされそうになっていたそうです。

そして、アテネ五輪を逃して初めて、”日本代表”という責任の重さに気付かされたとのこと。

その後も日本代表で活躍していくうちに自信が生れてきたんだとか。

2012年のロンドン五輪の出場を逃した頃、サンバースの主将に就任しましたが1年で退任となりったことで、モチベーションが下がり、家族に「バレーを辞めたい」と言うようになったそうです。

ですが、バレーボール教室で子供たちに指導している中で”バレー好き”を再確認することとなり、そして意識も変化して「自分が好きな競技で飯を食わせてもらってるだけで幸せで、残りの競技人生を楽しんだもん勝ちだ」と思ったんだとか。

山村元選手曰く、「バレー史の暗黒時代」だったとのこと。

そして2013年には日本代表の主将を1年間お務めされ、12017年5月に黒鷲旗限りで現役を引退し、サンバースコーチに就任した山村元選手でした。

山本幸太の引退後はコーチから監督に

勇退後は、サンバースコーチに就任し、2018年8月からイタリアでJOCのスポーツ指導者海外研修員としてイタリアで研修を1年間行い、そして2020年6月に監督に昇格。

監督就任した2020-21シーズンに、チームをリーグ優勝に導き、ご自身も優秀監督賞を受賞!

そして、次のシーズンもリーグ優勝に導き連覇を達成し名監督になったのでした。

現在は監督の山村氏ですが、若手の励みをリスペクトする監督だそうで、当時学生だった大塚達宣選手とエバデダン・ラリー選手が感激するほどなんだとか。

その他には、、サントリーの監督に就任したばかりの山村氏は、キャプテンに大宅真樹選手を指名し、大宅選手は承諾したものの・チームが始動する日のスタートアップミーティングをエスケープしてしまったのでした。

エスケープした後、山村監督は謝罪する大宅選手を許し、「人を裏切るぐらいなら、裏切られろ」と言葉を最後にかけたそうです。

 

この誉れ高い監督のご活躍はまだまだ続く。

2023年のネーションズリーグの解説者としてもご活躍されていたので、今後も解説者の山村氏として拝見できるかもですね。

今回はこれでおしまいにしますが、追記があった場合はそっといたします。

お付き合いを頂き、ありがとうございました。

この記事の参考元:Yahoo!知恵袋・つくばウェイ2016/04/06・27thサントリーカップニュース・JOC・サントリーサンバーズ・まちっと北摂2022年8月18日・スポーツナビ2007年10月27日・日刊スポーツ・HMV&BOOKS online・当サイト記事「大宅真樹の生い立ちは?心が折れたりエスケープしたバレーの歩みやエピソードもまとめて紹介!」・ほか

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こんにちは! あんびと申します。 犬が好きすぎて数頭のわんこを保護し、 ペット看護師の資格とペットセラピストの資格も取得して、 犬のために生きているような日々を過ごしているおばちゃんです。 こんな私ですが、よろしくお願いします。