目次
草笛光子の実家の家族
草笛光子の実家の家族構成
太平洋戦争前は、両親・妹二人・弟一人と草笛さんの構成の6人家族でしたが、戦後は妹さんがお一人他界されたので、5人家族となったようです。
草笛光子の実家の家族
草笛光子の父親は冨田智
草笛さんの父親の名前は、冨田智氏で横浜で育ったそうです。
草笛さんが幼い頃は、は三菱重工業の造船所に勤めていいたとか。
資格を取るのが好きな父親で、不動産関係をはじめさまざまな免許を持っていたそうですが、戦後で造船所の職を失い、次の就職にはそれらの資格はなんの役にも立たなかったみたい。
一緒に野球を見に行ったこともあったそうよ♬
参考元:日本経済新聞・PASONICA JPN・myfavoritetopics・ほか
草笛光子の母親は富田登美恵
草笛さんの母親の名前は、富田登美恵さん。
草笛さんを16歳で産んだそうです。
草笛さんの父親は終戦に伴い失職し、その後様々な仕事を始めたものの、どれもうまくいかなかったため、母親が家計を支えようとし、横浜市内の桜木町に小さな洋裁店を開いたそうです。
草笛さんは、母親の手伝いをしお小遣いをもらっていて、そのお小遣いで松竹歌劇団の養成学校に通っていたとのこと。
その後、洋裁店を改造してバーを開いたら、松竹大船撮影所の監督さんや助監督さんたちなどが常連さんに。
そのなかには大島渚氏や後に高橋治氏もいたとか。
そのその後は、草笛さんがデビューしたため、彼女のマネージャーになった母親でした。
母親は、約30年年間草笛さんのマネージャーを務め、92歳で他界されました。
時は、草笛さんがテレビ出演する際の衣装も手作りしていたそうですよ。
草笛さんの幼少期は、母親から”しんくろ”と呼ばれていたんだって。
肌が黒くて、芯から黒いって意味みたい。
草笛さんは、母親との約束『きれいに生きましょう』を守っているそうです。
この約束は、見た目の美しさではなく、汚い生き方をしないということだとか。
母親は、草笛さんには女医になって欲しかったみたいね。
参考元:日本経済新聞・PASONICA JPN・ginzamaginterview/19 Nov 2021・maison.kose.20180403・ハルメクweb2021/09/28・ほか
草笛光子の妹は富田恵子
富田家の第二子の妹は富田恵子さんで、女優をしています。
別名義:富田 恵子(旧芸名)
生年月日:1937年1月1日
年齢:85歳(執筆時)
出身地: 神奈川県横浜市神奈川区
身長:154 cm
事務所:青年座映画放送
引用元&参考元:冨田恵子Wikipedia
草笛光子の二番目の妹
富田家の第三子の妹は、終戦後、疎開先の富岡で赤痢で他界したそうです。
草笛光子の弟は富田直幹
富田家の第四子は男子で、お名前は富田直幹氏。
草笛さんより11歳~12歳年下だそうで、1924年に日本で創始された占星術である気学を専門とし、九星気学を伝承する「妙気会」の会主だそうです。
参考元:PASONICA JPN・KINENOTE・koimousagi・asuneta・ほか
草笛光子の祖父母
草笛光子さんがお生まれになったのは1933年の10月。
場所は、母方のご実家で横浜市の斎藤分町でお生れになったそうです。
母方の祖父は栗田寅次郎
母は方の祖父のお名前は、栗田寅次郎氏で、水戸出身だそうです。
鉄道関係の仕事をしていた方で、町内会長を何年も務めていたとか。
性格は、太っ腹で小事にこだわらない人で古武士のような人だったそうですよ。
草笛さん曰く、「ユーモアがあって、いたずら好き。毎晩のように四角い火鉢の前でお酒をちびちび飲んでいた」とのこと。
参考元:日本経済新聞
母方の祖母は栗田ふみ
母方の祖母は、栗田ふみさん。
この祖母も水戸の方だったそうで、皇室にゆかりのある人のもとで礼儀作法を身に付けたあと、横浜に来て祖父に嫁いだんだそうです。
しっかり者の祖母だったそうですよ。
参考元:日本経済新聞
父方の祖母は富田はま
父方の祖母は富田はまさんで、お祭り好きな浜っ子だそうです。
はまさんの性格は、草笛さん曰く、「はっきり言うあけすけな人」とか。
草笛さんの母親はこの祖母に対しては好意的に思っていたようで、彼女の母親曰く、「口が悪いだけ」だそうな。
参考元:日本経済新聞
次のページからは、草笛光子さんの「結婚後の家族」→「現在」→「略歴」などを紹介しています♬
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草笛さんのお父さんは、船の進水式があると彼女を連れて行ってくれたんだとか。