そして、2022年1月3日に関田選手のSNSで入籍したことの報告がございました。
現時点ではお子様はいらっしゃらないようですので、妻と2人暮らしをしているようです。
更におめでたいことに2023年10月にパリ五輪行き切符を手にしました!
そんな関田選手のバレーの歩みを当サイト旧記事「関田誠大の経歴と学生時代の実力は?石川祐希と柳田将洋との関係も気になる!」を2023年5月に「関田誠大の小1で姉の影響で始め小3で二者一択でバレーを選んだ歩みを紹介!」と改めまして、記事をリニューアルしてお伝えいたします。
この記事でお伝えしていることは執筆時のものであり、現在では異なる場合がありますのであらかじめご了承の上、お読みくださいませ(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
また、情報に誤りがあった場合など、ご指摘いただけると幸いです。
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目次
関田誠大のプロフィール・学歴や所属歴と病歴

出典:公益財団法人日本バレーボール協会@JVA_Volleyball
関田誠大のプロフィール
生年月日:1993年11月20日
年齢:29歳(2023年5月時点)
出身地:東京都江東区
身長:175cm
体重:71kg
血液型:B
利き手:右
好きな食べ物:寿司でエンガワとサーモンが好み
嫌いな食べ物:癖のある肉やタイ米
お袋の味:ジャガイモのきんぴら
所属:ジェイテクトSTINGS(2023年5月時点)
愛称:ゴリポン・セキタ
ポジション:S(セッター)
指高 224cm
最高到達点:324cm
関田誠大の学歴
葛飾区立中之台小学校
↓
駿台学園中学校
↓
東洋高等学校
↓
中央大学(法学部)
関田誠大の所属歴
東金町ビーバーズ(男子25期)
↓
駿台学園中学校(全国制覇を経験)
↓
東洋高校(全国制覇を経験)
↓
中央大学(2015年全日本大学選手権で優勝し最優秀選手(MVP)に選出)
↓
パナソニック・パンサーズ
↓
堺ブレイザーズ
↓
Cuprum Lubin(クプルム・ルビン/ポーランド)
↓
ジェイテクトSTINGS (←2023年5月の現時点でここ)
関田誠大の病歴
始めに、関田選手をGoogleで検索すると関連キーワードに「関田誠大 病気」に表示されますが、実際には関田選手の病気ではなく、2023年3月に胃がんで闘病を続けていた藤井直伸選手のことです。
日本代表であった藤井選手は、悲しいことに2023年3月に他界されました。
さて、関田選手のご病気ですが、現時点では大きな病歴はなかったのですが、一時期肝臓が悪かった事をインタビューで答えていました。
肝臓が悪くなってから、苦手だったレバーを「自分の体の悪いところを補う」つもりで食するようになったそうです。
食べているうちに、気が付くと好きな食べ物になっていて、そして、肝臓も良くなったんだとか。良かったデスネ♪
関田誠大の二者択一を迫られた小学時代

出典:小野寺太志Instagram
関田選手がバレーを始めたのは小1で姉の影響からだったそうです。
東金町ビーバーズに所属し、週6日練習に通っていてもポジションは限定していなかったとか。
当時の関田選手はバレーボールの他にスイミングスクールにも通っていて、多忙な小学時代を過ごしていたようです。
関田選手が小3の時に両親から「(バレーか水泳の)どちらかを選択しなさい」と言われバレーを選択したとか。
東金町ビーバーズではポジションを限定していなかったのですが、小5でセッターを経験し、小6でアタッカーを経験したそうです。
当時所属していたチームは何度も全国制覇していて、練習はとにかく厳しくて、バレーの技術はスキルアップしても全然楽しくなっかったそうです。
関田誠大の球拾いもした中学時代
中学の強豪の駿台学園に進学をした関田選手で戸惑ったことが3つあったそうで、一つ目は練習が厳しかった東金町ビーバーズより更に練習が厳しいことだったようです。
二つ目は、小学時代には友達感覚で接してきたバレー仲間に、中学からの「あるある」で先輩と後輩の壁が出来たことで、三つ目は夏場になると坊主にしなくてはならなかったことでした。
この3つの中で一番戸惑ったのは中学からの「あるある」だったとか。
中1時代は球拾いをせっせとし、中2年はリベロを務め、中3は正セッターを務めていたそうです。
この高校でも全国制覇した関田選手の元に多くの高校からお声がけがあり、選んだのは東洋高校でした。
関田誠大がオリンピックを感じた中3
2008年開催された北京オリンピック世界最終予選で、全日本男子バレーチームが出場権を獲得する様子をテレビで観た関田選手。
関田選手曰く、「チーム、体育館が一体になっていて、それがすごく『いいな』と思いました」と。
そして、その瞬間にオリンピックを間近に感じたそうです。
関田誠大が小学時代から繋がっていた柳田将洋と一緒の高校時代
関田選手と柳田将洋選手の母親同士が仲良しで小学時代から縁があったそうで、その縁があった1学年上の柳田選手から「東洋来ない?」って誘われたことが決め手になったよそうです。
柳田選手からのお声がけがある前は、駿台学園高に進学する気がなく、東洋高校か東亜学園高等学校のどちらかにするか迷っていたんだとか。
小学時代からの縁の柳田選手のことは「マサ」と呼ぶ間柄で、進学しても「マサ」と呼びため口だったんだって。
関田選手は、1年生からレギュラーでセッターに選出され、先輩の柳田選手と共に活躍した2010年3月の春高バレーで初優勝を経験したのでした。
3年生が卒業した3月にキャプテンになった関田選手でしたが、東日本大震災の影響で、計画停電や体育館の使用制限が重なったりして、毎日の練習は1時間程度しかできなかったとか。
その限られた中で練習をしていましたが、結果を出すことが出来なく悔しい思いをし「大学では絶対に優勝する」と強い決意を抱いて卒業をしたそうです。
関田誠大が鍛え過ぎておかしくなった大学時代

出典:こちら中スポ🐭@chuosports2
関田誠大が中央大学を選んだ理由
総合大学のバレーで日本一を目指せる強い大学は中大だと思っている時に、同じ歳で仲の良かった今村貴彦選手が中央大学に行くと耳にしたことで、中大に行くと決めたようです。
関田選手は体育の教員になろうとは思っていなかったので、バレーが強くても体育系の学部がある大学ははじめからスルーしていたんだとか。
関田誠大の先輩とのコミュニケーションに悩んだ大学1年~2年
大学に進学すると、高校時代では取り組むことがなかったウェートトレーニングを専属の菊池加奈子トレーナーが作成したメニューを実施し、それをこなすことでバレーの動きにつながり、できることが増えるようになったそうな。
関田選手が入学した年には、松永理生氏が監督に就任。
その監督が打ち出したのはポジションにこだわらず、コートの至るところから攻撃を仕掛けるバレースタイルで、様々な戦術に挑戦した関田選手でした。
1年生での春季リーグからスタメン出場した関田選手でしたが、監督の指示に対して納得がいかなければ「面白くないです」と言うこともあったそうです。
自分の主張はきっちりする関田選手でしたが、コミニュケーションと取ることには苦労していたとか。
セッターというポジション柄コミュニケーションは大切ですが、先輩たちとどうコミュニケーション取ればいいのか大変だったみたい。
関田誠大の心強い存在が現われた大学3年
3年になると気持ちの余裕が出来た関田選手で、中大のバレーボールチームをどうやって強くすか?という気持ちが芽生え、下級生と積極的にコミニュケーションを取るようになったそうです。
この時代には石川祐希選手が入学してきて「最初からものすごく目立っていた」とか。
石川選手と一緒にプレーしたセッターの関田選手が思ったことは「どんなトスでも上げれば決めてくれる」ことだったそうな。
これは石川選手とプレーした選手が口々に言っていることだそうで、関田選手もそう思い石川選手が心強い存在になったのでした。
実際、石川選手とプレーした2年間は、インカレ優勝も含め数多くのタイトルを制したのでした。
関田誠大の強さはが圧倒的だった大学4年
石川祐希選手がコートにいるという存在だけで相手チームの「圧」になる事で、戦略を立てて実践する事が楽しかったキャプテン・関田選手の大学4年だったそうです。
キャンパスライフを振り返ると(2015年)12月19日の天皇杯が一番印象に残っているとか。
サントリーサンバーズとの試合では、関田選手が絶妙な配分で攻撃を展開し、チームのいいところを出せた試合になったようで、Vリーグのサントリーを中大がセットカウント3-1で勝利でぃた試合で、この試合は本当に楽しかったとのこと。
関田選手はの高校時代は柳田将洋選手と共に、大学時代は石川選手と共にプレーし、そんな学生時代を振り返ると「僕は本当に仲間に恵まれた」とインタビューに答えていたようです。
2015年12月1日にパナソニック・パンサーズに内定した関田選手。
この時の同期は今村貴彦選手と山内晶大選手。
関田誠大が後輩に暴露された大学エピソード
中大の後輩がブログで「めちゃくちゃ怖かった」と関田選手のことを暴露したのでした。
「普段はシャイで可愛いところもあるし、練習になると自分に厳しく、試合のときはチームをまとめるキャプテンとして、凛とした姿を見せてくれた」
けど、凄く怖かったらしい。
とにかく怖かったらしい。
その他で後輩に暴露されたことは、「筋肉がすごい人で1位」・「LINE中毒な人で3位」だったのですが、在学中に体を鍛え過ぎておかしくなったんだとか。
ストイックな関田選手だったようですが、何事もやり過ぎは良くないことを「後輩」に我が身通して教えたのかもしれませんね?
関田誠大のアスリートとしての歩み2015年-

出典:[まゆ]@mayuvvolley
関田誠大のパナソニック・パンサーズ時代(2015年 – 2018年)
2016年のリオデジャネイロ・オリンピック世界最終予選でメンバー入りを果たした関田選手。
その後毎年日本代表に選出され、藤井直伸選手と共に司令塔としてチームを率いていて順風満帆のように外野には見えていたようですが、パナソニックに入団したものの素晴らしいセッターの深津英臣選手が活躍をしていたため、関田選手にはセッターで活躍する機会が中々巡ってこないことに、モヤモヤしていたようです。
そのモヤモヤは、「実戦経験が積めない恐怖感と焦り」と試合に出場できないもどかしさだったようです。
関田選手は「もっと成長したい」と思い、それは「環境を変えることだ」という結論に達し、と移籍することを決断したのでした。
2018年9月29日にパナソニックパンサーズから関田選手の退団が発表され、同月30日付けで退団されたのでした。
その時の関田選手のコメント以下。
この度、悩みに悩んだ結果パナソニックパンサーズを退団することになりました。約2年半、素晴らしいスタッフをはじめ仲間にも恵まれとても素晴らしい経験をさせてもらいました。また、ここまでバレーボールを続けて来られたのも多くの方々の支えがあってのことだと実感しております。
本当にありがとうございました。
新天地ではより自分を成長させるべく、新たな仲間とてっぺんを目指して精進していきたいと思います。
今までパンサーズの関田を応援してくださりありがとうございました。引用元:バレーボールマガジン2018-10-02
関田誠大の堺ブレイザーズ時代(2018年 – 2021年 )

出典:関田誠大Instagram
「出場機会を求めた末の決断」を理由に堺ブレイザーズに移籍した関田選手の背番号は11。
2019年にはワールドカップの多くの試合でスタメン出場し、日本代表の司令塔でご活躍。
そして、2021年に開催された東京オリンピックにも出場して全日本に貢献したのでした。
東京オリンピック終了後した2021年8月25日に堺ブレイザーズを退団することが報告されました。
関田選手のコメントは以下。
この度、堺ブレイザーズを退団 いたしま した。短い期間で ありま したが、このチームでプレーできたことは、僕のバレー ボール 人生において貴重な経験になりました。チームメイトやスタッフをはじめ、ブレイザーズスポーツクラブの皆さんには本当に感謝しています。また、コロナ禍の状況にも関わらずたくさんの声援を送ってくださったサポーターの皆さん、ありがとうございました。僕のバレー人生はまだ続きます。どこまで成長できるか 自分自身でも 期待しつつ、楽しみながら挑戦を続けていきたいと思います。是非、温かく見守っていただけたらと思います。
最後に、堺ブレイザーズの皆さんのご活躍、成功を願っています。
堺ブレイザーズへも変わらぬご声援をよろしくお願いします。本当にありがとうございました。引用元:バレーボールマガジン2021-08-25
関田誠大のクプルム・ルビン時代(2021 – 2022年)

出典:関田誠大Instagram
堺ブレイザーズを退団し、8月25日にポーランド1部リーグのクプルム・ルビン(Cuprum Lubin)で活躍するため日本を離れた当時28歳の関田選手。
関田選手が海外でプレーをしたいと思うようになったのは、大学の時だったそうな。
2学年下の石川選手がイタリアに行った時は「いつか行きたいな~」と漠然と思っただけでしたが、帰国した石川選手に接すると「技術だけではなく、精神的にもたくましく成長した」彼の変貌ぷりを肌で感じた関田選手は「海外でプレーすることを目標」にし、機が熟したら海外移籍をすることにしたようです。
そして、「世界最高峰のリーグでいろいろと感じてみたい」という理由から移籍先にポーランドを選んだのでした。
このチームは、過去に柳田将洋選手が在籍したいたチームでもあります。
ポーランドに行く前までは、「言葉の壁」を心配していたそうですが、思っていたより困ることはなかったそうな。
練習や試合の時は英語でコミニュケーションを取ってたそうで、ポーランド語は徐々耳を慣らしていった感じだったとか。
ポーランドの食事もご自身にマッチしたようで、特にスープ類がお気に入りだったよう♪
20222年1月3日に関田選手のSNSで、以前から交際したいた方と入籍をしたことを発表した関田選手。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
新年のご挨拶のタイミングで皆様にご報告があります。
私事ではありますが、昨年お付き合いしていた方と入籍いたしました。
なかなかご報告のタイミングがなくこのタイミングになってしまいました。
心強いサポートを受け、より一層バレーボールに打ち込み、選手としても1人の人間としても更に成長できるように精進して参ります。
今後ともよろしくお願いいたします。
関田誠大
引用元:関田誠大Instagram
関田誠大のジェイテクトSTINGS時代(2022年 -)

出典:Amy@anuenueee
ジェイテクトSTINGSへの入団が2022年6月1日に発表され、これと同時に西田有志とスロベニア代表OHのティネ・ウルナウトの入団も発表さました。
そしてしばらくして、西田有志選手とマネジメント契約をしている株式会社FIELD OF DREAMSと関田選手がマネジメント契約を締結したと報告がありました。
司令塔としてご活躍中の関田選手、日本代表を世界一に導いてね♪
これからも関田選手のアスリート人生が続きますので、この後は静かに追記をしていく予定でいます。
ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
この記事の参考元:当サイト旧記事「関田誠大の経歴と学生時代の実力は?石川祐希と柳田将洋との関係も気になる!」・ジェイテクトSTINGS・アスレシピ2021年9月17日・バレーボールマガジン2021-08-25・バレーボールマガジン2021-08-13・バレーボールマガジン2021-07-07 ・バレーボールマガジン2018-10-04 ・4years.2021/05/03 ・4years.2021/05/02・4years. 2021/05/01・日刊スポーツ・プレミアム2023.05.17・Number Web 2022/01/07 ・Number Web2021/09/08・Number Web2019/05/15・中央大学・中日新聞2022年7月12日・ほか
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