目次
宮沢りえの芸能界入りからの生い立ちと生き様
ここでは、宮沢りえさんの芸能界に入ってからの生い立ちから、彼女の大人になってからの生き様を紹介しています。
宮沢りえの生い立ち
宮沢りえ12歳:1985年 『週刊セブンティーン』のモデル
当時のセブンティーンの表紙を飾っていた宮沢りえさん。
この当時はセブンティーンと言えば宮沢りえと思う方が多かったとか。
参考元:宮沢りえWikipedia・宮沢りえ関連Twitter
宮沢りえ14歳:1987年CM『三井のリハウス』の初代リハウスガール”白鳥麗子”役
トップアイドルの一人となったきっかけがこのCM。
白鳥麗子役で宮沢りえさんの名前が知れ渡ることに。
後藤久美子さんは宮沢りえさんの同期で同学年ということもあり、仲がよかったそうな。
世間ではライバル云々と言われていたが、当の本人たちはそんなことは思っていなかったようですよ。
後藤さんとは、キットカットのCMで共演歴があって当時11歳(1985年でもまだ誕生日を迎えていない)でした。
この当時は後藤さんは”ゴクミ”と呼ばれていて、後藤さんはトップアイドル。
当時の宮沢りえさんは、後藤さんが引き受けなかった仕事をせっせとこなしていたそうで、このCMも・・・。
参考元:宮沢りえWikipedia・zakzak2012.05.10配信・ほか
宮沢りえ15歳:1988年公開映画『ぼくらの七日間戦争』で女優デビュー
1988年公開の映画『ぼくらの七日間戦争』の主演・中山ひとみ 役が女優デビューを果たした宮沢りえさん。
彼女の透明感や可愛さで癒やされた方も(*´∀`)b
参考元:宮沢りえWikipedia・映画ぼくらの七日間戦争Twitter
宮沢りえ16歳:1989年連続ドラマ初主演と歌手デビュー
16歳のりえさんと言えば、カレンダーの”ふんどしルック”!
当時のアイドルがすることの考え全くなく、世間がびっくりし大きな話題になったとか。
この年の4月に放送された連続ドラマ『青春オーロラ・スピン スワンの涙』で主演・葉月ミカ 役を務めた宮沢りえさん。
同年9月に『ドリームラッシュ』で歌手デビューし、超人気音楽番組『ザ・ベストテン』の最終回にランクインしたそうです。
『ザ・ベストテン』には出演したいないそうよ( ̄∀ ̄)
参考元:宮沢りえWikipedia・宮沢りえふんどしTwitter
宮沢りえの中学卒業後のプライベートと家族
宮沢りえさんが大泉学園中学を卒業すると、東京都渋谷区広尾にある広尾ガーデンヒルズへ引越しをした宮沢親子。
母・光子さんと姉・さつ子さんは共同で宮沢りえさんの個人事務を設立。
宮沢りえの出身中学校は練馬区立大泉学園中学校
参考元:宮沢りえWikipedia・5ch・練馬区立大泉学園緑小学校
宮沢りえの学歴
宮沢りえさんは高校には進学しなかったそうですので、現時点での宮沢りえさんの学歴は中卒。
宮沢りえの高校受験エピソード
高校は1校だけ受験にチャレンジした宮沢りえさんでしたが、残念ながら落ちてしまいました。
受験を失敗したことで踏ん切りがついたのか、
彼女曰く、『高校1校受けたけど落ちちゃった。私、女優になります』と。
彼女の意志は固く、その後本格的な芸能界デビューを果たすことになった彼女で、その一つが話題になったふんどしルック(⊙ꇴ⊙)
インタビューで「仕事と学校を両立していて中卒なんです。だから中学から高校、大学に行くというキャンパスライフをやってみたかった」と胸の内を明かしていたそうです。
参考元:5ch・mo-mo-town
宮沢りえ17歳:1990年『第41回NHK紅白歌合戦』に初出場
セカンドシングル『NO TITLIST』がオリコン最高1位を獲得し、同年にはNHK紅白歌合戦に初出場した宮沢りえさん。
紅白ではホールでの出演ではなく、芝浦の倉庫屋上でバスタブに浸かりながら『Game』歌う彼女が放送されました。
これは、彼女がNHKホール外で自由に歌いたい」と言ったことで中継主演となったのでした。
この中継出演も紅白ではお初だったそうですよ。
この時代に活躍していたアイドルの宮沢りえさん・観月ありささん・牧瀬里穂さんの頭文字の「M」から「3M」と呼ばれていたとか(≧▽≦)
参考元:宮沢りえWikipedia
宮沢りえ18歳:1991年発売の写真集『Santa Fe』
1993年10月13日の「朝日新聞」と「読売新聞」に掲載された写真集『サンタフェ』の全面広告に日本中に騒ぎが起こったそうです。
当時の宮沢りえさんはトップアイドル。
そのアイドルの一糸纏わぬ裸体が広告に・・・(꒪ȏ꒪)そりゃービックリするわ!!
撮影場所はアメリカのニューメキシコ州のサンタフェでこの計画は計画は極秘で進められたそう。
このビックリ写真集で、光子さんことりえママの存在が注目されることに。
人気絶頂時の宮沢りえさんのヌード写真集が大ヒットし、150万部のベストセラーとなり、東南アジアなどでは海賊版も出回ったとか。
参考元:宮沢りえWikipedia・5ch・AERAdot.2019/10/16配信・ほか
宮沢りえ19歳:1992年婚約と婚約解消
宮沢りえの婚約
1992年11月27日に後の第65代横綱・貴乃花(当時関脇)と宮沢りえさんが婚約を発表して“世紀のカップル誕生”と大きな話題になりました。
とてもお幸せそうなお二人♡・・・ですが、この数ヶ月後に悲しい事態になるとは誰が思っていたでしょうか。
宮沢りえの婚約解消
婚約発表をした翌年の1993年1月27日、数ヶ月というスパンで婚約解消を発表したお二人。
週刊誌がスクープした「結婚破断」。
お二人は時間をずらしてそれぞれ会見に臨みました。
貴乃花(現・貴花田)氏のコメントは「自分の愛情がなくなりました」で、
宮沢りえさんのコメントは「人生最高のパートナーになれなかった」でした。
宮沢りえの婚約解消の裏側
光子さんに頼まれ、婚約を解消するように説得したのが、りえママと仲が良かった美川憲一さん。
光子さんは、娘のりえさんがおかみさんとしてやっていけることはありえないと云う思いから美川憲一さんに頼んだようです。
美川憲一さんは、当時滞在先のロサンゼルスから電話で1時間掛けて話しをしたそうです。
この婚約解消の騒動からは、宮沢りえさんの出演したドラマは振るわなくなり、CMの話しは来なくなり、CDの売れ行きもさっぱりになっていったそうです。
これは覚えていて、貴乃花がわざと自分に世間の矢が向くようにしていると思ったわ。
「その場で自分ができることは、”酷い男を演じること”」だと・・・そう感じた私。
貴乃花氏は「あの件はお互いの胸にしまってあるもの。他人に触れられたくありません」とインタビューで答えていたそうな。
参考元:・bunshun・日刊ゲンダイ2020/09/30配信・デイリー2014.10.06配信・文春オンライン2019年11月2日配信
次からのページは、宮沢りえさんの「生き様」・「結婚後の家族」や「現在の家族」などを紹介しています♪
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