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石坂浩二の初婚は浅丘ルリ子
石坂浩二の初婚・浅丘ルリ子のプロフィール
本名:浅井 信子(あさいのぶこ)
別名義:ルリルリ
生年月日:1940年7月2日
年齢:84歳(2024年7月27日時点)
出生地:満州国・新京
身長:156 cm
体重:35kg
血液型:A型
特技:クラシックバレエ
デビュー作:1955年公開された映画「緑はるかに」
石坂浩二と浅丘ルリ子の馴れ初め~結婚~離婚まで
浅丘ルリ子の当時の恋愛
石坂さんと出会う前の浅丘さんには、テレビ局に勤める周知の恋人がいたようですがすれ違いでギクシャクしてその関係を清算しようとしていた時に石坂さんからのアプローチがあったそうです。
石坂浩二と浅丘ルリ子の出会い~交際
石坂さんと浅丘さんが出会ったのは、1971年に放送されたテレビドラマ「2丁目3番地」で共演する前に元カノの加賀まりこさんのお声掛けが出会いのきっかけだったとか。
共演する浅丘さんのことをあまり知らなかった石坂さんで、そのこと知ってか知らないでか加賀まりこさんが石坂さんに「一度会っておいた方がいい」と言われ3人で食事をしたのが初めての出会いでした。
その後にテレビドラマ※「2丁目3番地」で共演が決まり、収録が始まると浅丘さんが出演者のために惣菜をつくって持って来ていることに気が付いた石坂さんを恋のキューピットが矢を放ったよう♡
その後に食事に誘ってから交際がスタートしたのですが、浅丘さんの当時の好みは石原裕次郎さんだったとか。
共演で半年一緒いたことで、博識の石坂さんは浅丘さんの先生みたいな存在になっていたそうな。
浅丘さんを両親に初めて紹介したのは空港で、テレビで石坂家と浅丘家の家族が旅行して、合流する企画だったとか。
その企画の旅の途中にで浅丘家と合流した時に、石坂家族に「付き合っているのはこの方だから」と紹介した石坂さんでしたが、芸能に興味がなかった石坂家メンバーは、大スターを目の前にしていることを知らなかったみたい。
石坂浩二のプロポーズとプロポーズ後
1971年3月15日の夜に石坂さんは浅丘さんにプロポーズをしたのでした。
プロポーズする前に、お台場に移転する前の曙橋にあったフジテレビで石坂さんから「一緒に行ってくれ」と言われた倉本聰氏。
倉本聰氏の車で浅丘家に行き、石坂さんが浅丘さんにプロポーズするのを見ていたそうな。
プロポーズを受けた浅丘さんは、以前から「細かいところまでよく気のつく人。きっと思いやりのある人だわ」と感じていたので結婚を承諾し、その後の3月21日に2人にとって芸能界の母親のような存在だという森光子さんに報告をしたそうです。
そして、3月23日に婚約を公表したのでした。
当時の浅丘さんは30歳になったこともあり「そろそろ結婚してもいいかな」と思っている時に、石坂さんのプロポーズだったとか。
プロポーズの言葉の後に「あなたは女優だ。あなたが女優をやめるのはもったいない。結婚しても仕事を選んで女優を続けてください。むしろ遠慮せずにどんどん好きな仕事をしてほしい」と石坂さんが言ったことで、浅丘さんは「この人となら大丈夫だ」と思い、結婚を決意したんだとか。
石坂浩二と浅丘ルリ子の挙式と披露宴
石坂浩二さんが29歳・浅丘ルリ子さんが30歳の時の 1971年・昭和46年5月14日に結婚したお二人。
挙式は港区赤坂にある日本キリスト教団 霊南坂教会で、披露宴は帝国ホテルしたそうで、立会人は石坂さんの方は海音寺潮五郎夫妻で、浅丘さんの方は石原裕次郎夫妻だったとか。
ですが、石原裕次郎氏は熱海の病院で入院中だったため、夫人のみの出席だったそうです。
お二人の新婚旅行先はフランス・パリだったとか。
石坂浩二と浅丘ルリ子の結婚後から別居まで
結婚した最初の頃は、浅丘さんが石坂さんに靴下をはかせたり、ネクタイを選んだり、背広を出したりと新妻らしいことをいろいろやっていたそうですが、浅丘さんの仕事が多忙になると、浅丘さんの方が家を早く出たり、帰宅が遅くなったりすることが増え、石坂さんが「もう僕のことはいいから、自由に仕事をしなさい」と言ってくれたそうな。
石坂さんは「もういいかげんに妻らしくしろ」とか「ウチにいろ」などは一切言わなく浅丘さんにとって本当にラクな夫だったようです。
石坂さんは、共演者やスタッフを家に連れてくるのが好きだったらしく、結婚している頃はよく連れてきたそうな。
結婚から5~6年過ぎたころ、絵を描く趣味を持っている石坂さんが「アトリエをもちたい」と言い、石坂さんは別に部屋を借りて、そこで寝泊まりするようになったとか。
当時住んでいた家にはそれだけの部屋がなかった為、仕方がなかったようです。
石坂浩二と浅丘ルリ子の離婚と離婚会見
石坂さんは、共演者で好きになった人でも、みんな家に連れて来ていたそうで、浅丘さんは雰囲気でそれは言われなくて察していたそうです。
石坂さんはとんでもなく空気の読めない、欲望に素直な人間だったようで、別居中にでも気になる女優とどう付き合えばいいのか等などを電話で浅丘さんに聞いてきたとか。
石坂さんが離婚を決意したのは、”結婚当初の気持ちとその当時の気持ちにギャップがあったから”だそうです。
両親が90歳近くになったことで、家庭や家族というものを通切に感じるようになった石坂さんは、結婚当初の浅丘さんに仕事と家庭の両立を求めていなかった気持ちが、両立を求めるようになったんだとか。
当時の自宅は両親を泊まれるような構えの家ではなく、父親が他界した後に母親が体を壊したことで、更に同居を考えるのでした。
そして、石坂さんは子供も欲しくなったのでした。
浅丘さんにそのことを話すと、「介護くらいできる」と言ってくれたものの、様子を見ていると浅丘さんは仕事を何年も先まで入れていたりしたことで、誠意がないと思う様になった石坂さんはとうとう離婚を切り出したのでした。
浅丘さんは離婚を承諾し、一つだけ”離婚会見は二人で”とお願いをしたのでした。
石坂さんが、浅丘さんに離婚話をした3日後の2000年12月27日に離婚会見は開かれました。
夫婦で約30年間・別居してから約15年間のメモリーが終わったのでした。
石坂浩二と浅丘ルリ子の間には子供はいない
今さらぁ~と思うかもしれませんが・・・( ◔ ڼ ◔ )
石坂さんの結婚後は、石坂浩二さんと浅丘ルリ子さんの構成の2人家族でした。
石坂さんと浅丘さんの間には、お子様はいらっしゃいません。
浅丘さんは、一人だけでもいいから子供が欲しかったと、子供がいないご自身の人生を悔やんでいるそうですよ。
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