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石坂浩二の活躍
作詞家の石坂浩二
石坂さんが出演した日本テレビのドラマ『3丁目4番地』の主題歌の作詞をしたそうです。
その曲は、1972年2月10日発売された『さよならをするために』でビリーバンバンさんが歌いました。
作曲・編曲は坂田晃一氏がしたそうです。
石坂浩二の初個展は自由が丘の駅前
画家の東郷 青児(とうごう せいじ)氏の目に止まり、デッサンの勉強をするようにアドバイスを貰い、知り合いの先生を紹介してもらい、1972年に初の個展が実現した石坂さんでした。
初の個展場所は、自由が丘の駅前に遠縁の画廊だったとか。
石坂さんの絵の歴史は、4歳の時の疎開先から始まったそうで、中学に進学すると絵の上手な同級生に出会ったことで、ライバル心が湧いて絵がうまくなりと思う様になったこともあったのですが、絵から舞台に興味が移ったためしばらくお休みすることになったようです。
絵を再開したのは、石坂さんが結婚してからで、東郷氏から水彩画から油絵に変えて二科展に出すこと勧められたのがきっかけだったとか。
1974年に初めて出品して入選してから、1985年まで連続して入選していたそうです。
石坂浩二のプラモデルの原点は小学時代
石坂さんのプラモの原点は小学生時代で、プラモデルと出会ったのは中学3年の1956年だったそうな。
東京・新橋にオープンして間もない輸入プラモ専門店「ステーションホビイ」に友人と立ち寄り、初めて見るプラモに衝撃を受けた石坂さんでした。
輸入プラモデルは安くても1キットは500~600円ほどでメインは1000円前後。
当時の大卒・国家公務員の初任給が1万2900円くらいの時代に、中学生では手が出せなかったそうな。
初めて購入したのは高校に進学した後で、米国・レベル社のX-5を小遣いをやりくりして手に入れたんだとか。
慶応大学在学時に演劇にのめり込んだため、計5年間はプラモ作りをお休みしていていたようですが、俳優業がうまくいくとプラモ作りを再開し、1年に20個ほど完成させるそうです。
気に入ったプラモは2箱買い、1箱は予備だそうで、購入後は1週間くらい箱を眺めて楽しんでいるんだとか。
購入後、制作に至らず積み上げたままの“積むプラ”は200個以上あるそうで、正確な数字は分からないくらいたくさんあるようです。
因みに、2009年に「ろうがんず」を立ち上げ、2014年から始めた年に1回の一般公募コンテスト「ろうがんず杯」の優勝賞金30万円、各賞含めて総額60万円は石坂さんのポケットマネーだそうですよ。
石坂浩二が寄贈した戦艦長門の日章旗
2006年9月に旧呉海軍工廠(こうしょう)で造られた戦艦長門の先任旗を呉市にある大和ミュージアムへ贈った石坂さん。
2006年に石坂さんが出演するテレビ番組『お宝鑑定団』で取り上げられ「日本に残したい」と思い軍艦旗と少将旗を寄贈したそうです。
その旗は、米国人の依頼人の父が、元海軍将校フリン大佐から死の直前に託されたものだったとか。
テレビ番組『お宝鑑定団』での鑑定結果は1000万円だったそうですが、人知れずそっと買い戻し、寄贈した石坂さんでした。 (・_・)ノ あっぱれ!
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