目次
浅丘ルリ子の生い立ちと出身校や学歴
浅丘ルリ子の生誕~小学低学年時代
先の浅丘ルリ子の「中国人説1:生れた土地」でお伝えしましたが、浅丘さんは、父親の仕事の関係で1940年7月2日に満州国でお生まれになり、誕生された3年後(1943年)にはタイのバンコクへ一家で引越しをしました。
そして、そのバンコクで終戦を迎えることに。
終戦を迎えた後は、タイに流れるのメナム川(チャオプラヤー川)岸辺にあったパンパートン抑留所へ強制収容されてしまい、この収容所での生活が1年。
翌年の1946年に引き揚げが始まり命からがら帰国したそうです。
帰国後は、茨城県の大洗港(おおあらいこう)の近くに住む親戚を頼り、その後は、千葉県の館山(たてやま)の引き揚げ寮へ入寮し生活をしていていたそうですよ。
浅丘ルリ子の小学中学年から卒業まで
東京神田鍛冶町の借家に住むことになった浅丘さん一家でしたが、そこはガード下(高架下)の今川小路で当時の生活は大変貧しかったそうです。
生活を支えるために自宅でジャン荘「五月荘」を営んだり、母親が毛布を裁断し染めることに依ってコートに仕立ててくれたりと工夫をしながら日々を過ごしていたようです。
神田には映画館がたくさんあったことで、妹さんを連れて時代劇や西部劇を見に行っていたとか。
この頃の彼女は、美空ひばりさんに憧れていて歌になりたかったみたい♪
浅丘ルリ子の中学時代
浅丘ルリ子の出身中学校は千代田区立今川中学校
1954年の夏、『緑はるかに』の映画化するに当たって、ヒロインのルリコ役を募集しているのを知った浅丘さんは、応募し、約3,000人の中から選ばれ芸能界デビューをすることに。
その後は、日活の看板女優になり約160本くらいの映画に出演し、ご自宅は神田から日活のスタジオに近い調布に大きな屋敷を建て住むことになり、住み始めるとそのご自宅に、「石原裕次郎さん」・「小林旭さん」・「二谷英明さん」・「宍戸錠さん」・「高橋英樹さん」などの日活俳優が出入りして合宿上のとようなにぎわいだったとか。
日活の若手俳優などの面倒を見ていた時は、ギャラをもらってもその飲食に充ててお金は全然残らなかった浅丘さん♪
浅丘さんのいとこと同級生の高橋英樹さんは、しょっちゅう泊まりに来ていたとか♪
浅丘ルリ子の学歴
浅丘ルリ子が進学した高校:旧・菊華高等学校(現・杉並学院高等学校)
浅丘ルリ子のWikipediaによると、高校に進学したものの多忙のため中退しているとのことです。
それが正しければ、浅丘さんの学歴は中卒。
■咲きつづける 女優浅丘ルリ子
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