こんにちは!
今回は、地元のお祭りが好きで何度か御神輿を担いだことがある美しくて、イケメンで、カッコイイ女優の天海祐希さんの生い立ちや出身校とご家族について紹介いたします。
天海祐希さんの本名は「中野祐里(なかのゆり)」さん。
「祐」は、彼女のお母さんが石原裕次郎さんのファンだったことから、そのお名前になったと云われています。
漢字が違うのは、画数を考えたのだと思っている私です。
では、天海祐希さんの生い立ちを綴って参りますね♪
参考元:PASONICA JPN
目次
天海祐希の生い立ちと出身校
#いきなり大喜利#テレビ大喜利
もしも「8時だヨ!全員集合」が今も放送していたら•••••• pic.twitter.com/iwkBQ0B3zR— お面ちゃん (@omen_rider1) August 5, 2020
東京の上野駅のすぐそばで生まれ育った天海祐希さんは、女の子が好む傾向がある遊びはもちろん、男の子が好む傾向がある遊びもして楽しんでいたようです。
テレビは「8時だヨ! 全員集合」が大好きで、小さい頃から人を笑わせるのが得意だったとか。
天海祐希さんのお父さんのご実家が富山県富山市にあることかから、夏休みは富山県に行って海水浴などをして楽しんでいたそうですよ。
天海祐希さんの思い出のスイーツは”水だんご”。
その”水だんご”の画像は以下でご覧頂けますし、富山県アンテナショップ 日本橋とやま館でご購入できるそうですよ♪
天海祐希の幼少期~小学時代
天海祐希の幼少期のエピソード
Ep1:ゆりちゃんの夢決まる
幼稚園のお遊戯で、先生が「ゆりちゃんは、声が大きくてお芝居上手ね」と褒められ、その一言で「ゆりちゃんは、お芝居する人になる」って決め、それから彼女の夢はお芝居をする人となり、ブレずに成長したとか。
Ep2:ゆりちゃんの舞台
小さい時に舞台でお兄さんと一緒に民謡を歌っていたそうです。
Ep3:ゆりちゃんのあだ名
子供の頃から身長が高かった天海さんは、男の子よりも大きかったそう。
そのせいで、「デカ女、デカ女」と言われていたとか。
Ep4:ゆりちゃんの席
子供の頃から身長が大きかった彼女は、整列も席もずっと一番後ろだったそうです。
Ep5:正義のヒーローゆりちゃん
男子にいじめられる女子をかばったこともあるとか。
天海祐希の出身小学校:台東区立西町小学校
小学時代の天海さんは、演劇部に所属していたそうです。
親に物をねだった事がほとんどない子供時代だったそうですよ。
参考元:天海祐希Wikipedia・PASONICA JPN・ほぼ日刊イトイ新聞・trendnews・鶴瓶の家族に乾杯・A-Studio2021年10月29日放送
天海祐希の中学時代
今まで食べた中で一番うまい餅😋
たまらず一袋購入。
また月内には行くな。#水だんご #藤吉#富山県 #魚津市 pic.twitter.com/wAUO4IwIAv— たこ (@Zw7Wg2feGuJc5CM) September 5, 2020
天海祐希出身中学校:台東区立御徒町中学校
小学時代から中学時代は、内気で自分から話すのが苦手だった天海さんだそうですが、演劇部に所属して、劇で主役を演じたり、生徒会の書記をしたりとご活躍をしていたようです。
天海祐希の中学時代のエピソード
Ep1:中2の時、家庭訪問で担任の中村道子先生に宝塚入りを勧められたとか。
Ep2:中2の時に、映画のオーディションで東京代表に選ばれたことがあるそうです。
Ep3:中2~中3まで反抗期がすごかったとインタビューで明かしていた天海さんです。
天海さんの反抗期中は、彼女のお父さんがどう接していいか分らないと困っていたとか。
お母さんにも「あんたが一番キツかった」って言われたんだって。
宝塚に行くまで反抗期は続いたともインタビューで明かしていたわ。
参考元:天海祐希Wikipedia・PASONICA JPN・ほぼ日刊イトイ新聞
天海祐希の高校時代
天海祐希が進学した高校:菊華高等学校(現在は杉並学院高等学校)
菊華高等学校の偏差値:56 – 62(2021年5月にみんなの高校情報を参考)
天海祐希の高校時代のエピソード
Ep1:抗議
友達が停学になりその処分に納得できなかった彼女は職員室に行って抗議したそうです。
Ep2:レオタードの放置臭
バレエのレッスンで汗だくになったレオタードを1、2日袋のままに入れて怖くて開けられなく、その時に漂っていたのは放置臭だったとか(꒪ཫ꒪; )
Ep3:資生堂の雑誌「花椿」の表紙のモデルになる
17歳の高校2年の時に資生堂が発行しているモデルに応法して、表紙を飾ることになって「自分もやれる」と自信をつけ浮かれていた彼女をお父さんが激怒したそうです。
当時のギャラは10万円で、この時から芸能界入りを意識したとか。
Ep4:中退と入学
高校を2年で中退し、宝塚音楽学校に入学したそうです。
好きだった科目は英語だったとか。
天海さんが進学した高校は、元は女子校だったんだって。
参考元:天海祐希Wikipedia・PASONICA JPN・フジテレビュー・アナエンタ
天海祐希の宝塚時代
宝塚時代のエピソードをお伝えしていまして、この時代の経歴は「天海祐希のギャラや年収は?」をご覧くださいませ。
天海祐希の芸名の由来
天海さんの芸名はお父さんと3つの条件を元に相談して決めたそうです。
1:漢字で4文字
2:本名の中野祐里から一文字を使う
3:姓名判断を参考にして本名の名前と同じ画数
この条件から候補が挙った名前は、「天海祐希」「木条祐希」でした、。
男役にピッタリと思われる「木条祐希」にしようとしましたが、副校長のアドバイス「スケールが大きい(名前)」を貰い「天海祐希」に決定したんだとか。
お母さんは、ここでも石原裕次郎さんの名前から取って「石原裕」を希望していたんだって♪
どんだけ好きなん!!(笑)
それでは、1985年トップ合格で宝塚に入学した天海さんの宝塚時代のエピソードを以下で紹介いたしますね。
天海祐希宝塚時代のエピソード
『大ちゃん数え唄』
歌:吉田よしみ
作詞:石本美由起 作曲:市川昭介
『いなかっぺ大将』OP曲#いなかっぺ大将#タツノコプロ @retoro_mode pic.twitter.com/O1hHRHZSGu— ルチャグレ (@Doraque_Lv100_Z) November 28, 2019
Ep1:公演中に何度かギックリ腰になったことがあるそうです。
Ep2:虫垂炎がまだ治っていないのに舞台に立ったとか。
Ep3:この時代は仕事でいっぱい歌っているのに、カラオケでによく行っていた青春時代♪
カラオケの十八番(おはこ)は、「大ちゃん数え唄」٩(ˊᗜˋ*)و
宝塚退団後に身長が1㎝伸びたとか(⊙ꇴ⊙)羨ましい・・・
宝塚時代の天海祐希の感情
この時代に急に役がつき、急に人気者になり、「急・急すぎて」状況と自分の中との折り合いがつけられなく、対処の仕方が分らなかったそうです。
半分は怖い気持ちになり「放っておいて」みたいな感じになっていたとか。
身長に対して、初めてこの身長で良かったとご自身の身長に感謝したそうです♪
身長なんだけど、宝塚から外の世界に踏み出したときに、「またマズい状態に・・・」と思い、何年かは気にしていたそうですよ( ̄∀ ̄)
高身長の方ばかりじゃないですもんね(⊙ꇴ⊙)
天海祐希の最終学歴
天海祐希さんの最終学歴は中卒になると思われます。
参考元:Yahoo!知恵袋
天海祐希の書籍:明日(あした)吹く風のために文庫
次のページからは、天海祐希さんの「実家の家族」→「現在」を紹介しています♪
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水筒持ってお弁当持って、弟さんを連れて毎週日曜日に科学博物館に行っていたとか。