こんにちは!
今回は、品性のある女優の一人、竹下景子さんの生い立ちや家族構成を紹介いたします。
竹下さんのご家族については、「実家」のご家族と「結婚後」現在のご家族を画像と合わせて紹介しております。
かなり長くなりましたが、よろしければ最後までお付き合いくださいませ♪
では、参りますね。
目次
竹下景子の生い立ちや出身校
三部作あって、三作目だけ観れませんでした。
ニ作目が子供の頃にホール上映で観た記憶が強烈に残っています。
回想シーンで登場する竹下景子さんがお綺麗です。 pic.twitter.com/IA2GYScUJv— 田中義晃 (@Nor8Gbcnuzo8csf) September 9, 2017
竹下さんの生誕地は愛知県名古屋市ですが、お父さんのお仕事の都合により、4歳の時に東京都中野区→板橋区・5歳~10歳までは京都東村山市で育ったようです。
引越しの多い幼児期だった竹下さんの学生時代はどのようにお過ごしになったのでしょうか?
竹下景子の幼少期~小学時代
子供の頃「竹下景子って、しょっちゅう髪型の変わる人」だと思ってた。 pic.twitter.com/BDjkOewTsb
— motoichi (@million7000) March 10, 2017
3歳の頃から小児喘息を患っていて、携帯式の吸入薬を常に持っていて、風邪を引かないように注意しながら人生を歩むことになった竹下さんですが、幼稚園から小学校低学年までは東京都東村山市に住んでいたそうです。
そこの学校の担任の先生と仲良くなって自宅に遊びに行ったりしていたとか。
竹下さんが10歳の頃にお父さんが国税庁を辞めたために、公務員住宅には住めなくなり名古屋市緑区に引越し、名古屋へ戻るとお父さんは、弁護士になるために勉強を始めたたそうです。
この後、竹下さんは高校を卒業するまで名古屋市緑区に過ごすことになりました。
喘息の発作だったかもね。
竹下さんの不得手な科目は、体育と図工だったんだって。
竹下景子の中学時代
あ、洗濯物まだ干してなかった。洗濯機もアラームが一度だけでなく数分おきに鳴ればいいのに。
「終わってるよーピーピー」子供の頃みてた【巨泉のクイズダービー】で竹下景子は「三択の女王」と言われてたよね。最初「三択(三者択一)」という言葉を知らなくて(洗濯の女王?)なんて思ってた。 pic.twitter.com/dghJb6YK1N
— ヘルベルト•フォン•スダヤン (@suda_yan) August 1, 2017
竹下景子の出身中学校:南山中学校
偏差値:63(2021年1月時点・みんなの中学情報を参考)
愛知県名古屋市にある私立の女子中学の南山中学校が竹下さんの母校になるようです。
この中学校では、演劇部に所属していたとか。
中学時代のエピソードでは、中2の時に喘息が悪化して1週間入院したそうです。
竹下さんで検索したら「声かすれる」のキーワードがあるけど持病の喘息が関係しているかもね。
竹下景子の高校時代
竹下景子の出身高校:南山高校
偏差値:4.64(2021年1月時点・みんなの高校情報を参考)
エスカレータ式で高校に進学した竹下さんの母校は南山高校になるようです。
演劇部に引き続き所属した竹下さんでした。
竹下景子の高校時代のエピソード
東海ラジオで1982~97年に放送された生放送番組「アマチンのラジオにおまかせ」が15日、22年ぶりに復活。天野鎮雄さんと森本曜子さんが、一日限りの再タッグを組みますhttps://t.co/nkrbCPelUi
— 毎日新聞 (@mainichi) December 10, 2019
この時代の竹下さんは、ラジオの深夜放送を聴くのが楽しみだったようです。
ラジオ番組「ミッドナイト東海」のイベントに一般リスナーとして参加した時に、パーソナリティをしていた俳優の天野鎮雄さんから、NHKの「中学生群像」を紹介されドラマに出演。
竹下さんは3年生の役で、1年生の役には戸田恵子さんが出演していたそうです。
竹下さんは何度かそのドラマに出演をし、1回の出演料は8000円だったとか。
1回の出演料は8000円って、当時の物価から考えると高額だわ!
当時のおおよその物価を知るなら こちら からどうぞ。
竹下景子の大学時代
東京女子大学の360度画像を掲載しています!キャンパスの雰囲気をお楽しみください。こちらのURLから見ることができます! https://t.co/BpIqHjO6Uw(広報課) pic.twitter.com/jd6dm6reFy
— 【公式】東京女子大学 (@twcuPR) December 22, 2020
竹下景子の出身大学:東京女子大学
偏差値:45.0 – 57.5(2021年1月時点・みんなの大学情報を参考)
竹下さんが進学した大学は、東京女子大学で専攻は理学部社会学科。
名古屋から上京した竹下さんは、女子寮の抽選に外れて西荻窪の4畳半のアパートで一人暮らしを始めたとか。
当時の仕送りは5万円で、この額は当時では足りなくなるような額ではなかったようですが、大雑把な竹下さんは、月末には1日に使える金額が菓子パン1個と云う時もあったそうですよ。
竹下景子の女優デビュー
【ちょっと一興😉】
モノクロ(番宣用)▶カラー
ドラマ『兄貴の花嫁』〔フジテレビ〕
第4回[71.01.28放送]より(左から)#夏木陽介 #松尾嘉代 @retoro_mode pic.twitter.com/hjkL1GbRLr
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) January 8, 2021
高校時代に「中学生群像」に出演した際に、ドラマロケで名古屋を訪れていた夏木陽介さんににスカウトされ、上京後に夏木陽介さんが所属していた「三船プロ」に所属し芸能活動を始めた竹下さんでした。
1973年に放送されたNHKの銀河テレビ小説 「波の塔」で、本格的に女優デビュー。
それからは忙しくなり、大学は5年かけて卒業したのですが、留年した時に、お父さんから「仕送りも学費も出さない」と言われてしまったため、自分で学費と生活費を工面していたそうです。
卒業したら実家に戻る約束は、生活費と学費を打ち切られたと同時に、反故になったとか。
竹下景子の学歴
竹下さんは、東京女子大学を卒業されているということなので、大卒になるかと思われます。
次のページからは、竹下景子さんの実家ご家族→現在の後家族について紹介しています♪
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小学4年の思い出で、授業中に息苦しくなって先生に自転車で家までおくってもらったことがあるとか。