目次
沢口靖子の生い立ちや若い頃
上の画像は沢口靖子さんの小学時代の画像で、横に映っている女性は母親です。
沢口靖子の幼少期
沢口靖子が通った幼稚園は平岡幼稚園
平岡幼稚園に通っていた沢口靖子さん。
沢口さんのご家庭はごく普通で、ご挨拶の大切さを教えたれるくらいで、あれこれ言われることもなくのびのびと育ったようです。
母親が沢口さんの健康の事を考えて、朝食の前に縄跳びや家の周辺を走らせたりしていたこともあり、彼女は自然と体を動かすことが大好きになったとか。
母親のお陰か、外で遊ぶのが好きだった彼女は、兄について行ってはドッチボールなどいろんな遊びをして楽しんでいたようですよ。
この頃から始めた習い事はピアノで、高校を卒業するまで続けたとか。
沢口靖子の小学時代
沢口靖子の出身小学校は堺市立平岡小学校
小6の時に、生徒会役員を務めていた沢口さんですが、3歳違いの兄の影響を受けて、この時代も活発な女子だったようです。
沢口靖子の小学時代の部活は陸上部
活発な沢口靖子さんは、体を動かすことが好きで、真っ黒に日焼けをしていたとか。
陸上部では短距離をしていたそうです。
沢口靖子の小学時代の習い事は5つ
沢口さんが好きだった事は書道で、将来は書道の先生になろうと思っていたそうです。
この頃の習い事は、ピアノ・そろばん・習字・ポートボール・水泳で、水泳は、3年~4年間して夏休みに浜寺水練学校(スイミングスクール)に通って、クロール、平泳ぎ、背泳ぎまでは泳げるようになったんだそう。
1人で電車を乗り継いで、浜寺公園駅から松林をプールまで歩く道は遠いと思いながらも、帰りの買い食いが楽しみだったみたい♪
アイスクリームを食べたり、浜寺公園駅近くで売っているコロッケを食べたりしていたとか。
この他、地域のポートボール部に所属した沢口さんは、毎週日曜日に練習していたとのこと。
沢口靖子の小学時代のエピソード
人気投票で学年1位になったことがある沢口さん。
そんな沢口さんは小学時代から美人さんで、沢口さんの恩師曰く、「とにかく光っているなっていうのが第一印象ですね。芸能人になってもおかしくないやろうなと思いました」と語っているほど。
沢口靖子の中学時代
沢口靖子の入学した中学校は堺市立上野芝中学校
沢口さんが進学した上野芝中学校は、当時日本一のマンモス校だったそうで、1学年23クラスもあり、3階建ての校舎を埋め尽くし更に、中庭にプレハブの校舎を建てたぐらい生徒が多かったとか。
沢口靖子の出身中学校は堺市立赤坂台中学校
中学2年生のときに泉北ニュータウンに引っ越ししたため、堺市立赤坂台中学校に転校したそうですが、アットホームな感じで転校生の孤独な気持ちにならずに済んだ沢口さんでした。
沢口靖子の中学時代の部活動は軟式テニス
堺市立上野芝中学校では体操部に所属して、転校先の堺市立赤坂台中学校では体操部がなかったため軟式テニス部に入部したとのこと。
沢口靖子の初恋
沢口さんの初恋は中学時代。
彼女が好きになったお相手は、勉強もスポーツも得意なクラスメイトだったとか。
沢口靖子の高校受験
沢口さんは、セーラー服に憧れて大阪府立泉陽高等学校に入りたいと思ったそうで、第一ゼミナールという学習塾に入って猛勉強していたそうです。
この高校の偏差値は、みんなの高校情報によると67・・・(。☉∆☉)
沢口靖子の高校時代
沢口靖子の出身高校は大阪府立泉陽高等学校
この高校に進学した沢口さんは、中学時代と同じ軟式テニス部に所属していたそうです。
高校時代に市大会でベスト8に入ったくらい強いテニス部だったようです。
部活は、朝練があったり昼練もあったりと、お弁当を食べる時間がないから3限目が終わると4限目までのわずかな休憩時間に早弁するぐらい練習練習の毎日。
真っ黒に日焼けしていた沢口さんでしたが、彼女の美貌は日焼けをしても光り輝いていたようです( ̄∀ ̄)b
沢口靖子の初彼は野球部のキャプテン
野球部のキャプテンが、沢口さんの初彼になるそうです。
初デートの場所は遊園地でしたが、5回くらいのデートで破局することに。
プラトニックな恋愛でしたが、続かなかったようねすね。
沢口靖子の大学受験
大学受験の準備に入る為、高校3年生の5月に軟式テニスを引退した沢口さん。
筆で字を書くのが好きだったことと、書道担当の先生が『こっちの道に進まないか』って言ってくれたことで、字を活かせる書道の先生であったり、社長秘書の道もあると聞いて憧れを抱きながら大学の書道科をめざして勉強に励んでいたそうです。
夏休みは友達と市立中央図書館に通って、ランチはその友達の家で、『笑っていいとも!』のテレビを観ながら食べるのが楽しみだったとか。
大学進学を目指して頑張っていた沢口さんは、幼なじみの友人の推薦で「第1回東宝シンデレラ」に軽い気持ちで応募し、オーディションに参加したのでした。
ここから沢口さんの運命の輪が大きく動き出したようです。
結局、彼女はグランプリを受賞し、大学進学を取りやめて芸能界入りを選択することに・・・。
沢口靖子のオーディションエピソード
軽い気持ちでオーディションに参加した沢口さんでしたが、最終審査に残り東京に行くことになってしまって迷いが出て来たそうです。
字を書くことが好きで、大学に進学したら国語の先生になるか、字を生かした仕事につくのもいいかなと考えていた沢口さんは、軟式テニス部の顧問であり、国語の先生でもあった武田勝治先生に相談したのでした。
大学に進むか芸能界に進むかを相談した沢口さんに、武田戦線は大学(書道)を勧めたそうです。
ですが、沢口さんの父親の考えは違い、最初は猛反対していた父親が「ここまできたら、チャレンジしてみなさい」と背中を押してくれたことで沢口さんは東京へ行くことに。
その結果、3万人以上の応募者のなかからグランプリを受賞した沢口さんですが、受賞した瞬間に「これは私の運命なのだ」と思い芸能界に行く決心をしたのでした。
大学に進学したら、アルバイトで雑誌のモデルぐらいはできるかなと軽く考えていた沢口さんは、モデルではなく役者の道を進むなんてオーディション前には、思いもしなかったでしょうね。
沢口靖子の学生時代に好きだったこと
字を書く意外に好きだったことは、”フエルトでマスコット人形を作る”ことだったそうです。
学生時代に刺繍もやったことがあるそうですが、フエルトでマスコット人形を作る方が好きだったみたい。
歌では、「待つわ」が当時一番好きだったそうですよ♪
沢口靖子の美人するぎる高校時代の黄金伝説
1:登下校では男性生徒が沢口さんの後をついて歩いていたため、常に列が出来ていた。
2:沢口さんが教室いると授業にならないから、彼女は校長室で勉強をしていた。
3:高校には、会員証も発行された沢口靖子ファンクラブがあった。
発起人は知人の弟だったとか。
4:毎朝、彼女が堺東駅まで通う電車には、沢口さん目当ての男子高校生がたくさん乗り込んでいたため、その車両は『沢口靖子専用車両』と呼ばれることになった。
5:沢口さんが、受け取ったラブレターの一通は履歴書だった。
6:沢口さんを守るため「親衛隊」があった。
7:沢口さんに会いたいがために、同じ高校に受験する男子がいた。
8:沢口さんを一目見ようと、他校の男子生徒が押し寄せた。
ものすごい美女の沢口さんならではの黄金伝説ですね(*˙︶˘*)♥
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