ミスユニバース日本代表になったことで、芸能界入りを果たした萬田久子さんですが、現在でも輝かしくご活動されています。
年齢にとらわれない美しさとバツグンなセンス・・・素敵です!
萬田久子さんのご実家は肉屋だと一部で言われているようですが、実際はサラリーのようです。
ここでは「【萬田久子のまとめ】父は運送業で母は仕立て屋で弟が1人!出っ歯だった頃やANA入試~現在を紹介!」と題しまして、萬田久子さんの生い立ちや実家の家族についてお伝えしています。
まずは、生い立ちから・・・最後までお付き合いくださいね♪
この記事のタイトルは2024年11月に「萬田久子の生い立ちと実家や現在の家族構成をまとめて紹介!出身校も!」を上記のタイトルに変更し萬田さんの結婚と分け2記事にしました。
また、お伝えしていることは執筆時や加筆時のものであり、現在では異なる場合がありますのであらかじめご了承の上、お読みくださいませ(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
情報に誤りがあった場合など、ご指摘いただけると幸いです。
目次
萬田久子の生い立ち
萬田久子の出っ歯だった小学校時代
スタディピアを参考にすると、萬田さん母校になる小学校は大阪市大正区の「泉尾東小学校」だそうです。
小学校時代の萬田さんは、優秀で成績はほぼオール5で、学級委員を何度もやったとか。
この時代の歯科検診で、検診を担当した歯科医師に「出っ歯を矯正したほうが良い」とアドバイスをいただいたそうです。
当時の歯の矯正は高額で、当時の実家の家計では無理かと思われたのですが、その歯科医師が「将来、嫁入り道具を買ってやるつもりなら、
そのお金で代わりに歯を治しておいてあげなさい」と更なるアドバイスをした事から、萬田さんの歯の矯正が始まったんだとか。
当時の萬田さんとご両親は、彼女がスユニバース日本代表になって、副賞で嫁入り道具一式をもらうことになる事なんて想像もしていなかったでしょう。
萬田久子の「タコ」「コンニャク」と呼ばれた中学時代
萬田さんの母校になる中学校は、「思い出こみゅ」を参考にすると大阪市立大正中央中学校になるようです。
中学校でも萬田さんは成績優秀で、特に理数系と相性が良かったみたいです。
優秀な萬田さんが選んだ部活は体操部でしたが、半年で退部していまいました。
それは、「タコ」「コンニャク」と呼ばれる程柔らかかった体に恵まれた萬田さんでしたが、腕力がなかったので出来ない技が多かったのだとか。
萬田久子の「マンブー」と呼ばれ、全日空が不合格になった高校時代
萬田久子の出身高校は、大阪府立港高校で2021年2月のみんなの高校情報を参考にすると偏差値は47。
この時代はおしゃれさんが発揮していたようで、何度も遅刻しそうになってもヘアスタイルがバッチリになるまで登校はしなかったそうです。
そんなオシャレな萬田さんでしたが、高校時代の体重は65㎏の三段腹で、あだ名は「マンブー」。
萬田さんがダイエットをしようと決意したきっかけは、男子の「女子プロレスに行けば?」の一言だったそうです。
この一言で20㎏の減量を成功させたのでした。
この時代のダイエットは、ひたすらキャベツを食べ、ご褒美に卵を食べることをしていたそうです。
それプラス1日縄跳び千回と家の拭き掃除を1年間続けた結果、母親から叱られるくらい痩せたそうです。
太ももの隙間から向こうが見えるくらい痩せたので、ダイエットが成功した後は5㎏くらい体重を戻したそうですよ。
フライトアテンダントか美容部員になりたいと思っていた萬田さんで、高3の時にフライトアテンダント志望で全日空(ANA)の入社試験を受けますが、英語が苦手だったためか不合格になってしまったそうです。
萬田久子がホステスのスカウトされ続けた短大時代
萬田久子さんの出身大学は帝塚山短期大学で、2020年のみんなの大学情報を参考にすると偏差値は42.5-50.0。
ヤング時代の萬田さんでしたが30代に見えていたそうで、ホステスのスカウトがしょっちゅうあったんだとか。
上の画像は19歳の時の萬田さんですが、10代とは思えないオーラで、ホステススカウトが納得!
この時代の19歳(短大1年生)のときにミス・ユニバースの日本代表になった萬田さんですが、この時の審査員のお一人が当時インドネシア大統領夫人だったデヴィ夫人だったんだとか。
ミス・ユニバースの日本代表の賞品は、トヨタのスプリンターと毛皮のコートだったそうですが、萬田さんはその毛皮のコートを着てバスに乗って通学していたとのこと。
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