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石川祐希のバレーの歩み
石川祐希が野球からバレーを始めた小学時代
地元愛知県の岡崎市立矢作南小学校に入学した1年生の頃は、サッカーのワールドカップで日本が盛り上がっていた2002年でした。
そのことがあり、石川選手はサッカーに興味を持っていたそうですが、当時の地元にはサッカークラブがなかったそうです。
小3の頃から野球を始めた石川選手でしたが、ある時、1学年上の姉がバレーボールをしていて、その練習について行ったのが、石川選手がバレーを始めるきっかけになったようです。
小学校時代にコーチを務めた樹神直也先生に「1回入ってみろよ」と言われましたが、ルールはなんとなく分かっていたそうですが、アタックのやり方が分からなかったそうです。
短時間で助走の取り方やジャンプの仕方などを教えてもらった後に、参加した瞬間にアタックが決まったんだとか。
当時、始めたばかりだった少年野球からの転向を決意した瞬間でもあったようです笑
石川選手の姿を見て「スゴイな!」と思ったコーチでした。
当時の石川選手は、バレーボールだけではなく、スポーツは何をやってもうまかったそうな。
バトミントン・ボーリング・バスケットボールなどなど、上手いプレーヤーを観察して、形を真似して実践するって感じだったそうな。
バレーを始めた頃の石川選手の身長は、約156㎝で小学校を卒業する頃は160㎝以下だったそうです。
石川選手のバレーボールの歴史で、小学時代はバレーを楽しみながら基礎を育んだようです。
石川選手の地元は、バレーボールが盛んな地域だそうで、矢作南小のバレーボール部は全国有数の強豪チームだったそうです。
小6の時に石川選手は全国大会でベスト8に入る経験をしたことで、バレーボールにのめり込んで行ったそうです。
石川祐希の小学校時代の恩師は樹神直也
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=tkqKBHsC5eg
上の画像は、石川祐希選手が小学校時代にお世話になった樹神 直也(こだま なおや)先生で、2014年の時点での勤務先は六ツ実南部。
石川祐希選手で一番に思い出すことは、「遊びの天才」だったということで、どんな場所にいても、遊びを見つけては楽しんでいたんだとか。
バレーボールで印象に残っていることは、アタックの練習でも楽しんでやっていて、ジャンプ力があるからブロックされてもその上からバンバン打っていたそうです。
石川選手が活躍しているのをみると、当時の石川選手のプレーを思い出すそうですよ。
石川選手のは母親・みどりさんは兄弟の中で一番走るのが遅かったとインタビューで答えていましたが、樹神氏は「運動ができる子」と学校で知られていたと当時を語っていました。
走るのがとくかく速く、バレーボールも持って生まれた運動神経の良さからか、めきめき上達していったとのことです。
石川選手の姉・尚美さんと同じく、石川選手は優しくて面倒見が良い子だったそうです。
小学校時代の石川選手は部活が終わったら家でテレビゲームをしたり、塾に行ったりしている普通の小学生だったと母・みどりさんが当時を振り返ってインタビューに答えていました。
当時の思い出て未だに解らないことが、お弁当を1度だけゴミ箱に捨てられたことだそう。
石川祐希の初めて挫折を味わった中学時代
バレー強豪校の岡崎市立矢作中学校に進学した石川選手。
この当時の身長は約160㎝と低く、対戦相手は石川選手より身長が高かったことで、思う様にスパイクが決まらない日々が続いたのでした。
初めて挫折を味わったようです。
挫折を味わっても、ふてくされる石川選手ではなく、身長の低さを補うためコートに折りたたみ椅子を置いてスパイクで打ち抜く方法の練習法を編み出し、ご自身で考えてはひたすら練習したそうです。
この自ら編み出した練習が、スパイクのフォームの修正に繋がり、コースの打ち分ける技術を身につけることになったとか。
結果オーライなのですが、石川選手の記憶では挫折を味わった期間だったそうです。
2年生になった頃は、グングン伸び出して170㎝になり、3年の時は180㎝以上の身長が伸び、全国大会で3位になったのでした。
石川祐希の中学校時代の恩師は淺井貞人
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=Hzat860Kr90
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=XTD6RZvMzEQ
石川選手の中学校時代の恩師・淺井貞人(あさい さだと)氏で、2014年の時点で六ツ実中で勤務されています。
淺井監督が石川選手を初めて見た時の第一印象は「ちっちゃいな~」だったとか。
「オレのことを忘れないで」と仰る淺井氏ですが、石川選手に考えさせる指導がマッチしたらしく、”うまくなりたい”・”強くなりたい”という気持ちが生まれたそうです。
石川祐希が泣いたエピソード
そのエピソードは秋の新人戦の公式試合の時。
淺井氏曰く、相当痛かったんでしょうね・・・
ん?石川選手が泣いたって?!
石川選手が捻挫をしたため、淺井監督がテーピングで処置をしたんだとか。
その後、テーピングが痛くて石川選手が泣いている姿を見て、淺井監督は「捻挫が痛いんだ」と思っていたそうです。
石川選手と淺井氏が久しぶりに会ったとき、当時の話しになって石川選手が「本当に痛かった」と言っていたとのこと。
記憶に強く残っているのですから、やはりマジで凄く痛かったのでしょう。
石川祐希の弱音
母曰く、石川選手が弱音を吐いたのは1度だけ。
その弱音を吐いたのは、中3の全日本中学選抜の合宿から帰ってきた時だったそうです。
その後の石川選手は、何でも自分で解決してしまうようになったそうな。
石川祐希の中学時代のエピソード
成績は中の上だったそうで、勉強をしなくてもその順位をキープしていたとか。
お腹が弱く、賞味期限が1日でも過ぎた飲み物や食べ物を摂取しただけで、お腹が痛くなっていたそうで、それが唯一の弱点だったみたい。
中2の頃に整体の先生から半身浴のススメがあったことから、1時間くらいお風呂に浸かるようになったそうです。
長風呂なので、携帯電話を持ち込んでいたすですが、たまには、歌っていることもあったんだって♪
この当たりから視力が低下して、2Weekの使い捨てのコンタクトを使用し始めたのでした。
その他のエピソードでは、中3の時に肉離れを起こし、高校2年まで痛くなる時があったそうです。
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