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小川智大のバレーボールの歩み
小川智大がバレーを始めたのは小3でトリッキーなプレーで炸裂していた中学時代
小川選手の姉がバレーボールをしていて、小川選手が5歳くらいから姉の試合をよく観に行っていたそうです。
姉に影響をされ小3で大和ベアーズでバレーを始めたんだとか。
ここでバレーの基礎を教えてもらったそうですよ。
小3でバレーを始めた小川選手ですが、中学に進学してもバレーを続けていたようです。
中1・2ではセッター、中3ではアウトサイドヒッターに転向してトリッキーなプレーで県で2位となり、関東大会に出場。
その後にJOCの選抜選手に選ばれたことでリベロに転向となりご活躍されていたとのこと。
小川智大のセッターをしたことがある高校時代
小川選手が進学した橘高校は、Wikipediaによると”バレーボール部は男女ともに全国大会の常連”だそうで、1、2年の時はリベロで3年はツーセッター&アウトサイドヒッターをしていたとのこと。
小川選手が高2の時に全日本ジュニアオールスタードリームマッチにリベロで出場し、レシーブ力を発揮していたそう。
当時の明大のバレーボールの監督をしていた岡崎吉輝氏が「彼とならバレー界の常識を覆せるチームがつくれる」と考え、その大会で無名だった小川選手をオファーんだとか♪
そのオファーの件を聞いた小川選手は、関東1部校からまだオファーがなかったことで、明大入りを決断したそうです。
小川智大の「絶対的守護神」に輝いていた大学時代
大学に進学をした小川選手のポジションはリベロでした。
小川選手が大学1年の時にキャプテンでありリベロでもあるの瀧野頼太選手から「統率力」と「コートマネジメント力」を学んでいたそうで、当時を振り返ると「いままでやってきたことは子どものバレーだったと思い知らされた1年間」だったそうで、大学2年からリベロでスタメンでご活躍され、超人的なレシーブで幾度となくピンチを救っていたそうな。
その輝くようなリベロ力は素晴らしく、キャプテンになった大学3年で「秋リーグ戦でリベロ賞を初受賞」し、大学4年で「アジアカップでベストリベロ賞」を獲得して名実ともに大学ナンバーワンリベロとなった小川選手でした。
キャプテンになってからは大学の全国大会「インカレ優勝」の目標を掲げていたそうですが、「優勝」は残念ながら叶わなかった大学4年の時に「インカレ3位」とい結果を残しています。
2018年10月、ウルフドッグス名古屋(豊田合成トレフェルサ)に入団が決定し、内定選手としてV1・レギュラーラウンドに計5セット出場しご活躍されました。
こんなスーパーリベロの小川選手ですが、後輩からは「普段は遊んでばかりいますが、練習中は真剣に取り組み、オンとオフの切り替えが完璧な人」と言われている人格者のようで、「SNS上では「応援ありがとうございました」「頑張ります」など良い人ぶっていますが、自分(後輩)の知っている限りでは1番大学生生活をエンジョイしていると思います。」とオンオフをきっちり分け、オフは弾けていたようです。
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