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小野寺太志の両親は元バレー選手で兄弟は?結婚はデキ婚?子どもは?バレーの歩みと家族をまとめて紹介!

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小野寺太志の生い立ちやバレーの歩み

出典:小野寺太志Instagram

小野寺太志の幼少期~中学時代まで

小野寺選手のご両親は、友達に呼び捨てしてもらいたい名前の画数や人生に良い影響がある画数を考え「太志」と命名したそうです。

すくすくと育った小野寺選手の幼少期はポッチャリくんで、ご両親は、そんな小野寺さんをシェイプアップするためにスポーツをさせようと考えたのでした。

母親はバレー以外のスポーツをさせようとして、小野寺選手は小3から始め中学3年の夏まで野球をしていたとのこと。

因みに、小3の頃の身長はすでに170㎝だったそうですよ。

小学時代から高身長だったことで野球部の顧問に目の敵にされ、「上から見下ろすな」とか「目つきが悪い」等を言われ試合にも出してもらえなかったようです。

中2になると小野寺選手を目の敵にしていた顧問が異動することになり、NEW顧問を迎入れた野球部でした。

新しい顧問は、小野寺選手を少しずつ試合に出場させてくれたようです。

野球部引退後の中3の夏に父親から全国都道府県対抗中学バレーボール大会の宮城県選考会への参加を勧められたことがきっかけで、バレーボールに転向することにした小野寺選手。

JOCの宮城県選抜の選考会からお初のお声がけを頂いたのは中2の時で、その時は野球をしていることを理由に断ったそうですが、中3の時のお声がけを頂いた時は、父親から「選考会に行け」と言われたのでした。

それから1週間後の選考会までに、父親との付き合いがある元日本代表の天才セッター古川靖志氏がコーチを務める女子大学のバレー部で特訓を受けることに。

女子の中で男子は小野寺選手一人だけの状態で練習をしたのですが、女子の中に男子が一人状態で目立つのに、更に下手くそなプレーで目立つことになった思春期真っ只中だった199㎝の小野寺選手。

その練習は、小野寺選手曰く、「人生の黒歴史になった」とのこと。

その時の小野寺選手は、ご自身がオリンピア候補になるとは夢にも見ていなかったのでした。

小野寺太志の怒濤の2011年3月11日

中3の卒業式が無事に終わり、幼なじみの家族と小野寺家が温泉旅に行こうと用意をしていた出発前の5~10分前に東日本大震災を経験したのでした。

実家は高台にあった為ご自宅は無事だったことから、避難所での生活はしなかったとのこと。

ですが、ライフラインが使えないため、不自由が生活を過ごすことになったようです。

小野寺選手は、同級生たちと地域のボランティア活動に参加したりして過ごし、「当たり前の日常」に感謝するようになったとか。

小野寺太志のサラブレッドな問題児だった高校時代(2011-2014年)

出典:小野寺太志Instagram

東北高校に進学した小野寺選手で、所属したのは野球部ではなくてバレー部でした。

北高のバレーボール部の監督は、同校OBでもある父親を「絶対、日本の宝になる」と言って口説いた為、小野寺選手は選択の余地がなくバレー部に入部することが決まっいたそうな。

この時代から小野寺選手は、本格的にバレーを始め、バレーを中心しにした高校時代を送ることになったようです。

部活動を優先していた高校だそうで、小野寺選手はいろんな合宿に参加することが出来たとか。

小野寺選手曰く、「高校時代は問題児だった」とのこと。

1年生から”問題児だった”小野寺選手、部活でやりたくない練習をサボったり、部の規則を破ったりして、先輩に良くしてもらいながら要所要所怒られていたという、ほのぼのとした青春を感じさせるような「問題児」だったようです。

部活動を優先してくれる学校のカリキュラムだったことから、小野寺選手の高校時代は休みなくバレーボールに明け暮れていたと言っても過言ではないくらいバレー漬けだったとか。

小野寺太志のバレーの基礎を学んだ高1時代

父親の母校に進学してすぐに、MB(ミドルブロッカー)に転向した小野寺選手は、1年生の時からスタメン出場でしが、ルールを学んでいる最中の小野寺選手だったので、ローテーションも知らない状態で試合に出ていたそう。

監督や仲間から「ここに立って」と指示を受けながらコートに立っていたそうです。

ボールが来たらブロックしたり、スパイクをしたりして活躍するも、小野寺選手は当時を振り返って「ネットの前でくるくるしてるだけ」と答えていました。

小野寺太志のジャンパー膝で苦しんだ高2時代

高2になるとユース男子日本代表に選出された小野寺選手でした。

そうそうたるメンバーが集まっていて、石川祐希選手・高橋健太郎選手や永露元稀選手などと共に世界を相手に戦っていたのですが、小野寺選手はジャンパー膝で痛みと闘っていたようです。

試合に出場することを強く望んでいた小野寺選手を医師が出来る限りの処置をしてくれたことで、スタメン出場ができ活躍して結果銅メダルを獲得したのでした。

そのほか、高2の春高バレーの最後の試合は忘れられない試合で、東洋高と戦い、終盤に逆転されて負けてしまったそうです。

悔しく、涙したその試合になり、今でも「悔しかった」ことが印象に残っているとか。

小野寺太志のオリンピアになると言われた高3時代

小野寺選手が高3の時に、2020年の東京オリンピック開催が決定したのでした。

当時の小野寺選は、本格的にバレーを始めて数年の生れた子羊ちゃんがよちよち歩き出したような状態でしたが、周りは小野寺選手に「オリンピック選手になる」と言ってくれていたようです。

当時の小野寺選手は、ご自身がオリンピアになるなんて考えてもいなかったんだとか。

高3でも日本代表に選出され、2013年にメキシコで開催された世界ユース選手権でご活躍されたそうですよ。

小野寺太志と同世代の仲間

小野寺選手と同世代の仲間は、石川祐希選手・高橋健太郎選手や永露元稀選手などだそうです。

ゴージャスでそうそうたるメンバーなのですが、小野寺選手は付き合いが長いからか、気心が知れて何でも話しやすいメンバーなんだって♪

小野寺太志はハイキュー!!のウシワカのモデル?

小野寺選手の通っていた東北高等学校に「ハイキュー!!」の作者・古舘春一氏が何度も取材に来ていたそうです。

そのことで、マンガ「ハイキュー!!」で登場する白鳥沢学園高校は東北高校だと思っている小野寺選手。

そして、白鳥沢学園高校の牛島 若利(うしじま わかとし)こと”ウシワカ”のモデルになったのがご自身だと思っているそうですが、別のキャラクターではないかというお声もあるんだとか。

それは、 角川学園高校の百沢 雄大(ひゃくざわゆうだい)で、身長は201.2cmのウイングスパイカー。

バレーを始めたのは高校に入ったからとう設定だそうなので、小野寺選手がモデルになったのは”百沢”と言われいるようですよ。

小野寺太志の大学時代(2014-2018年)

出典:小野寺太志Instagram

小野寺太志が東海大学進学を決めた理由

小野寺選手の父親の出身大学は順天堂でしたが、父親は日体大に行って欲しかったようで、その他のいくつかの大学からもお声がけがあったそうです。

ですが、小野寺選手が選んだ大学は東海大学。

ユースで一緒だった久原翼選手や椿芽久選手がいたことと、高校の時の1~2年の先輩が進学していたこともあって、その方々とまた一緒なチームでプレーしたい気持ちが強かったそうな。

一番の理由は、久原翼選手がいたからで、ユースの時にとても親切にしてくれたからだそうですよ。

小野寺太志の大学1年2014年ー2015年エピソード

東海大に進学した小野寺選手は、バレーボール部の積山和明監督から「2m越えの選手で上手な選手はあまりいないが、非常に器用な選手」と高く評価されていたようです。

大学1年の6月に2020年東京オリンピックの強化指定選手の「Team CORE」のメンバーに選出された小野寺選手で、進学したての頃のご自身は「ちょっと頑張れば試合に出場できる自分」と舐めていて、周りも「小野寺ならすぐ試合に出場できる」と言ってくれていたこともあって、自信満々だったとか。

バレー部では「チーム一丸全員バレー」という言葉があり、チームの誰かが手を抜けばダメになるから全員が全力で練習していることを知った小野寺選手。

そのことから意識の変化が起こり、「チーム全員で日本一を目指す」の言葉を胸に努力をしたそうです。

小野寺太志の大学2年2015年ー2016年のエピソード

2015年4月・大学2年になると全日本メンバーに初招集された小野寺選手でしたが、シニア代表に登録はされたもの、活躍が出来ず「登録だけ」で終わったようです。

小野寺太志の大学3年2016年-2017年のエピソード

大学3年になると日本代表の合宿に参加した小野寺選手でしたが、行ってみると「どんな感じなのかな。練習何するのかな」とワクワクしていた気持ちがぶっ飛び、ピリピリとした雰囲気が悪い環境の中に入って行かなければならなかったようです。

入ることに躊躇していると清水邦広選手が話しかけてくれ、なんとかチームに入ることができたんだとか。

リオ五輪のOQTで負けた後で、代表選手のメンタルやモチベーションが落ちている時の参加だったようで、ちっとでもミスったらkoroされるんじゃないかと思うくらいの雰囲気と緊張感が漂っていたようです。

小野寺太志の大学4年2017年-2018年のエピソード

2017年のワールドリーグ崑山大会に出場し、シニア代表デビューを果たした小野寺選手。

中垣内ジャパンとなった2017年から小野寺選手は活躍出来る場を与えられたようですが、ポジションはMBではなくサイドアタッカー(レフト)。

中垣内監督の「石川祐希以外2メートル計画」があっため、小野寺選手はサイドアタッカー(レフト)としてグランドチャンピオンズカップに出場することになったそうです。

その頃の小野寺選手は心が折れそうになりながら毎日過ごしていたようで、ブラジル戦のスタメンで起用された時はボコボコにやられちゃったんだって(T_T)

大学ではキャプテンを務めていましたが、同級生の中で話し合った結果、小野寺選手がキャプテンに指名されたんだとか。

大学4年生の6月に所属するVリーグを決めたようです。

 

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こんにちは! あんびと申します。 犬が好きすぎて数頭のわんこを保護し、 ペット看護師の資格とペットセラピストの資格も取得して、 犬のために生きているような日々を過ごしているおばちゃんです。 こんな私ですが、よろしくお願いします。