素晴らしい経歴の持ち主で、日本バレーボール界のプリンスと呼ばれた柳田将洋選手の大学卒業後から現在までのバレーのあゆみなどをここでお伝えしています。
旧記事のタイトルは「柳田将洋のサントリー復帰した理由は?サンバーズメンバーは誰?エピソードも紹介」でしたが、2023年4月にリニューアルをしまして、「柳田将洋の現在や年収は?大学卒業後から現在までのバレーのあゆみやエピソードを紹介!」と題しました。
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この記事でお伝えしていることは執筆時のものであり、現在では異なる場合がありますのであらかじめご了承の上、お読みくださいませ(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
また、情報に誤りがあった場合など、ご指摘いただけると幸いです。
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目次
柳田将洋のプロフィールや略歴&背番号8の思い入れと年収
柳田将洋のプロフィール
名前:柳田将洋(やなぎだ まさひろ)
生年月日:1992年7月6日
出身地:東京都江戸川区
出身高校:東洋高等学校 (2011年3月卒業)
高校のあだ名:神(かみ)・・・ストイックで妥協を一切しなかったため
出身大学:慶応義塾大学
身長:186㎝
体重:80㎏
血液型:O
利き手:右
スパイク:335cm
ブロック:315cm
所属:ジェイテクトSTINGS(2023年4月時点)
所属事務所:株式会社アミューズ
柳田将洋の背番号8の思い入れ
2016年リオデジャネイロ五輪の切符を逃した最終予選でつけていた柳田選手の背番号は「8」でした。
柳田選手はその悔しさを忘れないためにその直後から背番号は「8」の数字を希望してきたそうですよ。
柳田将洋の大学卒業後の略歴
サントリーサンバーズ:2015-2017年
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ビソンズ・ビュール (Volleyball Bisons Bühl):2018-2019年/ドイツ
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クプルム・ルビン (Cuprum Lubin):2018-2019年/ポーランド
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ユナイテッド・バレーズ・フランクフルト (United Volleys Frankfurt):2019-2020年/ドイツ
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サントリーサンバーズ:2020年-2022年
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ジェイテクトSTINGS:2022年-2023年5月
柳田将洋の推定年俸は1500万円
2020年の社員選手の年収の平均は700万円台と言われているなかで、柳田選手の推定年俸は1500万円台だそうです。
年俸の他に、バレーボール関連用品の会社と契約していたり、サポーターズクラブからの収入などなどを考えると、年収は億超えになると思われます。
日本代表に選ばれたり、ワールドカップや五輪で活躍するとさらにアップするようですよ♪
柳田将洋の2015-2017年サントリーサンバーズでのあゆみ
2014年10月にサントリーサンバーズからお声がけがあった事で、Vリーグのサントリーへ入団した柳田選手でしたが、2015年に人気バレーボーラーに!
日本代表に選出されていた柳田選手でしたが、その年の4月に当時の監督南部正司氏が「柳田選手」・「石川祐希選手」・「山内晶大選手」・「高橋健太郎選手」を「NEXT4」と発表したのでした。
その年に日本で開催されたワールドカップで、ほぼ全試合にレギュラーとして出場した柳田選手のファンが一気に増え、ワールドカップ後に開幕したVリーグの試合にも柳田選手目当てのファンが押し寄せ、安全を考慮して選手通路と客席の間に臨時の鉄柵がつくられたほど人気炸裂したようです♪
所属していたサントリーサンバースの練習を見学に訪れるファンの数が10倍アップしたとか。
「NEXT4」のユニットに参加していた時は、柳田選手以外は大学生だったそうで、そのユニットに選ばれた時のは自分が選ばれたことに驚いていたそうですが、「せっかくいただいたチャンスだから、プラスに捉えて生かしたい」とインタビューに答えていたそうです。
人気炸裂してもファンに対して距離を縮めようとしていなかった柳田選手でしたが、急すぎてビックリしていてどうしていいか分らなかったそうです。
その他、「プリンス」や「イケメン」と取り上げられていた当時の柳田選手でしたが、そのことに対して曰く、「まあいい気分はしないですよね。恥ずかしいというか。」とのことで、お好きにどうぞ的な感じだったとのこと。
そんな事より、実力が評価されているのか否が気になっていたようです。
そんな環境に満足しながら順調に過ごしていた柳田選手は、石川祐希選手に刺激を受け、一つひとつ踏むべきステップを改めて考えてみたそうです。
そうすると驚くほど時間が限られている現実を知り、プロ転向と海外挑戦することに決め、Vリーグ2年目のシーズンを終えた2017年4月24日に退団を発表した柳田選手でした。
その発表当時は、まだヨーロッパのチームを探している段階でしたが、その後2017年6月21日ドイツのビソンズ・ビュールで活躍することを発表されました。
柳田将洋の2015-2017年のあゆみのまとめ
2015年3月14日:Vプレミアリーグ・ファイナル6の対パナソニック戦に途中出場し、Vリーグデビューを果たす
2015/16シーズンレギュラーラウンドでは全試合に出場し、最優秀新人賞を受賞
2017年4月24日:サントリーサンバーズは柳田が黒鷲旗大会をもって退団する
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2017年4月24日:プロ契約選手として海外移籍することを発表
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2017年6月21日:ドイツ・ブンデスリーガ1部のTVインガーソル・ビュールへの移籍と、株式会社アミューズとの契約を発表
柳田将洋の2017-2018年ドイツ・ティービー・インガーソル・ビュール (TV Ingersoll Bühll)でのあゆみ
2017年6月21日にドイツ・TV Ingersoll Bühll(ティービー・インガーソル・ビュール)に移籍すると柳田選手をサポートすることになったアミューズから発表されましたが、契約金などは非公表でした。
同年9月20日に日本を発ち、チーム合流後に行なわれたイタリアでのカップ戦で大活躍をし、MVPに輝きチームの優勝に貢献した当時25歳の柳田選手でした。
当時、古賀太一郎選手、石川祐希選手が先にヨーロッパにいて、柳田選手がドイツで活躍すようになると、3人で話すことがあり「ヨーロッパに3人いるじゃん!」って盛り上がったりていたとか。
2017年のクリスマスには、ドイツの男子バレーボールリーグでプレーしていた大竹壱青選手と一緒に過ごしたそうで、「ミュンヘン」に行ってリフレッシュして来たとか。
普段は休日が合うことが難しかった大竹選手と柳田選手でしたが、ときどき連絡を取って互いの現状を報告し合ったりしていたそうですよ。
イタリアでプレーしていた石川祐希選手とは、電話で話していたそうで、イタリアのバレーの事を細かく教えてくれることから、石川選手との時間は貴重だったそうです。
日本に住んでいた時は時差を気にしていたそうですが、ドイツに来てからは気兼ねなく電話が出来るようになったことで、”ちょくちょく電話”でやり取りをしていたそうです。
ドイツでの生活は、アウェーで試合した翌日は基本的に何もせずで、ホームゲームの次の日は出掛けることもしていたそうでが、休みの日は、お昼頃に起きそこから炊事洗濯をして1日を終えていたとのこと。
柳田将洋のドイツでの愛称は「ハンターマサ」
ドイツチームに移籍して、2戦目から柳田選手にキャプテンマークがついたそうで、何故ご自身がキャプテンになったのか詳細は分らなかったとのこと。
キャプテンとしても活躍していた柳田選手の愛称は「ハンターマサ」。
ドイツのチームでは、ひとつのプレーで点を取れる選手が「ハンター」と呼ばれるそうで、柳田選手のニックネーム「マサ」と組み合わせられて「ハンターマサ」になったとか。
この愛称は、リーグのマーケティング会議で話し合われた末に決まったとのことで、柳田選手は、歓迎されているのを感じられて嬉しかったようですよ♪
柳田将洋がドイツリーグを選んだ理由
柳田選手自身こだわりはなかったそうで、「自分を欲しいと言ってくれるチームが出て来たから」だそうです。
優先順位は「呼んでもらった」だそうで、強すぎるチームやリーグに行っても、ご自身がコートに立てなければ何も得られないという理由もあったこともあったんだとか。
チームからは「コートに立たせたい」と言ってくれていたそうで、柳田選手は「日本人で186cmのサイドをコートに立たせてくれるなんて」と嬉しく思ったそうです。
柳田将洋の2017-2018年あゆみのまとめ
2017年6月21日:ドイツ・ブンデスリーガ1部のTVインガーソル・ビュールへの移籍と、株式会社アミューズとの契約を発表
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2017年7月1日:アシックスジャパン株式会社とのアドバイザリースタッフ契約を締結
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2017年10月14日:ユナイテッド・バレーズ・レインマン戦にてドイツ・ブンデスリーガ1部デビュー
MVPを受賞
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2018年4月10日:バレーボール男子日本代表の主将に就任
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2018年6月8日:昨年7月1日に締結していたアシックスジャパン株式会社とのアドバイザリースタッフ契約を延長
柳田将洋の2018-2019年ポーランド・クプルム・ルビン (Cuprum Lubin)でのあゆみ
2018年7月26日にPlus league のCuprum Lubin と正式契約を締結を自身の公式ツイッターで発表した柳田選手。
ドイツからポーランドへ主戦場を移した柳田選手でしたが、”ドイツ経由ポーランド行き”を描いていて、それは「強化プラン」の一つだったとか。
目指していたポーランド1部リーグのクプルム・ルビンへ移籍し、リーグの中盤からレギュラーで活躍していた柳田選手でしたが、終盤になって左足首にけがをしていまったようです。
最初は軽度の負傷と思われていたそうですが、検査をしてみると前距腓靱帯(ATFL)を損傷し、内果に亀裂骨折が生じていることが確認されたことで、日本で治療とリハビリを継続することに決め、帰国すると2019年2月20日に柳田選手が所属しているチームのルビンから発表があったようです。
そして、翌日の21日に柳田選手のインスタで「先日受傷した左足首の怪我の診断により、受傷箇所の怪我の回復を最優先するため、厳しい決断ではありましたが、チームを離れ、日本で治療に専念するという判断をいたしました。」と報告が。
帰国後の柳田選手は、リハビリとトレーニングの繰り返したのでした。
柳田将洋の2018-2019年あゆみのまとめ
2018年7月26日:2018/19シーズン、ポーランドのプラスリーガ、クプルム・ルビン (Cuprum Lubin) と1年契約が締結された
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2018年10月12日:ONICO Warszawa戦にてスタメンデビュー
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2018年11月7日:MKS Będzin戦にてMVPを受賞
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2018年12月12日:Jastrzębski Węgiel戦にてベストプレイヤー賞を受賞
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2018年12月21日:Aluron Virtu Warta Zawiercie戦にベストプレイヤー賞を受賞
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2019年2月1日:GKS Katowice戦にて2度目のMVPを受賞
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2019年2月21日:試合中に負った左足首の亀裂骨折の治療のため、チームを離脱し日本へ帰国する
その機内で上映されていた映画「ボヘミアンラプソディ」を観て、機内の枕がビチョビチョになるくらい号泣した
柳田将洋の2019-2020年ドイツ・ユナイテッド・バレーズ・フランクフルト (United Volleys Frankfurt)でのあゆみ
ドイツ1部リーグのユナイテッド・バレーズに移籍すると、2019年5月20日にアミューズから発表されました。
このチームで活躍し、リーグ戦8連勝で2位と勢いに乗っていたチームでしたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、ブンデスリーガ(ドイツの男子バレーボールリーグ)は3月半ばで中止することに。
柳田選手は再開されることを期待しながら3月17日に帰国されました。
帰国後は2週間ホテルで待機して、その数日後に日本代表に合流しましたが、4月7日の緊急事態宣言で代表活動までも中止となりました。
自宅でできるトレーニングをして調整をしていたそうです。
この頃の勝負ソングは「King Gnu」。
柳田将洋の2019-2020年あゆみのまとめ
2019年5月22日、ドイツ1部リーグのUnited Volleysとの契約を締結
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2019年10月、ワールドカップバレー2019に出場
柳田将洋の2020-2022年サントリーサンバーズでのあゆみ
柳田選手のマネージメントを行っているアミューズから、柳田将洋がサントリーサンバーズと契約締結したことの発表があり、柳田選手のSNSでも「ご報告」としてサンバースと契約を結んだことの報告が2021年6月7日にありました。
柳田選手がサントリーに復帰した理由を「在籍中はチームに貢献できず、海外に行っても常に声をかけてもらっていた。日本で戻るならサントリーしか考えなかった。それが僕のプロとしての矜持」と語っていたようです。
サントリーサンバーズに復帰後は、2020-21V.LEAGUE優勝、21-22 V.LEAGUE連覇ならびに第70回黒鷲旗の優勝と大活躍したのでした。
そして、ご自身のSNS上で20022年5月31日にサントリーサンバーズを退団する事を発表した柳田選手。
サントリーサンバーズでVリーグ連覇というこれ以上ない結果を残すことができて「新たなチームで、新しいチャレンジをしてみたい」という気持ちが強くなり移籍を決意したようです。
別のチームで同じ事ができるのかを考えていた柳田選手でした。
柳田将洋の2020-2022年あゆみのまとめ
2020年3月2日、トータルボディケアブランド「ドクターエア」のスペシャルアドバイザーに就任
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2020年5月17日、バレーボールを通して得た競技のスキルやさまざまな知識・経験を発信していく「Yanagida Masahiro Academy “Garden”」をスタート
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2020年6月1日、サントリーサンバーズと契約締結したことを発表
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2021年4月4日、2020-21 V.LEAGUE DIVISION1 MENでは、サントリーの14シーズンぶり8度目の優勝に貢献し、ベスト6を受賞
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2021年4月5日、2021年度日本代表登録メンバーが発表され、柳田も選出されるが、主将は石川祐希が抜擢される
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2021年5月20日、ネーションズリーグの代表メンバー17人が発表されるが、落選。
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2021年9月24日、SNSで一般女性との結婚を発信
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2022年4月4日、2022年度日本代表登録メンバー入りはならず落選。
リーグでは、サントリーサンバーズの連覇に貢献し、ベスト6を受賞
第70回黒鷲旗全日本選抜大会でもチームの前大会に続いての連覇に貢献し、ベスト6も受賞
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2022年5月、テヘランで開催されたアジアクラブ選手権大会にグループ予選含め全6試合すべてスタメン出場
ベスト1stアウトサイドヒッターに輝いく
2021/22シーズンをもってサントリーサンバーズを退団することを発表
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2022年7月1日、ジェイテクトSTINGSに移籍を発表
柳田将洋の2022年-2023年ジェイテクトSTINGSでのあゆみ
2022年7月1日、ジェイテクトSTINGSに移籍をご自身のSNSで発表した柳田選手。
ジェイテクトは柳田選手の他に、西田有志選手や関田誠大選手も加入することになり、バレーボールファンの間では「ドリームチーム」と呼ばれ話題になったとか。
柳田将洋がジェイテクトを選んだ理由
Vリーグチーム「ジェイテクトSTINGS」が速い段階でお声がけをしていたことが1番の理由になるのかもしれませんが、このチームだとアウトサイドの仕事が増えるんじゃないかなとは思うこともあってなんだとか。
柳田将洋の2022年-あゆみのまとめ
2022年7月1日、ジェイテクトSTINGSに移籍
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2023年4月、日本代表登録メンバーに選出
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2023年5月2日、ジェイテクトSTINGSを退団
柳田将洋の2023年-2024年東京グレートベアーズでの歩み
東京グレートベアーズと2023-24シーズンの新規選手契約を締結をした柳田選手。
ご活躍が楽しみです♪
この先も柳田選手のバレー人生は続きますので、追記を予定しています。
ご訪問頂きまして、ありがとうございます。
この記事の参考元:当サイトの旧記事・ZAKZAK夕刊フジ2020.6/3 ・オリンピックチャンネル2020 8月 04 ・web Sportiva2022.08.12・web Sportiva2020.05.18・web Sportiva22018.02.16・web Sportiva2018.02.14・web Sportiva2017.10.03・web Sportiva2017.05.21・REAL SPORTS2020.06.15・4years.2020/05/29・4years.2019/09/29・バレーボールマガジン2022-05-31・バレーボールマガジン2020-06-01・バレーボールマガジン2019-02-22・バレーボールマガジン2018-07-26・バレーボールマガジン2017-06-21・バレーボールマガジン2017-09-21・バレーボールマガジン2017-09-01・スポニチ2022年5月31日・スポニチ2018年9月28日・スポニチ2017年6月22日・スポニチ2017年6月21日 ・DIGEST2021.01.09・ONE NUMBER MBS 毎日放送・中日スポーツ・東京中日スポーツ2020年6月2日・TBS NEWS DIG2022年7月11日・柳田将洋Instagram・ほか
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