山西惇の若い頃は会社勤務と役者の二足のわらじ

出典:山西惇@8024atc
京都大学卒業後、教授が推薦してくれた合成潤滑油メーカーに研究者として就職して約4年間勤務した山西さんでした。
就職先の兵庫県西宮市ではカメラのレンズを磨く液を研究していたとか。
入社して1年目は作業着を着て研究の日々だったそうです。
2年目に生瀬勝久氏が大学時代のときの劇団の4代目座長になると耳にしたことで、どうしても一緒に芝居をしたくなり、週末や就業後に劇団に出て仕事と両立させていた山西さんでした。
そして忙しく月日が過ぎ、生瀬氏が座長に就任してはじめての東京進出の作品「冬の絵空」の演出を山西さんが担当することに!
ですが、会社のハワイ研修と初の東京公演が重なってしまい、会社員か役者の道かの選択を追われた山西さん。
山西さんが運転する車中で生瀬氏に相談したところ「食うくらいなら、何とかなるで」と言われ、肩をポンッと押されたことで役者の道を選択。
1991年12月の暮れが近い頃の決心で、その後に29歳で会社を退職し、役者1本の人生を進むことにしました。
それから生瀬勝久氏と共に数々の舞台を作り上げ、2001年の39歳の時に二人揃って劇団を退団し、同年テレビドラマ「相棒」に出演し全国的にな知名度を得たのでした。
ドラマや映画の他に、クイズ番組などにも出演をしてご活躍をされている山西さんでした。
山西さんが、唯一夢中になれたのは芝居だったそうですよ。
「食うくらいなら、なんとかなるで」“(⌯¤̴̶̷̀ω¤̴̶̷́)✧
この一言がなかったら、山西さんは俳優をしていなかったかもしれないとか。
生瀬氏自身が同志社大学を卒業する際、ある企業から内定をもらっていながら「1回きりの人生なんやから、ホンマに好きなことをしたい」と誓約書にハンコを押す直前に役者を選択したことを知っていた山西さんだからこそ”あの一言”が心に響いたのかもしれませんね。
お芝居をしながら、アルバイトをして生活をしていたとのこと。

出典:相棒X
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