大地真央さんと言えば、何故か老けなく身長が166㎝のゴージャスな俳優のお一人。
そんな大地真央さんを検索すると「病気」のワードが挙がっていますが、元気に美しく病気に無縁でご活躍されています。
本名は森田 真裕美(もりた まゆみ)さんで、兵庫県洲本市で1956年2月5日にご誕生されました。
オーラが半端ない美しい大地真央さんの国籍は日本で、父親が淡路島出身・母親が横浜出身であることから、「淡路島と横浜のハーフ」と舞台『夫婦漫才』の製作発表で語っていたことから「ハーフ」で検索されるようになったようです。
そんな大地真央さんの生い立ちの他に裕福だったご実家の家族や、2回のご結婚や現在の家族をお伝えしていますので、最後までお付き合いくださればと思います。
この記事は、2025年5月15日に「大地真央の生い立ちや実家と結婚後~現在の家族構成をまとめて紹介!出身校やエピソードも!」から上記のタイトルに変更し、加筆いたしました。
この記事でお伝えしていることは加筆時のものであり、現在では異なる場合がありますのであらかじめご了承の上、お読みくださいませ(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
また、情報に誤りがあった場合など、ご指摘いただけると幸いです。
目次
大地真央の生い立ち

出典:九龍DEATH👤@coolong99999999
大地さんがご誕生されたときの父親の歳は42で母親は38でした。
両親に大切に育てられた大地さんは、ご自身曰く、「活動的だけど、意外と引っ込み思案」と。
活動的に見える大地さんが・・・って感じで意外ですよね。
例えば、音楽会で花形のピアノに選ばれたのに辞退したり、のど自慢大会では、直前で「ダメ」と思い舞台にあがれなかったりとかで、「活動的だけど、意外と引っ込み思案」ということみたい。
以下では、淡路島の洲本市ご出身の大地さんの幼少期からお伝えしています。
大地真央の舞妓に憧れていた幼少期
舞妓さんに憧れていた幼稚園時代の大地さんで、その頃の習い事は習い事は、ピアノと日舞だったとか。
ですが、ちょっとしか続くことはなかったそうな。
幼稚園時代に初恋をしていて、その男子の名前はケイスケ君。
大地真央の一人女子力を育んでいた小学時代
大地真央の出身小学校は洲本市立洲本第ニ小学校
クラスのリーダー的な存在だった大地さんで、その頃から泣き顔を鏡で観察して、かわいく見える角度を研究していたとか。
大地真央の小学時代のエピソード
この頃は、毎日のように大浜海岸や三熊山で遊んでいたようで、三熊山ではロッククライミングのように山登りを楽しんでいて、大浜海岸では泳ぎで楽しみ、その他は男子とチャンバラをしたりして遊んでいた大地さんは真っ黒に日焼けをしていたそうです。
外では、活発な大地さんですが、家の中では完全に女の子だったそうで、タオルケットをドレスのように巻きつけてお姫様ごっこなどをしたりして女子力を育んでいたよう。
この頃の好きな遊びはホステスごっこだったとか。
負けず嫌いだったらしく、姉とケンカをしても一歩も引かなかったそうです。
大地真央の俳優の道を進むけっかけになった中学時代
大地真央の出身中学校は洲本市立洲浜中学校
大地さんはこの学校で、演劇部を創設したそうです。
大地真央の中学時代のエピソード
大地さんが女優になるきっかけになったのは、義理の兄がやっていた素人劇団の舞台を観たことだそうです。
その後、父親に相談しましたが、彼女の父は大反対をしたとか。
父親の戦友が大の宝塚ファンで、「宝塚音楽学校なら軍隊並みに規律が厳しいから、安心して預けられる」と聞いた父親は、「どうしてもやりたいなら、宝塚を受けてみるか?」と言ってくれたそうです。
宝塚の舞台を一度も観たことがなかった大地さんでしたが、ほかに選択肢がないことから宝塚音楽学校へ進むことにした彼女でした。
その道に進む事を決心した大地さんに残された時間は約4ヶ月。
その間の彼女はクラシックバレエと声楽の猛レッスンを受け1年目で合格することができたのでした。
洲本市から船に乗って神戸を通り宝塚へレッスンに通っていたようで片道3時間かかったとか。
大地さんは、レッスンよりも元町、三宮の商店街を歩いて阪急電車に乗って通うのが凄く楽しみだったんだって。
大地真央の中学卒業後に進学した宝塚音楽学校
宝塚音楽学校に入った時の大地さんの成績は49人中42番。
寮生活だった大地さんは、学校、寮ともにルールの厳しさは噂どおりで、1年間は規則を守るだけで終わってしまったという感じなんだそうです。
宝塚音楽学校のエピソード
70〜80人の先輩全員の芸名、本名、ニックネームを覚えた大地さん。
そんな大地さんは、サボりたいピアノの授業で、包帯を巻いてツキ指のフリをしたり、授業をさぼって遊園地でジェットコースターに乗っりしてちょっとした青春を謳歌していたようです。
宝塚歌劇団時代

出典:ᗩKKᗩᑎ ᐯᗩᗪᕮᖇ@Akkan_Vader
1973年、59期生として一発合格をし宝塚歌劇団に入団した大地さんは17歳。
宝塚の舞台を一度も観たことがなかった大地さんは、初めて観劇した時に「なんて華麗で美しい、夢のある世界なんだろう」と感激し、男役になろうと決めたとか。
1974年4月に月組に配属。新進男役スターとして早くから注目されるましたが、1975年にシングル「悲しみのアイドル」でアイドル歌手としてデビューした大地さんだったのです。
約1年半はアイドル歌手として活動し、活躍中は宝塚の舞台は休演していたとか。
アイドル時のキャッチフレーズは「まぶしいアイドル太陽の19歳」で、地方をキャンペーンでまわってサイン即売会をしていて、みかん箱の上でも歌っていたそうです。
大地真央の芸名の由来
大地真央さんの「大地」は、一番上の姉の提案で、「真央」は大地さんご自身が幼い頃から考えていた名前だったそうです。
大地真央の宝塚エピソード
1977年の舞台「風と共に去りぬ」の機関士役で初出演を果たした時に、ハゲヅラを自作して演技の中で帽子を脱ぐと、客席が爆笑。
それにつられて他のタカラジェンヌも爆笑してしまい、その後、探究心が旺盛だった大地さんは、スタッフに厳重注意されたとのこと。
大地真央の宝塚時代の失敗
大地さんはズボンのファスナーを開けたままステージに出てしまったり、袴の片方に両足を入れてしまったり、オケボックスに靴を飛ばしてしまったりという失敗があるようです。
そのほか、カツラが取れてセンターパーツのおかしな髪型が見えちゃったりと・・・。
大地真央と黒木瞳のエピソード
1982年には宝塚歌劇団の月組男役のトップスターに就任した大地さんで当時26歳。
そんな大地さんの相手役は黒木瞳さんでした。
当時21歳だった黒木さんが月組に入ってきた時、黒木さん以外の人は女の子みたいな洋服を身につけていたそうですが、黒木さんだけタイトスカートをははいていたため印象的だったとか。
黒木さんと大地さん共演したのは、1982年の舞台「あしびきの山の雫に」で大抜擢された黒木さんだったそうです。
そして、入団2年目で史上最速で月組の娘役トップとなった黒木さんでしたが、先輩に泣かされたりしたこともあったよう。
大地さんは、他の人に口を出させないよう稽古場ではわざと黒木さんを大きな声で叱ったり、ドライブに誘って黒木さんを慰めてして大事にしていたようです。
黄金コンビと言われて人気を博した大地さんと黒木さんでしたが、1984年大地さんと黒木さんは同時に退団することに。
大地さんがご自身の退団を黒木さんに伝えると、黒木さんが「私も一緒にやめていいですか」と言ったため同時の退団になったそうです。
初めての添い遂げ退団と言われています。
宝塚のサヨナラ公演で1ヵ月で13万5000人を動員したとか(๐◊๐”)/
大地真央と真矢ミキのエピソード
真矢みきさんは大地さんの大ファンで、大地さんの自宅前に押しかけファンレターを渡したしたとか。
大地真央の退団の理由
1985年に宝塚歌劇団を退団された大地さんですが、退団を決めた理由は、宝塚でやりたいと思っていた夢が全て叶い、どこかのタイミングでキリを付けなければと思ったからだそうです。
大地さんは、2年5カ月トップに立ち続けての退団でした。
大地真央の最終学歴
大地さんは宝塚音楽学校をご卒業されていますが、当時のこの学校は高卒の資格が得られる学校ではないことより、大地さんの最終学歴は中卒になると思われます。
『最高のオバハン中島ハルコ ~マダム・イン・ちょこっとだけバンコク~』
シーズン3まで続きましたね、でも今回は同性愛者同士の恋愛模様がほとんど。
いづみさんが涙ながらに熱弁するシーンは逆に痛々しく見えたけど、ハルコ先生からはお褒めの言葉をいただいてましたw#ドラマ好きと繋がりたい pic.twitter.com/oAkq9aUdgt— あんばたりあん (@anbatalian) March 21, 2025
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