こんにちは!
今回は、存在感で圧倒される素晴らしい女優の渡辺真起子さんの生い立ちやご家族について紹介いたします。
青春時代は自由を求め、「その結果の学歴」になった女優さんの渡辺さんで、その経験があのオーラを輝かせているのかもと思っちゃいます。
彼女のエピソートも紹介し、噂の夫に付いてもちょピット紹介していますので、よろしければお付き合いくださいませ♪
目次
渡辺真起子の生い立ちと学歴
渡辺真起子の幼少期~中学時代
渡辺さんはスローペースな周りに合わせられないタイプだそうで、彼女のお母さんからは「あんたはほんとにもう」と呆れられていたとか。
そんな渡辺さんは小学4年の時に「お芝居をする」と人生を決めた人。
その瞬間が彼女の人生の一番に転機だったそうです。
渡辺さんの小学時代に所属するクラブの選択に追われ、一番早く潰れそうな演劇クラブを選んだとか。
演劇が楽しいいわ、面白いわで彼女は未来の職業「お芝居をする人」と決めたようです。
渡辺さんが中学に進学すると、映画『ションベンライダー』(1983年・相米慎二監督)のオーディションがあることを知った彼女は、両親に応募の是非を問いましたが『まずきちんと勉強をして、学校に行って、芝居がやりたいんだったら、大学に行って、そこでもう一度選択し直しなさい』と言われ、承諾を得られなかったため断念したとのこと。
オーディションだけど、未成年の場合は親の承諾がないと受け得られないのよ。
このオーディションの一件で、渡辺さんは「お芝居をする人」から「俳優になる」としっかり決めたとか。
参考元:こくみん共済・livedoorNEWS・タレント辞書
渡辺真起子の中学卒業後10代~20代
高校に進学した渡辺さんでしたが、学校になじめなかったのか、遊びすぎてしまい放校処分に・・・(*゚◇゚)
放校処分になった彼女は仕事をしなくてはいけなくなり、友人の紹介で始めたファッションモデルの仕事を始め芸能界入りを果たしたそうです。
渡辺さん曰く、「CMのオーディションに行ったら受かるという感じで、打率は良かったんですよね。」とか。
モデルをやりながら、1988年に映画『バカヤロー! 私、怒ってます』で女優デビューした当時20歳の渡辺さんでしたが、その後、『やれる仕事をやっている私ではなくて、やりたい仕事をやれる私になりたい』と思い、所属事務所を移籍しその後渡米することに。
渡辺さんの行い先はニューヨークで約4ヶ月過ごした翌年はパリで1ヶ月過ごし帰国。
国外の空気に触れた渡辺さんは、”いろいろな人種、いろいろな職業、いろいろなセクシャリティ、音楽、芝居、映画などに出会い日本で仕事を頑張る決意を新たにした”そうです。
渡辺さんは10代の青春を三鷹で過ごし、初彼や初チューも三鷹だったとか。
学校を初めてサボり行った場所が、映画館『三鷹オスカー』だそうで、この時はミュージカルを観たそうよ♪
参考元:livedoorNEWS・シネマトゥデイ・livedoorNEWS・anincline
渡辺真起子の学歴
渡辺真起子さんの現地点の最終学歴は、中卒になるかと思われます。
次のページは、渡辺真起子さんの「ご家族やご結婚」について→「プロフィール・略歴・SNS」などをお伝えしています♪
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演劇クラブの顧問の先生は、『俺もやったことがないけど、担当になっちゃったんだよね』っていう感じだったんだって。