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杉本哲太の親は離婚し母は他界!行方不明の父はレスリング部のコーチで兄は2歳上!生い立ちをまとめて紹介!

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杉本哲太の生い立ち

出典:杉坂太吉Instagram

杉本哲太の幼少期~小学時代

1965年7月21日に神奈川県茅ケ崎市にて誕生した杉本哲太さん。

そんな杉本さんは、書くこと食べることも全部が左手だそうで、右手が使えない左利きなんだとか。

2歳年上の兄とよくケンカしながら成長されましたが、悲しいことは両親の離婚でした。

杉本哲太の中学時代は地元でも名前が売れるほど有名

茅ヶ崎市立第一中学校に進学した杉本さんでしたが、体育先生が大変厳しく、大声で怒鳴られるのが当たり前だったそうな。

ですが、この時代から不良少年になってしまい、ヘアスタイルはリーゼントで、お酒やタバコを嗜むようになっていたようです。

杉本さんの中2の頃には初体験をすましたそうな。

酔っ払っていたためよく覚えていないそうですが、年上の女性だったとか。

万引きもこの時代に体験していて、太い学ランのズボンの下に試着してそのまま店を後にしていたそうです。

藤沢市の暴走族「藤沢道化師(ピエロ)」のメンバーにもなっていたみたいで、道路工事のアルバイトをして革ジャンを購入して、ご自身でペインティングをして着ていたことも。

茅ヶ崎市立第一中学校を卒業している有名人

サザンオールスターズの桑田佳祐氏・加山雄三氏・徳光正行氏だそうで、藤沢と茅ヶ崎は有名人を多数出している非常に珍しい地域なんだそうですよ。

杉本哲太の高校時代

神奈川県立藤沢工業高校に進学をした杉本さんでしたが、連日ナンパして遊びまくって高校を1年の1学期で中退したそうです。

同じように不良だった兄が急に真面目になり、その兄から説教をされ改心をした杉本さんは、不良から足を洗うことなったのでした。

杉本哲太の高校中退後

出典:GirlsChannel

高校を中退した杉本哲太さんは、「あしたのジョー」に憧れてボクシングジムに入り汗を流していたようです。

ですが、3ヶ月で挫折・・・。

不良人生をおさらばした杉本さんでしたが、横浜駅西口のダイヤモンド地下街で不良5人に絡まれてケンカに発展。

その時、たまたま通りかかったロックンロールバンド横浜銀蝿のリーダー・嵐(らん)さんが「おまえら、何やってんだ!」と言って、ケンカを止めに入ってくれたんだとか。

杉本さんの大大大好きな横浜銀蝿のメンバーの一人が目の前に・・・・(๑ʘㅁʘ๑)!!こんなドラマみたいなミラクルってあるのねぇーーー!

ケンカ中だったことを忘れ「嵐さんですよね?」とお声がけをした杉本さん。

そして、横浜銀蝿の仲間を募集していることを知っていた杉本さんは「仲間に入れてください」と懇願したようです。

これがきっかけになり16歳で芸能界入りを果たしたのでした。

杉本哲太と中居正広

中居正広氏は、杉本哲太さんと同じ神奈川県出身で、若い頃は不良の青春時代を過ごしていたそうです。

その元不良の中居正広氏が言うには、地元では杉本さんは「怖い人」で有名で、中居正広氏の耳もその怖さが届いていたんだとか。

杉本さんと中居正広氏がある番組で共演した際に「本当に芸能界へ入って良かったですね。芸能界に入っていなかったら悪いことして捕まっていたかも?」と中居正広氏が心配するくらい「本当に怖い人」だったようです。

因みに、中居正広氏は藤沢市の江の島の近くでヤンチャな青春を過ごしていたみたい。

杉本哲太の芸能界入り後の活躍

杉本哲太の高校1年に当る16歳で俳優デビュー

出典:tamatama52@tamatama525

「茜さんのお弁当」は、1981年10月21日 – 12月30日に放送されたテレビドラマで、この作品が杉本哲太さんの俳優デビューになったようです。

YouTubeで「茜さんのお弁当」を拝見すると、当時の杉本哲太さんは亀梨和也さんに似ているな~と思ってしまいました。

杉本哲太の高校2年(17歳)に相当する16歳で歌手デビュー

出典:湘南の麒麟@yellowchiri

1982年にロックバンド紅麗威甦(グリース)に所属し、「ぶりっこROCK’N ROLL」で歌手デビューを果たしたようです。

紅麗威甦(グリース)は、横浜銀蝿の弟分「銀蝿一家」の一員としてデビューしたそうで、デビュー当時、横浜銀蝿の嵐さんの命令でジャニーズ事務所のアイドルにガンを飛ばしていたとのこと。

紅麗威甦(グリース)での杉本哲太さんは、ボーカル&ギター担当で一応ギターは弾けたましたが、本番中は杉本哲太さんのギターの音を切って別な人が弾いていたそうです。

杉本哲太が属した紅麗威甦(グリース)のメンバー

紅麗威甦(グリース)は、横浜銀蝿の弟分グループとして嶋大輔氏に次いでデビューしたロックバンド。

メンバー1:哲太(現・杉本哲太)- ボーカル・サイドギター

メンバー2:桃太郎 (ミュージシャン) – ドラム

メンバー3:Mitz(ミッツ/横浜銀蝿:TAKUの実弟) – ベース

メンバー4:Leer(リー/中学の同窓生は本木雅弘氏) – リードギター

メンバー5:名前不明の幻のメンバー -レコードデビュー前に解雇(1981年の映画『ぶっちぎり』に出演しているそうですが、遅刻や素行不良が酷かった為)

当時の杉本哲太の印象

横浜銀蝿のボーカル・翔さんが当時の杉本哲太さんの印象をインタビューで答えていました。

その当時の杉本さんは、背が高くて痩せててとんがってて、触れたヤツを切りそうな感じだったとか。

そして、杉本さんが音楽から俳優に転身する時は、事務所を離れて自力で浮上したそうです。

「茅ヶ崎のものすごい不良だったくせに頑張り屋だった」と感心していた翔さん。

杉本哲太の高校3年に相当する18歳で映画デビュー

出典:たそがれ@nuVXQB9biaNcB7Z

映画「白蛇抄」は1983年11月12日から公開されたようです。

この映画の杉本さんは、リーゼントにしていた髪の毛をスペスペっとカットして丸刈り姿で、主演の小柳ルミ子さんと共演したのでした。

杉本哲太のスクリーンデビュー作

 

杉本哲太の若い頃

出典:Chinese Coffee@ChineseCoffee

20代の前半の頃は、芸能関係の仕事がない時は、知り合いのペンキ屋でアルバイトをしていた杉本哲太さん。

ここでは杉本哲太さんの若い頃の一コマを以下で紹介いたしますね。

1992年に公開された映画「ひかりごけ」で五助 役で出演していた杉本さんでした。

この作品に出演するまでは、楽して儲けることばかりを考え、仕事をなめていたそうですが、共演した三國連太郎氏と田中邦衛氏の芝居への集中力にショックを受け、役に対して奥深さを知るきっかけになったようです。

この作品が杉本さんににとって転機になったとのこと。

※映画「ひかりごけ」での杉本哲太さんの役を杉本哲太Wikipediaでは「五郎」に記載されていましたが、「ひかりごけ」Wikipediaでは「五助」と記載されており、更に調べてみると映画.comでも「五助」と記載されていたため当サイトでは「五助」と紹介いたしましたことをお知らせいたします。(2022年11月12日閲覧)

杉本哲太の学歴

杉本哲太の学歴

茅ヶ崎市立第一中学校

神奈川県立藤沢工業高校(偏差値41)

杉本哲太の最終学歴

高校を中退していることから、杉本さんの最終学歴は中卒

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出典:相棒X

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こんにちは! あんびと申します。 犬が好きすぎて数頭のわんこを保護し、 ペット看護師の資格とペットセラピストの資格も取得して、 犬のために生きているような日々を過ごしているおばちゃんです。 こんな私ですが、よろしくお願いします。