西川かの子の母親は西川ヘレン
西川かの子の母:西川ヘレンのプロフィール
名前:西川ヘレン(にしかわへれん)
旧名:杉本ヘレン(すぎもとへれん)
生年月日:1946年10月6日
年齢:74歳(執筆時)
出身地:京都府京都市
血液型:A型
所属事務所:(株)西川事務所 株式会社オフィスミセン
西川かの子の母:西川ヘレンはハーフ
ヘレンさんは「Japanese American」で、お父さんがアイルランド系アメリカ人で、お母さんが日本人。
西川かの子の母:西川ヘレンの略歴
アメリカ人の父親はアメリカ軍のMPで、日本に駐在していた時にヘレンさんの母親と出会いましたが、父親には米国に妻子いたため帰国してしまったためヘレンさんは父親の顔を見たことがないとのこと。
未婚で母親になったヘレンさんのお母さんですが、お母さんの実家は京都。
そこで、祖母と一緒に暮らしていましたが、生活は苦しかったそうです。
ヘレンさんは、ヘレンさんで学校でハーフという理由からイジメに遭っていて、当時は学ぶことや遊ぶことにおいても平等に扱われなかったそうな(҂⌣̀_⌣́)
そのために家で一人遊びばかりをしたりしていた彼女が憧れを抱いていたのは「温かい家族」。
ヘレンさんの「憧れる家庭」をノートにいっぱいになるほど描き、彼女が住みたい家の見取り図も描いていたとか。
1963年:華頂高等学校を中退し吉本興業に所属。
当時はヘレン杉本の名で活躍し、”女優顔負けの美貌や、都合が悪くなると「私外人やから、日本語わかりません」とペラペラの関西弁でまくしたてるギャグが大受けし”、人気者へ!
”当時、まだ芸人として食べられなかったきよし氏とその同僚である坂田利夫氏を養いながら生活しており、余興の営業でシャンソンを歌って生計を立てていたこともある”とのこと。
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1967年:西川きよし氏と周囲に歓迎されず反対を押し切っての結婚。
当時の結婚生活は非常に苦しかったそうで、将来に不安を感じたヘレンさんは、無理心中をしようガスコンロの栓を開けてガス中毒死を図ろうとしたこともあったとか。
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1970年:堺に一軒家を建て、きよし氏の両親とヘレンさんの母親の3人を引き取り、互いの親3人との同居生活をスタートさせた。
女3人が家いると必ずケンカになり、きよし氏の「各々の持ち場を決めたらどうか」の提案を受け入れ、ヘレンさんは台所を担当し、掃除や洗濯は他の2人の母親が担当になったことでなんとか収ったよう。
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現在(執筆時):箕面市の豪邸に引っ越し、4世代(きよし氏の実母・きよし&ヘレン夫婦・長男家族・かの子家族)がそこで一緒に住んでいるようです。
西川かの子の両親:西川ヘレンと西川きよしの結婚のきっかけ~結婚後
吉本興業でヘレン杉本の芸名で売れっ子になったヘレンさん。
多忙な日々が続いている時に、高熱で倒れてしまった彼女。
原因は、扁桃腺が腫れて高熱が出たせいだったそうですが、そんな彼女を自宅に案内し、家族全員で看病をしたのが同じ事務所に所属していたきよし氏でした。
突然やってきた病人を温かく迎入れ看病をしてくれきよし氏のご家族。
きよし氏自宅の布団は破れて綿が出ていたりして貧しい暮らしぶりが瞬間で判るご実家でしたが、ヘレンさんにとって「初めて他人宅へお邪魔した」ことと「家庭の温かさ」を感じたことから心から感激をしたそうです。
そんなきよし氏を好きになり、ヘレンさんから結婚の話しをしたとか。
ですが、きよし氏は「ギャラが合わん。女房より稼ぎが少ないのでは男がすたる」となかなか結婚を応じてくれなかったそうです。
その当時のヘレンさんのギャラが月20万円に対し、きよし氏は月5500円。
ですが、ヘレンさんは周囲の反対を押し切り結婚へ。
苦しい結婚生活をすごしたのですが、数年後夫になったきよし氏は、「やすきよ」として漫才でブレイク!
平穏で安心した生活が過ごせるハズでしたが、夫のきよし氏が売れれば売れるほど、女性の影がチラホラすることになったのでした。
西川かの子の母:西川ヘレンの愛人対策
ヘレンさんは、夫のきよし氏の愛人宅に押しかけ、丁寧な口調で「子供もいる、夫の両親もいる、私の母もいる。そして借金もある。貯金は少し。」と貯金通帳と実印持参で状況を説明して「私と代わっていただけますか?」とその愛人に妻交代の提案をしたとか(。☉∆☉)ワァオ
ヘレンさん曰く、「夫がお世話になっているから愛人に対しては強く言えなかった」とのこと。
そんな天晴れな対応をしたヘレンさんの元にきよし氏は帰ってきたとか(笑)
勉強になります!!
西川かの子の母:西川ヘレンの更年期障害と老家族の介護
ヘレンさんが40代の頃、更年期障害で苦しんでいて、死を覚悟したこともあったとか。
ご自身が大変な時に老家族3人の介護をしていたのですから、かなり・かなり想像ができないくらい大変な生活だったことでしょう。
その当時は、
・義母82歳は認知症で「あんた誰?」世界
・義父は86歳で、胃潰瘍からうつ病となり寝たり起きたりの生活で、朝食は4時、昼食は10時、夕食は3~4時と他の家族とは違う生活パターン
・実母は92歳で寝たきり
おつむ替えや食事・お風呂などを3人分して、老家族は各々生活のパターンを変えてくれなかったため、一日中食事を作る生活だったとか。
ヘレンさんは血圧が上がったりして、呼吸困難になったりして倒れることもあったそうです。
ですが、ヘレンさんは好きなお香を焚いたり生け花を楽しんだりして、約20年間の介護をしたとか。
実母は脳梗塞を患い他界。
その2年後に義父が他界して、今は義母のみの介護をしているとのことです。
うんちの出が悪かったら、ワセリンを塗って、手袋をはめた手でうんちを掻きだしてあげていたとか・・・・ホント、頭が下がります。
現在のヘレンさん朝のルーティンは、ご飯を炊く→ご先祖様に仏飯を備える後、孫・ひ孫と一緒に「南無阿弥陀仏」を唱えることだそうです。
ヘレンさん曰く、「恩ある人のお世話をさせてもらうことは“年輪の一つ”。3人の父母の介護をさせていただいたことに心から感謝している」とのこと。
西川かの子の母:西川ヘレンの料理の基本
ヘレンさんは毎朝、ヘレンさんの料理の基本となる出汁を5リットル作っているそうで、この出汁は料理のジャンルにこだわらなくオールマイティに使えるとか。
出汁を取るために使った材料の昆布やシイタケは捨てずに、料理に使っているとのこと。
きよし氏と一緒になった時は、貧し過ぎて毎日が必死の命がけで、八百屋からもらったくずの野菜などをいろいろ工夫して料理をしていたとか。
そんな経験を積んだから、突然のお客様でもパパッと料理をしておもてなしができるのね♪
子供たちが各々連れてきた友達・50人分の食事を一度に作ったこともある強者よ!!٩(ˊᗜˋ*)وイェーイ
「西川ヘレン」参考元&引用元(“~”):西川ヘレンWikipedia・celeby-media・tadekuu-mushi.jugem・anincline・スポニチ・windy・中楽坊
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ヘレンさん曰く、「男性は追い詰めたらダメ」で、「普通にしていて“見てますよ”ということも分かってもらう」が夫の操縦法だとか。