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深津絵里の家族
ネトフリ日曜まで「サバイバルファミリー(2017・日)」。
突然電気が完全に使えなくなった!西行けば大丈夫らしいから西行こう!のファミリー。
声高には言わないもののメッセージ性強い。知識の大事さを改めて感じるよなぁ…。
GAFAがなんだクソくらえ!あと深津絵里と結婚したい人生だった。 pic.twitter.com/UO1x0KMMQe— イカでした。 (@ikadetheta) March 8, 2019
深津絵里の家族構成
一人子の深津家は、父親・母親と深津さんご本人の構成の3人家族。
参考元:PASONICA JPN・ほか
深津絵里の家族
深津絵里の父親
海外を飛び回っているエンジニアのお父さんは寡黙で、お母さんにしたら亭主関白だとか。
海外赴任だったそうで、帰国して家族と共にするのは年に2回ほどだったそうです。
お父さんの仕事は、途上国の通信インフラ整備を現地指導するエンジニアだったとインタビューで答えていまして、小学校の頃からお父さんから外国に行った時の話はたくさん聞いていた彼女だったとか。
深津絵里は父親似
深津さんはお父さん似だとインタビューで答えていまして、お顔・性格とか食べものの趣味などを含めて、全体的に似ているそう♪
無口なお父さんだけど、お母さんに乗せられて話すそうです。
深津さん曰く、「誠実な人、きっと同世代だったら、友達になってる。」とのこと。
お父さんから誕生日プレゼントでもらったLDの『真夏の夜のジャズ』。
これがきっかけでジャズ好きになった彼女だそうですよ。
深津絵里の父親は読書好き
お父さんの本が、深津さんの本棚まで進出してくるくらいお父さんの本があったそうです。
中でも「松本清張」本が好きだったみたい。
その体験が影響しているのか、旅行好きだと云われている彼女よーん。
参考元:antiaging50・dejavuca・女性自身・1999年雑誌「SWITCHNO.5」・2009年Web・フジテレビ/駅路インタビュー
深津絵里の母親は深津 諭美子(ふかつ ゆみこ)
お母さんの深津諭美子さんの20代は、服飾デザイナーを志望していたが、「芽が出ず」。
服飾デザイナーを諦めたお母さんは福岡にブティックを開いてましたが、1994年頃にブティックの店を閉めて東京で住まいを移し、2003年頃に中国の上海大学で約1年書道を学んだそうです。
『漢字アート』という書とアートを融合させる独自の世界を切り開いてご活躍をされていました。
2014年11月に東久邇宮文化褒賞を受賞しましたが、同時期に末期の肺癌であることを公表していたお母さんは2015年6月16日・66歳で他界されました。
深津さん曰く、明るい性格だったとか。
深津さんが上京する時は、お母さんも東京で一緒に暮らしてくれていたそうで、高校卒業と同時に「私にも九州の生活があるから」と九州に帰ったそう。
始めからそんな約束をして一緒に上京してくれたとか。
深津さん曰く、「東京に住むことで一番たいへんだったのは母だったと思います」と。
深津絵里の母親との一番の思い出
深津さんがお母さんとの一番の思い出は、21歳のご自身の誕生日だそうです。
深津さんとお母さんはシンガポールに一緒に旅行に行って、泊まり先の「ラッフルズホテル」でのディナーが、彼女への誕生日プレゼントだったとか。
お母さんの最期に立ち会うことができた深津さんだったそうですが、その時にたまたたまスケジュールが空いていたとか・・・。
お母さんが元気な時は、深津さんをサポートしてくれていたんだって。
深津さんは、仕事の最中は仕事に集中するため、それ以外は手につかなくなるタイプらしいわ。
参考元:深津諭美子Wikipedia・スポニチ・NEWポストセブン・anincline・女性自身・朝日新聞・1999年雑誌「SWITCHNO.5」・1999年雑誌「マイン」5月号
次からのページは、深津里江さんの「プロフィール・略歴」などを紹介していまーす♪
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お父さんの仕事の関係で、彼女は幼い頃から海外に行く機会があったそうよ。