今回ここで紹介するのは、Japanese&Americanのハーフである宮澤エマさんの実家の家族についてです。
宮澤エマさんの実家の家族は4人ですが、「華麗なる家族」と紹介しても過言ではございません。
宮澤エマさんの家系図の画像はもちろん、DAIGOさんとの関係も紹介いたします。
因みに、宮澤エマさんと宮澤ミシェル氏は赤の他人であることをお伝えして、「宮澤エマの両親と姉は実業家で祖父は元総理大臣!実家の家族4人の学歴や略歴をまとめて紹介!祖父母も!」と題して綴って参ります。
この記事でお伝えしていることは執筆時のものであり、現在では異なる場合がありますのであらかじめご了承の上、お読みくださいませ(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
また、情報に誤りがあった場合など、ご指摘いただけると幸いです。
目次
宮澤エマのプロフィール
別名義:ラフルアー宮澤エマ(旧芸名)
生年月日:1988年11月23日
年齢:34歳(2023年2月時点)
出身地:東京都文京区
身長:156 cm
血液型:O型
サイズ:B84W64H85
趣味:ピアノ・ミュージカル鑑賞
特技:英語・ピアノ
好きな歌手:ちあきなおみ
活動期間:2012年 –
事務所:プロダクション尾木
宮澤エマの父親は元米国外交官のクリストファー・J・ラフルアー
宮澤エマさんの父親はアメリカ人で名前は、クリストファー・J・ラフルアーさんで、元米国外交官をしていました。
宮澤エマの父親の1991年~2015年の略歴
宮澤エマさんのお父さんの経歴をサラッとお伝えすると、、オハイオ州オーバリン(Oberlin)大学を卒業後、米プリンストン大学のウッドロー・ウイルソン・スクールで公共政策・国際関係論を学び、その学び後は、米国大使館首席駐日公使、マレーシア大使、米国務省東アジア・太平洋地域担当主席次官補、駐マレーシア大使を歴任した輝かしい経歴の持ち主でした。
1991-1993年:米国国務省ベトナム、ラオス、カンボジア担当オフィスディレクター
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1993-1997年:在台湾米国協会の副理事
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1997年-2001年:在日米国大使館首席公使
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2001-2003年:米国国務省 東アジア・太平洋地域担当首席次官補などを歴任
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2003年ー2004年:米国国務省のチーム座長、ニューヨークの外交問題評議会の外交研究でサイラス・ヴァンス・フェローを務める
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2004-2007年:駐マレーシア米国大使
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2008-2011年:JPモルガン証券株式会社副会長、政府関係・企業責任担当を務める
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2011年にLMアソシエイツ設立
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2015年 在日米国商工会議所会頭
宮澤エマの父親の現在
上記を経た後の現在は、在日米国商工会議所(ACCJ)特別アドバイザー、DTCC データ・レポジトリージャパン株式会社会長、マクラーティ・アソシエイツのシニアディレクター、ツネイシホールディングス株式会社の社外役員を兼務しているとのこと。
またそのほかには、日米協会の副会長、日米研究インスティテュート、社会起業家のパイオニアであるアショカ・ジャパンの諮問委員会の委員も務めているそうです。
宮澤エマの母親は宮沢喜一元総理大臣の長女のラフルアー宮澤啓子
1946年に生まれの宮澤エマさんの母親ですが、宮沢喜一元総理大臣の長女で、啓子さんの母方の縁戚には鳩山由紀夫元首相、鳩山邦夫元法相、ブリヂストン創業者の石橋正二郎氏がいらっしゃるそうです。
宮澤エマさんの母親は、“首相の娘” として、宮沢喜一氏の大変な苦労を見てきた為、「絶対に政治家にはなりたくない」と思っていたからこそ父の宮沢喜一氏と違う道を歩んでいるのかもしれません。
宮澤エマの母親の略歴
慶応大学法学部卒業
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コロンビア大学でMBAを取得
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フランスに留学後、ドイツ・ルフトハンザ航空のCAとして国際線に乗務
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その後、同社広報部に勤務
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外資系化粧品会社の広報・広告ディレクターを勤める
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アメリカ人の外交官(元駐日アメリカ公使)と結婚後、夫の転勤に伴い、フランスのパリで森英恵氏のプレタポルテ販売会社に勤務したのをはじめ、ファッション業界で働く
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1992年クラブサー設立し、原宿にジュエリーの販売・通販のビジネスを行う「トラベルジュエリー®のクラブサー(CLUB SAH)」の代表取締役でご活躍
宮澤エマの母親が実業家になったきっかけ
宮澤エマさんの母親の身長は153㎝と小柄なためか、海外では実年齢よりも若く見られ、ヨーロッパの高級ホテルやレストランで 馬鹿にされないようにと本物宝石を身につけてみたようですが、小粒で貧弱なものばかりだったことで、フェイクでもいいから大きな宝石で派手なものをと望むようになったことでトラベルジュエリーを扱うきっかけだそうです。
因みに、トラベルジュエリーとは、普段使いできる、お手頃な宝飾品だそうですよ。
宮澤エマの姉はハーバード卒のラフルアー宮澤沙羅(サラ)
宮澤エマさんの姉は、エマさんよりも5つ年上で名前はラフルアー宮澤沙羅さん。
姉の沙羅さんの小学時代は演劇部に所属していたそうで、妹の宮澤エマさんは影響を受けたきっかっけの一つになったようです。
運動も出来る優等生だった姉の沙羅さんの成績はオールAだったとか。
姉は大学を卒業してからは、ほぼアメリカで生活をしているので、年に1~2回は渡米して姉妹の時間を持っている宮澤エマさんだそうです。
宮澤エマの姉の略歴
フランスのパリで生誕
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ハーバードに進学し卒業
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コンサルティング会社や投資グループで勤める
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2013年:※エムエムラフルアー(M.M. LAFLEUR)をNYで設立し、最高経営責任者(CEO)を勤める
※M.M. LAFLEURとはワーキングウーマン向けのアパレルD2Cブランドで、現在は全米に8店舗を構え、購入者は20万人を超えるまでに成長しているそうです。
宮澤エマの母方の祖父は元総理大臣の宮沢喜一
宮澤喜一氏は1991年11月から1993年8月まで日本の元総理大臣を勤めた方で、1952年の初当選から2003年までの49年間に渡って副総理や大蔵大臣、内閣官房長官などあらゆるポストに就いて活躍していた優秀な人物だったようです。
享年87歳で、2007年6月に自宅で他界。
宮澤エマの祖父・宮沢喜一のプロフィール
生年月日:1919年10月8
出生地:東京府東京市
没年月日:2007年6月28日(87歳没)
死没地:東京都渋谷区
出身校:旧制武蔵高等学校(現・武蔵大学、武蔵高等学校中学校)
東京帝国大学(現・東京大学)法学部政治学科卒業
内閣:第78代 内閣総理大臣(在任期間 1991年11月5日 – 1993年8月9日)
配偶者: 宮澤庸子
宮澤エマの祖父・宮沢喜一と祖母・宮澤庸子の出会い
祖父と祖母は学生時代に戦前の日米学生会議に出席しようとして乗っていた船で出会ったそうです。
その時代では珍しい恋愛結婚をした宮沢喜一氏と宮澤庸子さんでしたが、庸子さんは政治家を嫌っていたとか。
記者などに聞かれたくない時の夫婦の会話は英語だったそうです。
宮澤エマの祖父・宮沢喜一とのエピソード
宮澤家の家訓は、「働かざる者食うべからず」で、孫でも甘やかすことがなかった祖父の宮澤喜一氏だったそうで、宮澤エマさんが90点台のテストを見せても「満点以外の点数があるの?」と言うおじいちゃんだったとか。
週に一度の日曜日の夜は、祖父と祖母の家で食事をするのがルールだったそうです。
祖父と祖母の家にいると秘書やSPの存在を宮澤エマさんは感じていても、聖域になっているかのようにその方たちの姿を見ることは非常に少く、祖父の屋敷の中で公私をきっちり分けているかのようだったそうです。
反対に、孫の宮澤エマさんも祖父の仕事場エリアには入れなかったようです。
祖父と宮澤エマさんが初めて買い物で出掛けたのは、小学生の時のクリスマスプレゼントの「たまごっち」だったととか。
当時は大流行していた「たまごっち」で、宮澤エマさんは朝の8時に買いに行こうと言っても祖父は「10時でいいだろう」と言ってその時間に買いに行くと、凄い行列にビックリした祖父。
しかたなく「たまごっちをください」と祖父は”特別感”を出したそうですが、係りの人はその”特別感”を無視。
仕方がないので、その日の15時に改めて買いにいくことしましたが、既に売れ切れていたようで他のおもちゃを購入して”おじいちゃんの役目”を終えてそうですが、後にその噂を聞いた”知人”が「たまごっち」を2つ送っていれたというエピソードもあったようです。
ですが、ピンク色のたまごっちが欲しかった宮澤エマさんがゲットした物は赤色だったそうで、エマさんの自身のたまごっちブームはそれがきかけでしばらくして去ったそうです。
宮澤エマの父方の祖母はリトアニア系アメリカ人のグラニー・リディア
宮澤エマさんの父方の祖母は、2020年6月7日に老衰のため他界されたようです。
1927年生まれのグラニー・リディアさんは背の高いブロンドの髪の色で、若くして離婚しました。
離婚後はマンハッタンのアパートに住み、最後まで一人暮らしを貫いたニューヨーカーで、そのアパートは、部屋ごとに壁紙にいろが違っていて、祖母の寝室は彼女の好きが詰まった壁紙などにしていたんだとか。
グラニー・リディアさんは図書館に勤め、退職後に市民劇団を立ち上げ、家に学生を住まわせてあげたりするアクティブな女性で、好んだ物やことは、赤ワイン・ダークチョコレート・遅寝遅起きと自由と演劇だったそうです。
幼少期の頃の宮澤エマさんは、女優になりたかった祖母にたくさんのミュージカルに連れてってもらっそうですが、ライオンキングを観に行った時は良い席だったのにも関わらず、エマさんが怖がって困らせたそうな。
朝ドラの「おちょやん」に出演が決まった時には「これがしたかったのよね」と言ってくれ喜んでくれた祖母は、「おちょやん」の収録中に他界。
社交性があった祖母は93歳まで自分の生き方を貫いた素敵な人だったようです。
朝ドラ「おちょやん」で竹井栗子 役を演じた宮澤エマさんでしたが、その「栗子」は「栗子が祖母だったというと出来過ぎだけど、どこかその影を感じずにはいられなかった」と後にその時の思いを明かしていたエマさんでした。
宮澤エマとDAIGOとの関係
宮澤エマさんのご家族を検索していると「宮澤エマ いとこ」のキーワードが出て来ました。
それで調べるとどうも「DAIGOさんと宮澤エマさんがいとこ同士なのでは?」と思った方が「宮澤エマ いとこ」と検索をしているようです。
結果から申しますと、宮澤エマさんとDAIGOさんは「2人とも孫タレ」という共通点の持っているだけで血縁関係はないようです。
このお二人が初めて共演した番組は『ネプリーグ』で、総理の孫という“孫タレ”枠での出演だったようで、芸能界広しといえども、祖父が総理大臣という芸能人はなかなかいないので、「いとこなの?」と思ってしまうかも。
実際に「DAIGOさんと兄妹とか、いとこ同士だと思われたりする」と宮澤エマさんも明かしていることから、そう思っても仕方ないのかも・・・ですね♪
DAIGOさんについては、「北川景子」さんの家族でふれていますので、ご興味がありましたら以下の画像をポチってくださいね(。•̀ᴗ-)✧
「宮澤エマの両親と姉は実業家で祖父は元総理大臣!実家の家族4人の学歴や略歴をまとめて紹介!祖父母も!」と題して、お伝えしましたが、この記事はこれでおしまいです。
最後までお付き合いを頂きましてありがとうございます。
この記事の参考元:モーリーン・アンド・マイク・マンスフィールド財団公式サイト・スポニチ2022年11月26日・スポニチ2021年6月6日・スポニチ 2021年5月30日・traveljewelry クラブサースタッフ日誌・smartFLASH2019.11.29・エンタメRBB2021年3月7日・宮澤喜一Wikipedia・AERAdot2021/07/03・デイリー新潮2020年12月07日・宮澤エマInstagram・GirlsChannel 2016/10/13・ PASONICA JPN・ほか
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