今回は、俳優の寺脇康文(てらわき やすふみ)氏の生い立ちや家族につい紹介しています。
寺脇さん?って思ったあなた様!
「相棒」とか「亀山薫」ってヒントがあれば「あっ!!」ってなるかしらん(。•̀ᴗ-)b✧
エピソードや交友関係もお伝えしていますので最後までお付き合い頂けたら素敵♪
※この記事でお伝えしていることは執筆時のものであり、現在では異なる場合がありますのであらかじめご了承の上、お読みくださいませ(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
目次
寺脇康文の生い立ちや出身校
寺脇康文の幼少期~小学時代
大阪府堺市で生まれた寺脇氏は、幼稚園時代から目立ちたがり屋の女性好きで、ぶつかったふりをして好みの女児に抱きついていたそうです。
年上でもよく、親戚のお姉さんに添い寝してもらった時に甘えるふりをして体をくっつけたりしていたとか。
幼少期の癖は、自分の股間を触ることだったそうな。
寺脇康文の大阪時代のエピソード
大阪時代は、寺脇氏の家族と近所にある駄菓子屋の家族とは家族ぐるみの付き合いをしていて、駄菓子屋の店主のおばさんが特に寺脇氏を可愛がってくれたそうです。
寺脇氏の姿を見ると、駄菓子屋のおばさんは「やっちゃん、これ食べてき」と声掛けをしてくれていたとか。
幼い寺脇氏にとってそこの駄菓子屋は、「お菓子食べ放題の夢のような場所」で、心躍らせて駆け込んでいた記憶があるそうです。
寺脇康文の小学時代のエピソード
大阪の堺市の小学校に小2まで通っていましたが、転校することに。
転校先は岐阜市で、娯楽の中心はテレビだったそうで、アニメやドラマを毎日楽しみにして過ごしていたそうです。
この時代の寺脇氏の夢が、漫画家になることで、卒業文集にも「将来の夢はスターか漫画家」と書いたくらい漫画を描くのが好きだったみたい。
寺脇氏の弟と合作で漫画を描いたり、毎週月曜日発行のクラスメイトをネタにしたギャグマンガを描いていたそうですよ。
漫画を描くことが得意だったほかに、吉本新喜劇とドリフが好きで、その影響からか人を笑わせるのが好きになり、授業中にギャグを思い付くと手を挙げて発言したり、学芸会でギャグありの台本を書いて自分で主演したりして、かなり積極的に人を笑わせていたようです。
小学校の時にも目立ちたがり屋を発揮していて、草野球をする時に誰もユニフォームを着ていないのに、自分だけ着てプレイをしたり、運動会では、一人だけ異様に長いはちまきを巻いたりして参加していたそうな。
そして、小学時代も引き続き幼少期から自負している女性好きもとどまることがなかったようです。
女子のスカートめくりをやり過ぎてホームルームの議題になり、”やった人はみんなの前でズボンを降ろす”と言う罰が与えられたそうですが、寺脇氏は目立てることが嬉しくて「喜んで!」状態だったとか(笑)
その他、好きだった教育実習の青木先生にイケメン彼氏がいたことが判り、小6で初のハートブレイクを経験したそうですが、体育倉庫の中で抱きついたりしていた”抜け目のない”&”女性好きであることを裏切らない”寺脇氏でした“(⌯¤̴̶̷̀ω¤̴̶̷́)b✧
この時代の習い事は、そろばんとエレクトーン・学習塾だったそうですが、小学校と中学校の同級生だった友達の棚橋純江さんと仲良くしていて、海用畑公園でよく遊んでいたそうですよ。
寺脇康文の中学時時代
寺脇氏は、中学時代からタバコを吸い始めたそうです。
この時代に諦めたことは、真剣に思い描いていた夢の”漫画家になる”でした。
漫画を描くことは楽しかったそうですが、背景などが全くと言っていいほど上手く描けないことに気がつき、その気づきで「プロになる才能はない」と思い諦めたみたい。
寺脇康文の高校時代
夢にみていた漫画家になることを諦めた寺脇氏は、高校に進学をしてからは「アニメーター」になることを考えてたそうですが、「自分には無理」と判断したそうで、その後は自分の将来について深く考えることはしていなかったそうですが、何となく、何の根拠もなく思っていたことが「役者ならできるかな」だったそうです。
テレビが好きだった寺脇氏は、ドラマを観ては松田優作さんや水谷豊さんのものまねをしては、一人で喜んでいたからでした。
高校時代になってから好きになった女子に、コンサートチケットを送ったけど、そのまま送り返されるというエピソードがあるそうですが、この時代は初彼女が出来て青春をエンジョイできたそうな♡
高3になり、周囲に流されるままに早稲田大学に受験をしてたそうですが、「桜散る」の結果だったようです。
その後の寺脇氏は、予備校生活を送ることになるようですが・・・。
寺脇康文の高校卒業後
↑寺脇康文氏の劇団時代の写真が”力石徹”にそっくりと笑う岸谷五朗さんꉂꉂ(థꈊథ)੭ु⁾⁾
早稲田大学にフラれた寺脇氏は、予備校生活を送ることになり、スーパーの地下のお総菜コーナーでアルバイトを始めたそうです。
初めて手にした”バイト代”。
それは寺脇氏の人生で初めて”自分で稼いだお金”で、当時は銀行振込ではなく現金支給だったとか。
当時の新岐阜駅から電車で実家に帰る道すがら、給料袋を開けてみて何枚かの1万円札を見た時に「俺はこの先、どんな仕事をしてお金を稼いでいくつもりなんだろう?」とその疑問が突然湧き上がったそうです。
この体験後、自分が大学に行く理由を二ヶ月間考えた寺脇氏は、大学に行くよりも自分が好きな道を目指そうと決意し、予備校を辞めて自宅から通える名古屋の俳優養成所を受験したそうです。
合格の通知がきたとき、「これで俺もスターだな」とほくそ笑んだのでした。
名古屋の俳優養成所に半年通った後、俳優養成所の東京本社から、「東京に来ないか」と声がかかり、翌年の4月から東京で一人暮らしを始めた寺脇氏でした。
上京後は、月~土がバイトで日曜が授業というスケジュールは変わらなく、”自分が俳優になる!”という自信も揺らぐことはなかったそうですが、自分が思い描いた結果に中々ならないことに焦った寺脇氏は、スカウトされることを目的で朝から夕方まで原宿の竹下通りを何度も往復ししていたんだとか。
スカウトもされないそんな日々を続けると、「養成所の週1回のレッスンじゃダメだ」と思い、違う劇団を探し始めることにしたそうです。
いろんな劇団の舞台を観て回った寺脇氏が「こんな面白いものがあるのか!」と衝撃を受けたのは「劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)」だったそうな。
当時の寺脇氏は、感情を表に余り出さなかったそうですが、「腹を抱えて笑っていた」そうです。
新宿シアターモリエールに足を運ぶようになった寺脇氏が再び衝撃を受けたのが、サザンオールスターズから花が届いていたことでした。
サザンと同じ事務所と思いテンションがマックスになり「もうここしかない!」と思っていたら、オーディションがあることを偶然に知ったのでした。
SETのオーディションでは、得意な松田優作と水谷豊のモノマネをして、見事合格!
寺脇康文の運命の出会い
SETの合格後に歓迎会があり、2次会、3次会と進むうちに人がどんどん減っていき、気がづくと岸谷五朗さんと2人だけ残っていて、朝までずっと話していたそうな。
その時の寺脇氏は、「世界中に、こんなに気の合うヤツがいたかっ!!」という嬉しい衝撃が爆発していたそうで、その後も岸谷五朗さんとはすっと仲良しご縁が続いているそうです♪
寺脇康文のSET時代の生活
SET時代は寺脇氏にとっての下積み時代。
この時代の給料はほんの数万円で、食べるのがやっとだったことがあり、アルバイト先は賄い付きを優先に選んでいたそうです。
居酒屋やスーパーマーケット・しゃぶしゃぶ店の皿洗い・ビジネスホテルのフロントなどを経験したそうですが、しゃぶしゃぶ店の賄いで出る肉が一番のごちそうだったとか。
入団後に仲良くなった岸谷五朗さんと一緒に座長の三宅裕司さんが帰るタイミングを見計らっていて、三宅さんの「何か食べていくか」の言葉を待っていたんだとか。
その言葉を聞くと寺脇&岸谷コンビは心の中で「してやったり」だったそうですが、発する言葉は「お供します」だったとか。
SETに10年在籍をしていたそうですが、仲良しの岸谷さんと相談して退団をすることにしたそうです。
退団後は、二人でアミューズに所属することに・・・ここからより一層輝き始める二人でした。
アルバイトをしなくても食べていけるようになったのは28歳の時。
アミューズに所属することが決まった時に、水谷豊さん主演のドラマ「刑事貴族」のレギュラーに決まったそうな。
寺脇康文の学歴
寺脇康文の学歴と受験先
岐阜市立長良小学校
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岐阜市立長良中学校
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岐阜県立岐陽高等学校(2004年に岐阜県立本巣高等学校と統合し、岐阜県立本巣松陽高等学校の設立により廃校。引用元:Wikipedia)
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早稲田大学の受験に失敗
寺脇康文の最終学歴
現時点で大学に進学をしていないようですので、寺脇康文氏の最終学歴は高卒。
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