デビュー作は1992年に公開された映画「裸足のピクニック」で、1994年に公開された映画『愛の新世界』で”主演”を果たした鈴木砂羽さん。
鈴木砂羽さんの初主演作品は衝撃的で、日本映画初のヘアヌードが話題にもなったようです。
そんな浜松市出身の鈴木砂羽さんの若い頃はどんな活躍などをしていたのか?
現在は?
実家の家族の仕事や鈴木砂羽さんの出身校や学歴などの紹介の後にお伝えします。
※この記事でお伝えしていることは執筆時のものであり、現在では異なる場合がありますのであらかじめご了承の上、お読みくださいませ(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
また、情報に誤りがあった場合など、ご指摘いただけると幸いです。
>>ココナラ
目次
鈴木砂羽のプロフィール
本名:鈴木砂羽
生年月日:1972年9月20日
年齢:50歳(2022年12月時点)
身長:164 cm
血液型:A型
靴のサイズ:24㎝
好きなマンガ:ガラスの仮面
好きな歌:氣志團・レディ・ガガ
趣味:読書・通販・スキー
特技:モダンバレエ
収集:消しゴム・固形石鹸・シュシュ・ご当地キティちゃん
好きなこと:占い・タロットカード
結婚歴:1回
離婚歴:1回
活動期間:1992年 –
劇団&事務所:文学座→ホリプロ→T-artist
鈴木砂羽のコミックエッセイ/ボンちゃんがいく☆
鈴木砂羽の中2の時に離婚した両親は美術研究所「浜美」の講師
鈴木砂羽の実家の家族
鈴木砂羽さんと父親・母親と妹の構成の4人家族でしたが、鈴木砂羽さんの中2の時に離婚しています。
映画好きの両親は多摩美術大学で知り合い、両親の故郷の静岡県に戻ってから結婚したそうです。
母親方の祖父も画家だったので、結婚後に祖父と両親の3人で浜松市で「はままつ美術研究所」で、美大受験の講師をしていたそうです。
父親は自主制作映像集団も主宰していたそうですが、1982年からは画家のみの活動をしているとか。
そんな両親は、鈴木砂羽さんが生れ育ってもお昼まで寝ていたそうです。
鈴木砂羽さんの食事は1日2回で、小学校に進学するまでは1日3食が当たり前だとは知らなかったそうな。
両親は、鈴木砂羽さんを小学低学年から美術館やレストランなど大人の場所に連れて行き、食事をはじめマナーなどの行儀を徹底して教えたそうです。
鈴木砂羽さんの子供の頃のおやつの一つは”塩辛や塩昆布などでお茶漬け”で、これが当たり前だと思っていたみたい。
この頃の住まいは、借家の平屋だったとか。
両親が離婚した後は、浜松市で別々に暮らしていて、鈴木砂羽さんは両親に会うために月に1~2回帰省しているそうですよ。
鈴木砂羽の父親は西条俊生で多摩美術大学造形学部彫刻科卒業の画家
鈴木砂羽さんの父親は西条俊生(さいじょうしゅうせい)の名前で画家として活躍をされています。
1948年に静岡県袋井市に生れのプロレス好き。
特にアントニオ猪木氏が好きだったとか。
鈴木砂羽さんと父親とのエピソードは、上京した父親にハグしているところを「鈴木砂羽、酔っぱらって男性とハグ」とツイートされたそうです。
このことで鈴木砂羽さんは「そっくりだから親子って分かるでしょ」って嘆いていたとか。
2022年時点での父親の年齢は74歳のお一人様のようです。
鈴木砂羽の母親は画家で多摩美術大学卒業
鈴木砂羽さんの母親は父親と同じで美術研究所「はままつ」で美大受験の講師をしていて、お名前は鈴木葵さん。
鈴木砂羽さんの中2の時に離婚が成立し、母親は鈴木砂羽さんを引き取り一緒に暮らし始めたました。
離婚後は借家住まいをしていたそうですが、2002年~2001年当たりに鈴木砂羽さんが家を建てたので、そこを住まいにしているとか。
母親と鈴木砂羽さんは一卵性双生児のような感じなんだそうです。
鈴木砂羽は兄弟は妹が一人いた
鈴木砂羽さんには、心臓が弱い妹がいたそうですが、鈴木砂羽さんが小3になるちょっと前に、他界したそうです。
妹は生れてからほぼ入院生活をしていて、母親は妹につきっきりだったため、鈴木砂羽さんは祖母の家に預けられていたとのこと。
享年3歳でした。
鈴木砂羽は実家のローンを支払中
鈴木砂羽さんが31歳の頃、母親が住んでいた借家の裏の土地を購入し、そこに5LDKの家を建てたそうです。
その家は浜松市にあり、増築中なんだとか。
浜松に帰省すると、家族の車を洗車するのが好きで、5時間くらいかけて隅々まで綺麗にしているそうです。
鈴木砂羽の母方の祖父は鈴木貞夫氏
浜松市中区富塚町で「はままつ美術研究所」代表を務めていた鈴木砂羽さんの祖父でしたが、2023年1月16日に他界。
享年101歳でした。
祖父は30代で美術教室を開き、約50年の間本紙の学童紙上作品展の選者・評者として活躍し、元陽展大賞や日本選抜美術展金賞などの受賞歴があるそうです。
祖父は静岡県袋井市生れで、芸術家系のご実家で、幼い頃から絵に親しんでいたそうです。
参考元:yomiDr.2018年6月1日・PASONICA JPN・cinemacafe.net2014.5.22・文春オンライン2022/12/06・NIKKEI STYLE2010/4/30・鈴木砂羽のエッセイ本「女優激場」・中日新聞2023年1月28日・スポニチ2023年1月17日・ほか
鈴木砂羽は女子美術大学短期大学部を中退
子供の頃から人から「変わってるね」と言われる事が多かった鈴木砂羽さんの幼少期は、両親の影響で絵をよく描いて、将来は漫画家になりたいと思っていて、アニメ「魔法の天使クリィミーマミ」の世界観をいかした魔法マンガを描いていたそうな。
小1(6歳)から「佐藤典子舞踊研究所・付属バレエ教室」でモダンバレエを習うことになり、高3まで続けたみたい。
高校時代は、友人と一緒に自主映画「しそ嶋をさがせ!」を制作・出演し、その他にはバンドもしていたそうですが、高2の時の三者面談で、先生に女優になることを宣言したそうな。
浜松市立北部中学校 卒業
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静岡県立浜松江之島高等学校(2023年度版偏差値は43 – 44) 卒業
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女子美術大学短期大学部衣服デザイン科(2022年度版偏差値43 – 44) 中退
参考元:PASONICA JPN・日刊サイゾー2021/05/24・鈴木砂羽のエッセイ本「女優激場」・ほか
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学生時代にイジメに遭っていた鈴木砂羽さんで、クラス外で友達を作って、そこで過ごしていたんだって。