山本龍の華麗なるバレーの歩み
山本選手が兄弟の影響で小1の6歳の時から比叡平スポーツ少年団でバレーを始めたそうです。
このチームで、小5の時は「全国大会準優勝」・小6の時に「春、夏全国大会準優勝」を経験した山本選手は、皇子山中に進学しても中2で「全国大会3位」・中3で「全国大会3位、JOC滋賀代表1位」とセッター&バレーボーラーとしてエリートの道を進んでいるような青春時代を過ごしたようです。
”司令塔山本”は、大塚達宣選手と同じ洛南高等学校に進学すると、攻撃的なセッタープレーに頭脳がプラスされ磨きがかかり、高1で「春高バレーベスト8」・高2で「春高バレー2位」・高3では「インターハイ2位」・「国体京都代表1位」・「春高バレー1位」に貢献するという輝かしい体験をしたのでした。
高3で出場した春高バレーで、初戦から5試合1セットも落とすことなく勝利するという偉業を果たした立役者となった洛南高校の4人組は「洛南カルテット」と称され、注目を集めたのでした。
「完全優勝」の偉業を成し遂げた「洛南カルテット」のメンバーは、山本龍選手(S)・大塚達宣選手(WS)・垂水優芽選手(WS)・中島明良選手(MB)の4人でした。
山本選手が大学に進学をすると、高校時代までとは違う取り組み方が壁になり苦しんだようです。
1、2年の頃は同じ高校で一緒に戦っていた大塚達宣選手や垂水優芽選手の活躍を目の当たりにして、”自分だけ置き去りになっている”と思い、必死で練習をしていたのでした。
悩み続けるも投げ出すことはなかったけど、思い通りに行かない悔しさは相当のものだったようです。
大学1年の時は「全日本インカレ4位」・大学2年と大学3年は「全日本インカレベスト8」。
そして大学4年になるとキャプテンを務めることになり、責任の重さに押しつぶされそうになりながらも「春のリーグ戦1位」・「東日本インカレ1位」・「全日本インカレ2位」に貢献し、”司令塔山本”の頭脳プレーが炸裂したのでした。
炸裂した”司令塔山本”をVリーグが放って置くわけがございません。
サントリーサンバーズの内定選手となり、内定選手としてV1男子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たしたのでした。
25歳になるまでには『日本のセッターは山本龍だ』と言われるような選手になっていたいという目標を持って山本選手のアスリート時代の幕が開けたのでした。
小学校5年時:全国大会準優勝
小学校6年時:春・夏全国大会優勝
↓
■中学時代
中学2年時:全国大会3位
中学3年時:全国大会3位 JOC滋賀代表1位
↓
■高校時代
高校1年時:春高バレー ベスト8
高校2年時:春高バレー2位
高校3年時:インターハイ2位 国体京都代表1位 春高バレー1位
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■大学時代
大学1年時:全日本インカレ4位
大学2年時:全日本インカレベスト8
大学3年時:全日本インカレベスト8
大学4年時:春のリーグ戦1位 東日本インカレ1位 全日本インカレ2位
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