目次
高橋藍の大学時代のエピソード
ラジオで高橋慶帆君のこと話題にしてたけど
サーヤ個人的というか、周りのお姉様方(男)も含めて「高橋藍」君の方が人気。ってか全日本選手かなりイケメンよね。
石川祐希選手もイケメンだし。
ananの表紙とかやばーい。#佐久間宣行ANN0 https://t.co/y5OkI5eQgE
— サーヤ🇹🇭バンコク(ライブドア公式ブログ家) (@sayabangkok) September 29, 2023
高橋藍が日本体育大学(日体大)を選んだ理由
”高校や大学で勝つ”と言う期間の限られた目標ではなく、世界を見据え、日本を背負って戦う選手になりたいと思っていて、そのための知識や体力と技術を身につけられるには、スポーツに特化した大学がいいと思い、日本体育大学(日体大)を選んだようです。
兄の後ろを歩んでいた高橋選手でしたが、兄と違った大学を選んだようですね。
因みに、兄は日本大学(日大)進学。
高橋藍の座右の銘
2020年のコロナ渦の自粛中に、観ていた海外ドラマの「プリズン・ブレイク」で出てくる「勇気と信念が世界を変える」の言葉を一生座右の銘にしたいと思っている高橋選手。
このドラマでは他に、主人公のセリフで「信じるべきものは、自分だ」が好きなんだとか。
高橋藍の大学1年生(2020年4月~2021年3月)のエピソード
2020年4月に入学した高橋選手で、登録は同年の2月にされた全日本男子バレーボールの活動に合流。
レシーブを期待されていたことでプレッシャーを感じ、いきなり”飛び級”でシニア代表に呼ばれたこともあって、当初は不安だったとか。
高橋選手の合流後しばらくして新型コロナウイルスの影響で、メンバーでの練習がままならなくり、一人ウエイトトレーニングに励み、食事は一日4食として体作りをしたそうな。
これは、憧れていた石川祐希選手に合宿で一緒になったことから刺激を受けたようです。
ご自身はプレーヤーとして身体に気を遣っていましたが、実際に石川選手の私生活を見て、”アスリートの意識の高さ”に触れることができたとか。
コロナ渦で大学が解散になったことで、2ヶ月くらい実家に戻っていた高橋選手でした。
身体を休めることを基本にして、ケアとかに治療に行ったりもしていたとか。
気分転換には散歩をしたり、買い物に行ったりしていたようですよ。
高橋藍の大学2年生(2021年4月~2022年3月)の時系列エピソード
2021年5月:中国との五輪テスト大会で国際試合デビューを果たす
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2021年6月:イタリアで行われたネーションズリーグに出場
ネーションズリーグが終わった6月に、パドヴァとチステルナからお声掛けがあった高橋選手でした。
石川祐希選手からは「行くチャンスがあるなら、大学のうちに(海外へ)行ったほうがいい」とアドバイスを受け、男子バレーボール監督のフィリップ・ブラン氏からも「すぐにでも行け、行ったほうがいい」と言われていたようです。
高橋選手は、高校を卒業した当たりから海外での挑戦を考えていたこともあり、その考えを実現する為に動き出したのでした。
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2021年7月:東京オリンピック代表の12人に選出され、スタメン出場。
1年延期された東京五輪のメンバーに選ばれた時に「まずは楽しもう」と思った高橋選手。
そして、自分がチームの勝利の為に貢献したいと言う思いで五輪に臨んだんだとか。
初めて日本代表に選ばれたのが2020年の19歳の時でバレーボール男子日本代表史上最年少だった高橋選手で、東京五輪は日常が一変してしまい、日本体育大学のキャンパスに行くと、高橋選手目当ての学生が多数集まってしまう事態に!
急きょ、高橋選手はONLINEで授業を受講することになったのでした。
その他、巣材依頼が殺到するわ、SNSのフォロワーが激増わで、高橋選手の想像をはるかに超えていたそうです。
世間は高橋フィーバーが起きていましたが、高橋選手自身は、「自分にもっと経験があれば、日本はメダルに届いたんじゃないか」と悔しい思いで一杯だったとか。
そして、世界の高さに慣れてこないことが”決められない原因”と考え、海外行きを決意していたのでした。
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2021年9月:アジア選手権に出場
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2021年11月29日:全日本インカレの開幕
日体大はこの大会後に高橋選手がイタリア・セリエA「パッラヴォーロ・パドヴァ」への入団を表明。
渡伊後は、現役の日体大生としてオンライン授業を受けながら、現地の大学で語学も学び、プロバレーボール選手としてプレーすることも説明されたようです。
パッラヴォーロ・パドヴァに決めたのは、石川選手から「パドバはすごくいいチームだよ」と勧められたことが大きく、その言葉が後押しになったそうです。
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2021年12月10日:高橋選手渡伊
東京五輪を経験したことで、ご自身の気持ちがより強くなったと感じた高橋選手は、高校時代から思い描いていた海外でのプレーを実行に移したようです。
2024年パリ五輪でのメダル獲得へ「スパイクを磨くため」の思いもあり、各国のトッププレイヤーがしのぎを削る、世界最高峰のプロリーグでプレーでした。
空港に到着するとパドヴァのクラブのマネージャーがすでに迎えに来てくれて、ランチをしてから寮に行き、その日は就寝となったととか。
高橋選手曰く、「驚くほどスムーズにイタリアでの1日目が始まり、それからの日々もあっという間」とのこと。
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2021年12月19日:セリエAデビュー
イタリアの観客が「ウェルカム、ウェルカム!」と言って高橋選手を歓迎してくれたようで、本当に嬉しく思いながらのプレーだったようです。
デビューからのその後は、主にレシーブでの貢献を求められながらも出場機会が減っていったそうです。
そして、ついにヤコポ・クッティーニ監督からリベロでの起用を告げられたのでした。
その理由について監督は、チームのスパイカーと比べると髙橋選手にはフィジカルの強さと経験が足りないと感じたんだとか。
リベロを告げられた当時の高橋選手は、「スパイカー」として世界に学びに来ていたため複雑な思いだったそうな。
ですが、シーズン途中に加入した高橋選手は、スタメン出場が難しいと感じる中で1試合でも多く経験するため「リベロ」で挑戦する事にしたのでした。
その後はリベロでプレーしても、普段はアウトサイドヒッターの練習をしていた高橋選手。
アウトサイドヒッターとして、現状維持ではなく、少しでも能力を上げなければと言う思いだったそうです。
高橋藍のイタリア生活こぼれ話
パドヴァは穏やかな街で人も優しいそうです。
チームメイトはとても親切にしてくれ、日本のアニメやマンガがよく話題になるんだとか。
クラブのマネージャーはセーラームーンが好きで、日本のアニメショップにも連れて行ったり、高橋選手よりも、チームメイトの方が詳しいのに、日本のことに興味津々でさらに教えてと言ってくれるようです。
車の免許がない高橋選手は、大学の寮住まいで、同じ寮住まいのチームメイトに車で練習や試合に連れていってもらっているとか。
外食にも誘ってくれたりと、生活面ではほとんど不自由がないイタリア生活。
そんな生活を過ごしていたある休みの日に、食材を買って自炊をした高橋選手でしたがお腹を壊されたそうな・・・( ´゚ェ゚)チーン
新年を迎えるための爆竹音も経験したのでした。
コロナ渦でなければ、石川選手と会っていたそうですが、自宅隔離だった為、叶わなかったそうな。
人生で初めて、年末年始をお一人で過ごされ、寂しいかったそうです。
高橋藍の大学3年生(2022年4月~2023年3月)のエピソード
イタリア期間は、英語でコミュニケーションをとっていたそうですが、イタリア語の必要性を想像以上に大切だと痛感したそうです。
渡伊するまでは、英語もほとんど話せなかった高橋選手だったそうで、パドヴァ大学の教授に英語を習う環境を用意してもらい、日常生活はそれなりに会話が出来るようになったとか。
耳を慣らすために、海外のコメディを英語で見たり、間違えても積極的に英語で話すという努力していた高橋選手。
チームメイトと食事に行くことも、コミュニケーションを図るだけでなく、語学を勉強する場だったとか。
イタリアは。食事が出てくるのがゆっくりで、食事を長い時間をかけて楽しむのが基本だそうな。
試合後の夕食に出掛けても、そのディナーは3時間以上かけるのがポピュラーだそうで、体が疲れていても”耳を慣らす貴重な時間”として参加していたようです。
イタリアの生活で高橋選手は「おしゃれしないといけない」と思ったそうで、カラフルなものを着るようになったそうな。
日本ではチョイスしなかったであろうようなパーカーを着たり、サングラスを付けて歩いたりと、かなりおしゃれになったとのこと♪
イタリアのエスプレッソがお気に入りで、飲む量が増えたそうです。
4ヶ月間のイタリア修行で、高さに対する戦い方はレベルアップし、メンタルを一番に学んだとのこと。
体重は6㎏ほど増え、心技体で大きくなって帰国した高橋選手でした。
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2022年6月:FIVBバレーボールネーションズリーグ2022 予選ラウンド第2週フィリピン大会が始まる前の検査で陽性反応が出た高橋選手。
身体に影響はない無症状でしたが、5日間の隔離を余儀なくされ、隔離期間はホテルの部屋から出ることができなかったそうな。
行動が限られたためトレーニング程度しかできず、それまでいい感覚で積み重ねてきたものがかなり低い段階まで落ちてしまったとか。
隔離期間が過ぎ、実際練習へ合流しても体がうまく動かせることができなかったことで戦えるのかという不安を抱いていたそうです。
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2022年7月:男子バレーボール世界選手権壮行試合 日本代表紅白戦に出場
ネーションズリーグのファイナルラウンドを終えてからすぐの開催だった為、疲労がたまっていた高橋選手は休みが欲しいと思っていたそうな。
ですが、ポジティブ思考の高橋選手は、沖縄でバレーボールが開催できること自体めったにないことなので、ソーキそばを食べに行ったり、朝は海を散歩したり、夜は砂浜でヤドカリを探したりと小さな楽しさを満喫したようです。
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2022年8月:2022男子世界選手権 – 国際大会に出場した高橋選手でしたが、結果が目標としていたベスト8に届かず12位だったため、大会終了直後は涙も出ないぐらい悔しかったそうです。
この大会中に21歳の誕生日を迎え、みんなにお祝いをしてもらった高橋選手でしたが、前日にホテルのスタッフが「日本にラン・タカハシっているよね。明日が誕生日だからケーキを出すんだ」と高橋選手にサプライズケーキの事を本人と知らずに話してしまっていたんだとか。
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2022年9月13日:2022-23シーズンも引き続きイタリアのセリエA・パドヴァでプレーするため渡伊した高橋選手。
昨年のシーズンは途中からの参加をしたため、チームが出来上がっている状態だったことから、今シーズンからはスタート時から勝負するためにリーグ開幕前の9月から合流する事にしたそうです。
試合が続くと体重がすぐ落ちてしまう高橋選手だそうですが、日々鍛えながらとにかく食べていると、その成果が現われているんだとか。
イタリアは試合の2日前でもしっかりとウエイトトレーニングをするんだそうですが、始めの頃はキツく感じていたことが、続けるうちに確実に変り、筋肉量も増え、見た目にも判るほど大きくなったそうです。
なによりも「体を守る頑丈な“鎧”がある」という感覚を強く持つようになったとのこと。
オフの日は、リラックスするための日としているそうで、パドヴァの町を1人で音楽を聴きながら散歩するのがお気に入りな高橋選手。
チームメイトと食事に行ったりして、シーズン2回目になるとイタリア生活に慣れたようです。
イタリアの生活に慣れた高橋選手ですが、たまにお味噌汁が恋しくなるそうです。
基本自炊をしている高橋選手で、ブロッコリーをそのまま切って食べていたんだとか。
食べながら「ブロッコリーってこんなに固かったかな?」と思っていて、親に言ったら茹でて食べる野菜と初めて知ったエピソードも!
イタリアのチームメイトから、本場のカルバナーラの作り方を教わったことで、オフの日は作って食べているそうですよ。
チームメイトで特に仲良しだったのは1歳年下のフェデリコ・クロザート氏だったとか。
高橋藍の大学4年生(2023年4月~2024年3月)のエピソード
2023/2024シーズンは「Vero Volley Monza(セリエAのモンツァ)」でご活躍されるそうです。
【ご報告】
いつも沢山の応援ありがとうございます。
先日発表がありましたが、2023/2024シーズン 「Vero Volley Monza」でプレーすることになりました。沢山の支援のおかげで日々成長できています。更に高みを目指して自分を磨きます。
引き続き応援よろしくお願いします。引用元:髙橋藍(Ran Takahashi)@Ran_volley0902
2023年のバレーボールワールドカップでも大大活躍をした高橋選手で、いろんなフェイクプレーも披露してくださいました。
高橋選手曰く、「今の監督はもう昔みたいに『何やってんだー!』って怒らないから」なんだとか。
試合中に遊びでやっても『何なんだー、これは!』って怒らないブラウン監督だそうですよ。
スロベニア戦で勝利した時は、コートの中央でうずくまり、泣いていた高橋選手でした。
当時を振り返り高橋選手は「やっぱりしんどかったです。この大会自体もそうですけど、ここまで来るためにたくさんの犠牲を払ってきた。イタリアへ行って、家族や友達にも会えない。大げさじゃなく、人生をかけてここまできた。勝って、解放された瞬間に、そういういろんな思いや感情が溢れてきました」とのこと(˶ඕ ⌔ ඕ˶)ジーン
2024年3月15日は高橋選手のキャンパスライフが終わった日。
高橋選手はイタリアリーグ・セリエA1部のモンツァで活動するため、メッセージを送り卒業式は欠席したそうです。
ポケモンカードに釣られたことで「日本の、世界の「バレー選手」」になった高橋藍選手でした。
おわりに
高橋家は、育ち盛りが3人いたことで、経済的に余裕がなかった期間があったんだとか。
高橋藍選手は中2まで、兄のお下がりばかりを身につけていて、新しい靴も当時は買ってもらえる状況ではなかったそうな。
そんなことがあって、この記事のプロフィールで紹介している”お金”については「バンバン使う派で欲しい物は全部買う」になったのでは?と思ってしまいます。
これからも高橋藍選手からは目が離せそうがないですね!
お付き合いを頂きまして、ありがとうございます。
この記事の参考元:(高橋選手が19歳の時の)当サイト旧記事・中日スポーツWEB2022年6月1日・日刊スポーツ・プレミアム2022.05.30・日刊スポーツ・プレミアム2022.05.2・HOMINIS2020.10.10・日本経済新聞2022年8月26日 ・スポニチ2022年5月16日・スポニチ2021年11月30日 ・スポニチ2021年8月4日・スポニチ 2021年8月3日・web Sportiva2023.01.06・web Sportiva2022.01.03・web Sportiva2021.11.30・Number Web2024/04/19・Number Web2023年10月14日・NumberWeb2023/01/13・NumberWeb2022/09/23・NumberWeb2022/01/31・NumberWeb2021/12/29・NumberWeb 2022/12/10・NumberWeb2021/12/08・web Sportiva2021.05.28 ・NumberWeb2022/09/23・NumberWeb2022/08/25・NumberWeb2022/04/08・NumberWeb2021/08/02 ・livedoor2023年1月6日 ・4years.2021/03/11・4years.2020/01/27・TBS NEWS DIG2022年7月9日・サンスポ2021年7月8日・an・anNEWS2022年10月30日・・髙橋藍オフィシャルサポーターズクラブ・バレーボールマガジン・FNNプライムオンライン2023/03/12・髙橋藍(Ran Takahashi)@Ran_volley0902・VOLLEYBALL HEROES2023.01.31・アサ芸プラス2023年10月12日・ほか
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