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大塚達宣の「世代No.1アタッカー」と称された高校時代
洛南(らくなん)高等学校に進学した大塚選手で、この高校を選んだのは実家から通える事を第一として、文武両道に優れた高校だと思ったからでした。
大塚選手やご両親は「「学生である以上、勉強しないといけない」と思っていたこともあり、スポーツクラスではなく、一般クラスでこの高校で3年間文武両道を貫いたのでした。
洛南では、海と空があり、スポーツクラスを「海コース」と呼んでいてこのコースは推薦入学。
一般クラスは「空コース」と呼ばれ受験から入学した生徒だそうです。
スポーツ推薦で入った選手にほとんどは「海コース」だそうで、洛南は成績上位者からA>B>Cと分かれていて、バレー部は基本的にBとCで、大塚選手の成績は「B」だったとか。
この高校の偏差値を先にもお伝えしましたが、「72 – 75」なんで、大塚選手の成績が「B」でも頭が良いことは間違いございませんね(。•̀ᴗ-)✧
大塚選手のバレーのあゆみですが、1年のときから春高でご活躍をされ、日本代表に召集され、高2で第11回アジアユース男子世界選手権大会(U-19)に出場してスターティングメンバーとしてご活躍をして3位に!
U-19のその時のメンバーには、宮浦健人選手・中村駿介選手・西田有志選手もご活躍されていたのですが、今思えばすごいゴージャスなメンバー♡
試合が終わり、帰宅した大塚選手は目をキッラキラさせて「すごい人たちがおった! 僕なんか体も弱いし、もっと強くなりたいな」と楽しそうにご両親に言ったんだとか。
この高校時代に「世代No.1アタッカー」と称される選手になるとは思っていなかった大塚選手でした。
大塚選手は、ご自身よりも強い相手がいても劣等感を持つことがなく、試合に負けても落ち込む事なく受け入れ、次にすることを考えていたり、ご自身が怪我などで練習や試合に参加できなかった時は、サポートに回ったりしていたそうで、大塚選手を調べていると性格が良いと言われていることが「本当なんだ」と思えるエピソードが満載って感じです♪
大塚達宣が一番記憶に残っている試合は「京都府予選会」
春高につながる「京都府予選会」で、決勝の相手は3年連続で東山高校のだった試合が一番記憶に残っていて思い出したくないぐらいの試合なんだとか。
インターハイ予選以上に落としたくない気持ちが強かった大塚選手だったそうで、東山高校との試合は毎年接戦で、苦しんで何とか勝利したのですが、同じ京都に強いライバル高があることで互いに切磋琢磨できたけど「しんどかった」そうですよ。
東山高校の豊田充浩監督は、「頭が賢いのはもちろん、プレーもクレバー。自分のことだけでなく、周りをどう活かすか、その中で自分がどう活きるかを考えられる選手」と称賛しているほど素晴らしい大塚選手。
大塚達宣の「高校時代のバレーのあゆみ」まとめ
【高校1年】
・春高バレー(全日本バレーボール高校選手権大会)に出場(ベスト8)
・日本代表に召集
↓
【高校2年】
・春高バレー(全日本バレーボール高校選手権大会)に出場(準優勝)
・U-19日本代表に選出。
・世界ユース選手権で全試合スタメン出場(/位)
↓
【高校3年】
・春高バレー(全日本バレーボール高校選手権大会)に出場(優勝)
・インターハイ(準優勝)
大塚達宣選手
かっこよすぎて死んだ
オリンピック頑張ってください
いい結果が出せると期待してます