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大塚達宣の戦隊モノに夢中になっていた幼少期
おとなしく優しい性格な大塚選手でしたが、好き嫌いはハッキリしていたそうです。
ご両親は、楽しく熱中出来ることを見つけてほしいという思いがあって、大塚選手が2歳の頃に水泳の体験をさせたそうですが、すぐに「たっちゃん嫌だ」と拒まれたんだとか。
体操教室に通ってもみましたが、続けたいと言わなかったそうです。
この幼少期に夢中になっていたのは、戦隊モノだったそうですが、好きだったのは、”みんな大好き♪”の主人公のキャラクターではなくて、脇役のキャラクターだったとか。
大塚達宣がバレーを始めてから積極的で社交的になった小学時代
当時の大塚選手は、内向的な性格で自分に自信が持てない子だったことから、「スポーツじゃなくてもいいから、何か始めてみたら? 」とご両親が勧めていたんだとか。
その当時の大塚選手は「何かスポーツがしたいな」と思っていたそうで、その後初めてスポーツで夢中になったのはバレーボールになるのでした。
大塚選手の小3の時に、母親のもとに駆け寄ってきて「こんなのやってみたい!」とパナソニックパンサーズの下部組織であるパンサーズジュニアの部員募集の広報紙を見せてキラキラお目々をして言ったそうです。
うれしいことがあってもはしゃがず、悲しいことがあっても落ち込むことはない、冷静なタイプのお子様だった大塚選手が興味を持ったのはバレーボール。
体験入部をした日の帰宅後一番に「楽しかった」とうれしそうに話した大塚選手だったそうで、帰宅後もずっとボールに触れているほど、バレーに熱中したんだとか。
特に楽しそうに練習をしていたのは”スパイク”で、コースを狙う”スナイパータイプ”だったようです。
おとなしく自己主張できない性格だった大塚選手は、段々と積極的で社交的になり友達も増えようです。
公益財団法人日本バレーボール協会(JVA)が主催する「JVA男子・女子エリートアカデミー合宿」に参加した当時小6の大塚選手。
12人が参加していたそうですが、当時の大塚選手の身長は小さかったんだとか。
合宿から帰宅した大塚選手は、開口一番に「全国に行ったら僕よりも大きくてバレーができる友達がたくさんいた!うれしい!」だったそうです。
合宿でもらった栄養士が監修したプリント見た母親は、栄養学を本格的に学び大塚選手を食事面でもサポートしたのでした。
そのサポートのお陰か、大塚選手の身長は小6~高校に進学するまでに30㎝も伸びたそうですよ!
この時代に通っていたと思われる学校は、大塚選手のご実家から徒歩500㍍で約6分のところにある山田小学校。
大塚達宣の日本代表を目標にした中学時代
ご実家から徒歩約12分で1㎞くらいの距離にある枚方市立中宮(なかみや)中学校に進学した大塚選手でしたが、この中学校にはバレー部はなかったため、小学校から通っていたパンサーズジュニアで技を磨いていたそうです。
3年生のときには全国ヤングクラブ優勝大会 U-14男子で初優勝し、最優秀選手賞に選ばれたり、JOC全国都道府県対抗中学バレーでは個人表彰として最優秀選手賞にあたる「JOC・JVAカップ」に選ばれたとのこと。
この頃から頭を使ってプレーするようになった大塚選手だそうで、中学時も心からバレーボールを楽しんだとのこと。
この時代から「もっと強くなって五輪でで出場したい」と思う様になり、日本代表に選出されることを目標にしたようです。
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本ページの情報は2024年4月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにて
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大塚達宣選手
かっこよすぎて死んだ
オリンピック頑張ってください
いい結果が出せると期待してます