※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

大塚達宣の学生バレー14年間とその後のあゆみは?生い立ちと名前の由来やエピソードも紹介!

Sponsored Links








男子バレーボール選手の中でも、頭脳明晰で身長もある大塚達宣(おおつか・たつのり)選手について紹介していますが、大塚選手は性格がとても良いと評判の選手でもあるんです。

穏やかな家庭でお育ちになったようで、ご両親曰く、「素直で謙虚な子」とのこと。

大塚選手のご実家の家族については別の記事で紹介していますので、そちらからご覧いただければと思います。

この記事は「大塚達宣のプロフィールや経歴は?出身校や偏差値と進学した理由も!」を2023年4月にタイトルを変更し、内容もリニューアルした記事です。

「大塚達宣の学生バレー14年間とその後のあゆみは?生い立ちと名前の由来やエピソードも紹介!」と新しく題しまして、大塚達宣選手の生い立ちやバレーボールのあゆみをお伝えいたします。

この記事でお伝えしていることは執筆時のものであり、現在では異なる場合がありますのであらかじめご了承の上、お読みくださいませ(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
また、情報に誤りがあった場合など、ご指摘いただけると幸いです。



>>モヤモヤした流れを切り替えるならココナラ

大塚達宣のプロフィールと名前の由来と学歴

大塚達宣のプロフィール

生年月日:2000年11月5日

年齢:22歳(2023年4月時点)

出身地:大阪府枚方市

身長:194cm

体重:87kg

所属:パナソニックパンサーズ

愛称:タツ

ポジション:OH

指高:246cm

利き手:右

試合前に聴く音楽:テンションを高めるため、アップテンポで前向きになれる歌詞の邦楽を聴く

試合前のルーティン:試合前日などに「自分のいいプレー集」みたいな録画映像を見て、いいイメージを頭に浮かべて試合に挑む

リフレッシュ法:寝る

性格:計画性があり、サボらない(母の証言)

休日の過ごし方:予定が合うときは、家族と温泉旅行に出かける。家族との時間を大切にしている。
家でゴロゴロせず、外出することが多い。

好きな食べ物:好き嫌いがない

好きなマンガ:『ハイキュー!!』

好きなキャラクター:牛島若利

大塚達宣の名前の由来

大塚選手のお名前の「達」は、目標を”達”成出来る子になればという希望や、多くの友”達”に囲まれる人であってほしいというてう願いを思いを込めて「達」の漢字を選び、「宣」は、父親の正宣さんの”宣”を与え、「「達宣」と名付けたそうです。

父親と大塚選手が一緒に写っている写真は別の記事でご覧頂けます。

大塚達宣の学歴と偏差値

枚方市立山田小学校

枚方市立中宮(なかみや)中学校

洛南(らくなん)高等学校/偏差値:72 – 75

早稲田大学(スポーツ科学部)/偏差値:68-71

大塚達宣の戦隊モノに夢中になっていた幼少期

出典:早稲田スポーツ

おとなしく優しい性格な大塚選手でしたが、好き嫌いはハッキリしていたそうです。

ご両親は、楽しく熱中出来ることを見つけてほしいという思いがあって、大塚選手が2歳の頃に水泳の体験をさせたそうですが、すぐに「たっちゃん嫌だ」と拒まれたんだとか。

体操教室に通ってもみましたが、続けたいと言わなかったそうです。

この幼少期に夢中になっていたのは、戦隊モノだったそうですが、好きだったのは、”みんな大好き♪”の主人公のキャラクターではなくて、脇役のキャラクターだったとか。

大塚達宣がバレーを始めてから積極的で社交的になった小学時代

出典:ぼーちゃん@VsuBaiVbilMJulx

当時の大塚選手は、内向的な性格で自分に自信が持てない子だったことから、「スポーツじゃなくてもいいから、何か始めてみたら? 」とご両親が勧めていたんだとか。

その当時の大塚選手は「何かスポーツがしたいな」と思っていたそうで、その後初めてスポーツで夢中になったのはバレーボールになるのでした。

大塚選手の小3の時に、母親のもとに駆け寄ってきて「こんなのやってみたい!」とパナソニックパンサーズの下部組織であるパンサーズジュニアの部員募集の広報紙を見せてキラキラお目々をして言ったそうです。

うれしいことがあってもはしゃがず、悲しいことがあっても落ち込むことはない、冷静なタイプのお子様だった大塚選手が興味を持ったのはバレーボール。

体験入部をした日の帰宅後一番に「楽しかった」とうれしそうに話した大塚選手だったそうで、帰宅後もずっとボールに触れているほど、バレーに熱中したんだとか。

特に楽しそうに練習をしていたのは”スパイク”で、コースを狙う”スナイパータイプ”だったようです。

おとなしく自己主張できない性格だった大塚選手は、段々と積極的で社交的になり友達も増えようです。

公益財団法人日本バレーボール協会(JVA)が主催する「JVA男子・女子エリートアカデミー合宿」に参加した当時小6の大塚選手。

12人が参加していたそうですが、当時の大塚選手の身長は小さかったんだとか。

合宿から帰宅した大塚選手は、開口一番に「全国に行ったら僕よりも大きくてバレーができる友達がたくさんいた!うれしい!」だったそうです。

合宿でもらった栄養士が監修したプリント見た母親は、栄養学を本格的に学び大塚選手を食事面でもサポートしたのでした。

そのサポートのお陰か、大塚選手の身長は小6~高校に進学するまでに30㎝も伸びたそうですよ!

この時代に通っていたと思われる学校は、大塚選手のご実家から徒歩500㍍で約6分のところにある山田小学校。

大塚達宣の日本代表を目標にした中学時代

出典:ぼーちゃん@VsuBaiVbilMJulx

ご実家から徒歩約12分で1㎞くらいの距離にある枚方市立中宮(なかみや)中学校に進学した大塚選手でしたが、この中学校にはバレー部はなかったため、小学校から通っていたパンサーズジュニアで技を磨いていたそうです。

3年生のときには全国ヤングクラブ優勝大会 U-14男子で初優勝し、最優秀選手賞に選ばれたり、JOC全国都道府県対抗中学バレーでは個人表彰として最優秀選手賞にあたる「JOC・JVAカップ」に選ばれたとのこと。

この頃から頭を使ってプレーするようになった大塚選手だそうで、中学時も心からバレーボールを楽しんだとのこと。

この時代から「もっと強くなって五輪でで出場したい」と思う様になり、日本代表に選出されることを目標にしたようです。

大塚達宣の「世代No.1アタッカー」と称された高校時代

出典:大塚達宣Instagram

洛南(らくなん)高等学校に進学した大塚選手で、この高校を選んだのは実家から通える事を第一として、文武両道に優れた高校だと思ったからでした。

大塚選手やご両親は「「学生である以上、勉強しないといけない」と思っていたこともあり、スポーツクラスではなく、一般クラスでこの高校で3年間文武両道を貫いたのでした。

洛南では、海と空があり、スポーツクラスを「海コース」と呼んでいてこのコースは推薦入学。

一般クラスは「空コース」と呼ばれ受験から入学した生徒だそうです。

スポーツ推薦で入った選手にほとんどは「海コース」だそうで、洛南は成績上位者からA>B>Cと分かれていて、バレー部は基本的にBとCで、大塚選手の成績は「B」だったとか。

この高校の偏差値を先にもお伝えしましたが、「72 – 75」なんで、大塚選手の成績が「B」でも頭が良いことは間違いございませんね(。•̀ᴗ-)✧

大塚選手のバレーのあゆみですが、1年のときから春高でご活躍をされ、日本代表に召集され、高2で第11回アジアユース男子世界選手権大会(U-19)に出場してスターティングメンバーとしてご活躍をして3位に!

U-19のその時のメンバーには、宮浦健人選手・中村駿介選手・西田有志選手もご活躍されていたのですが、今思えばすごいゴージャスなメンバー♡

試合が終わり、帰宅した大塚選手は目をキッラキラさせて「すごい人たちがおった! 僕なんか体も弱いし、もっと強くなりたいな」と楽しそうにご両親に言ったんだとか。

この高校時代に「世代No.1アタッカー」と称される選手になるとは思っていなかった大塚選手でした。

大塚選手は、ご自身よりも強い相手がいても劣等感を持つことがなく、試合に負けても落ち込む事なく受け入れ、次にすることを考えていたり、ご自身が怪我などで練習や試合に参加できなかった時は、サポートに回ったりしていたそうで、大塚選手を調べていると性格が良いと言われていることが「本当なんだ」と思えるエピソードが満載って感じです♪

大塚達宣が一番記憶に残っている試合は「京都府予選会」

春高につながる「京都府予選会」で、決勝の相手は3年連続で東山高校のだった試合が一番記憶に残っていて思い出したくないぐらいの試合なんだとか。

インターハイ予選以上に落としたくない気持ちが強かった大塚選手だったそうで、東山高校との試合は毎年接戦で、苦しんで何とか勝利したのですが、同じ京都に強いライバル高があることで互いに切磋琢磨できたけど「しんどかった」そうですよ。

東山高校の豊田充浩監督は、「頭が賢いのはもちろん、プレーもクレバー。自分のことだけでなく、周りをどう活かすか、その中で自分がどう活きるかを考えられる選手」と称賛しているほど素晴らしい大塚選手。

大塚達宣の「高校時代のバレーのあゆみ」まとめ

【高校1年】
・春高バレー(全日本バレーボール高校選手権大会)に出場(ベスト8)
・日本代表に召集

【高校2年】
・春高バレー(全日本バレーボール高校選手権大会)に出場(準優勝)
・U-19日本代表に選出。
・世界ユース選手権で全試合スタメン出場(/位)

【高校3年】
・春高バレー(全日本バレーボール高校選手権大会)に出場(優勝)
・インターハイ(準優勝)

 

他の記事はいかがですか?

くまこちゃん

次のページは、大塚達宣選手の大学時代~のあゆみを紹介しています♪

<!–nextpage–>

大塚達宣の「大学生オリンピアン」と「大学生Vリーガー」になった大学時代

出典:早稲田スポーツ新聞会@waseda_sports

大塚達宣が早稲田大学を選んだ理由は2つ

Vリーグへのチームからの誘いがあった大塚選手でしたが、早稲田大学への進学を選んだようです。

早稲田を選んだ理由は2つ。

1つは、教員免許を取得したく、選手としてのキャリアを終えたときに、指導者になりたい気持ちが強かったとか。

2つめは、アスリートとして得られる知識も増やしたく、トレーニングやスポーツ科学、コーチングの面でもトップレベルの場所で人として成長し自分を高めたいと思ったそうです。

早稲田大学バレーボール部の松井泰二監督の「まずは人間性、学校生活が大事」という考えに共感した大塚選手。

洛南高校と同じような考えた方・練習方法の早稲田大学だったので違和感なく練習できたそうです。

大塚達宣の大学時代のバレー

高校バレーと大学バレーは違い、高校バレーでは力勝負なところもあったみたいですが、大学バレーはテンポやスピードが全然違って、それ以上にいろんな駆け引きがあり、相手に応じていろいろと戦略を変えていったそうな。

大学時代では体づくりとプロになっても通用する体の使い方に意識を向けていたそうです。

「世界に通用するプレーをもっと身につけないといけない」と日頃から意識してしていた大塚選手は、チャンスがあれば世界で挑戦したい・経験が欲しいと思った事もあったんだとか。

大学3年のインカレを終えたら柳田将洋選手や石川祐希選手のように・・・と。

そんな思いを持っていた大塚選手に海外以外の選択肢があることを気付くの事になったのは、ネーションリングの最中の清水邦広選手が何気なく言ったことだったようです。

できることはどんどんやったほうがいいし、すぐにでも上でやればいい。何だったら、パナでやったらええやん」と。

それを聞いた時に大塚選手は、”大学在学中にVリーグでプレーすることなど考えもしなかった”事に気が付いたそうです。

そして、それは考えれば考えるほど現実的だと思えるようになり、「バレーボール選手と学業を両立しながら日本で高いレベルを経験できる!」と思うとご自身にとってその選択は「最適」と考えたようです。

考えが決まった事で、松井泰二監督に相談したところ「経験できるなら上のカテゴリーで経験した方がいい」と言われ、今現役大学生が“内定選手”ではなくトップカテゴリーでプレーする例は初めてのことになる“現役大学生Vリーガー”の誕生を迎えることになったのでした。

パナソニックパンサーズの一員とし、“現役大学生Vリーガー”で活躍をした大塚選手は、大学3年生ながらVリーグ最優秀新人賞を獲得。

その後は、ほとんど休みがないくらい大忙しになるのでした。

アウトサイドヒッターの大塚選手は、大学4年の時にオポジットを経験したようです。

ネーションズリーグがスタートする前に、日本代表チーム内で新型コロナウイルスの陽性者が相次ぎ、そのためフィリピンラウンドでのフランス戦で大塚選手がオポジットのポジションで活躍したとか。

大塚達宣の大学時代のバレーのざっくりあゆみ

2020年2月/大学2:日本代表シニアに選出したが、コロナで描く試合は延期になる

2021年5月/大学3年:日本代表に選出しネイションリークに出場
同年6月21日:東京五輪代表の最終メンバーに選出し”現役大学生オリンピアン”になる

2022年1月6日/大学3年:Vリーグのパナソニックパンサーズに入団し、“現役大学生Vリーガー”にもなる

2022年12月11日/大学4年: 全日本インカレが終わり、学生バレーボール14年間・大学バレーボール4年間終了した

大塚達宣のVリーガーのあゆみ

出典:大塚達宣Instagram

2022年1月6日/大学3年:Vリーグのパナソニックパンサーズに入団し、“現役大学生Vリーガー”にもなった大塚選手でした。

「自分の考えを発信してチームになじみ、点を取るためにできる準備をして毎試合臨むだけ」と冷静な大塚選手ですが、今後のご活躍に期待しちゃいます♪

大塚達宣がパナソニックを選んだ理由

『このすごいチームでたくさん学びたい』という気持ちが第一でパナソニックを選んだようです。

パンサーズジュニア出身という縁もあり、チームの雰囲気や環境がすごくいいと思っていた大塚選手で、チームの本拠地が大塚選手の地元と一緒ということも良かったみたい。

その他には、ティリ・ロラン監督・ミハウ・クビアク選手・清水邦広選手など経験豊富な選手もいることから、色んな学びを得ることが出来ると考えたようです。

 

大塚達宣選手バレーボールのあゆみはまだまだ続き、これからも追記することとなります。

お付き合いを頂きまして、ありがとうございます。

この記事の参考元:当サイトの旧記事「大塚達宣のプロフィールや経歴は?出身校や偏差値と進学した理由も!」・早稲田スポーツ2021.07.23・早稲田スポーツ2021.07.22・4years. 2022/11/27・4years. 2021/07/20 ・4years.2019/10/07・web Sportiva2022.05.10・枚 方 市 教 育 委 員 会市立小学校・中学校通学区域表 [学校別表]・Googleマップ・みんなの高校情報・マイナビジョン・Number Web2022/01/14・Number Web2019/05/27・枚方市枚方市・大塚達宣Instagram・ほか

 

他の記事はこちらから♪

Sponsored Links








1 個のコメント

  • 大塚達宣選手
    かっこよすぎて死んだ
    オリンピック頑張ってください
    いい結果が出せると期待してます

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    ABOUTこの記事をかいた人

    こんにちは! あんびと申します。 犬が好きすぎて数頭のわんこを保護し、 ペット看護師の資格とペットセラピストの資格も取得して、 犬のために生きているような日々を過ごしているおばちゃんです。 こんな私ですが、よろしくお願いします。