2020年10月からの『相棒 season19』にレギュラー出演し、多くの人々に名前を知られることになった篠原ゆき子さんの本名は篠原友希子さんだとか。
篠原さんは、木村拓哉さんとキスシーンをしたくて俳優を目指したそうです。
今回は、そんな理由で俳優になった篠原さんの「篠原ゆき子の若い頃は?横浜市の実家家族やエピソードをまとめて紹介!出身校や学歴も!」と題しまして紹介いたします。
この記事でお伝えしていることは執筆時や加筆時のものであり、現在では異なる場合がありますのであらかじめご了承の上、お読みくださいませ(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
また、情報に誤りがあった場合など、ご指摘いただけると幸いです。
目次
篠原ゆき子の堀江貴文にナンパされた若い頃とエピソード
篠原ゆき子が役者として売れるまで
2003年に明治学院大学の法学部法律学科を卒業した篠原さんでした。
ご存じかと思いますが、明治大学と明治学院大学は、名前が似ていますが、全く別の大学で、明治大学は「明治法律学校」が起源の東京六大学の一校になります。
略称は「明治」または「明大」。
篠原さんが卒業した明治学院大学は日本最古のミッション系学校で、略称は「明学」。
余談をしましたが、篠原さんは大学を卒業した後、映画監督の山下敦弘氏が主宰するワークショップ「ENBUゼミナール」に参加し、2005年に公開された短編映画「中学生日記」で俳優デビューを果たしました。
その後は、テレビドラマ「モテキ」などに出演することに。
俳優デビューをしてから10年間ほどバラエティ番組やスポーツ番組のオーディションを受けようとしたりしてタレントとして自分を試し、模索したそうですが、芝居の台詞は覚えることができても、その他のことは全然覚えることが出来なかったことから、俳優で生きていくことがベストと分かったそうです。
ですが、中々自分が思うように売れなく、「28歳までに売れなかったら諦めよう」と思い続けていましたが、28歳になっても諦めることは出来なかったみたい。
20011年の劇団ポツドールの公演『おしまいのとき』で主役を演じた篠原さんで、その舞台を青山真治監督を観ていて、篠原さんを指名したことで、2013年公開映画『共喰い』に出演することになったそうです。
そして、2020年10月からの『相棒 season19』にレギュラー出演し、多くの人々に名前を知られることになったのでした。
因みに、2013年にスカイコーポレーションからテアトル・ド・ポッシュへ移籍し、”篠原友希子”から”篠原ゆき子”と改名しました。
篠原ゆき子のスカイコーポレーション時代のエピソード
スカイコーポレーションに所属していた頃、先輩の石田純一氏の結婚式の二次会に参加した篠原さんでした。
その時に、堀江貴文氏にナンパされたんだとか。
この時の堀江貴文氏はナンパ失敗に終わったようですよ。
篠原ゆき子の下積み時代
篠原さんは大学に進学してから下積み時代の7年くらいは同じ所でバイトをしていたそうです。
バイト先は、横浜市にある実家から5分くらいの距離にあるレストラン「バブルオーバー」で、家族でよく食事しているレストランだったとか。
その他のバイトもたくさんして、生活費を稼いでいたそうです。
高校時代の同級生はみんな就職していて、その同級生に会っても、聞かれることは「最近、何に出てるの?」だったとか。
仕事がないときにそう聞かれると恥ずかしかったと当時の心境を明かしていた篠原さんでしたが、役者一本で食べられるようになったのは32歳で出演した映画「共喰い」以降で、飛躍できたのが2017年に死産を経験する妊婦役で出演したドラマ「コウノトリ」だったとか。
1:U-NEXTひとつで「観たい」を我慢しなくていい!
2:U-NEXTひとつで「きっと出会える」動画や書籍の好きな作品♡
3:U-NEXTのポイントは毎月もらえ「最新」も使える♪
4:U-NEXTの「お試しは安心を約束」無料トライアル期間中の解約月額料金は発生しない!
篠原ゆき子の作品も<U-NEXT>で決まりだね!!
コメントを残す