西田有志の高校時代のあゆみ
西田有志の高校通学エピソード
2015年4月に四日市市追分にある海星高等学校に進学した西田選手ですが、1,2年の時は電車通学をしていて、3年になると片道 25km の自転車通学にたそうです。
電車通学の時は、いなべ市大安町丹生川中にある三岐鉄道三岐線丹生川駅から岐鉄道に乗り、近鉄富田駅で近鉄線に乗り換え、塩浜駅に向かっていたようです。
そして、四日市市御薗町にある近畿日本鉄道名古屋線塩浜駅に着くと、学校まで約片道3㎞を自転車に乗り換え通学をしていたようです。
自転車通学なるきっかけは、大西正展監督より自転車をプレゼントされ「自転車で立ちこぎしたら、どこの筋肉に来るんだ?」と疑問が湧いたことだそうです。
その疑問が発端となって電車に乗らず自転車で走破し、その後は自転車通学へ変更したとか。
西田有志の高校時代の思い出
男子校ならではの体育祭が思い出の一つだそう。
体育祭であんなに一生懸命になるのは男子校だからだと思うくらい一生懸命だったらしく、ケガや気分が悪くなる生徒で保健室が一杯になり、ケガをしても治療は15分待ちだったんだとか。
西田選手曰く、「そんな学校ないでしょ」笑。
高2の時の西田選手は、走高跳で3年生に交じって優勝争いを演じていた時に、(先輩に優勝を譲ったりしないで)最後までやらせてくだいと言ったことで、上級生も刺激を受け”デッドヒートな走高跳”になり大いに盛り上がったこともあったそうです。
西田有志の高校時代の友人
西田選手の高校時代の友人の一人が清水大輝さんで、清水さんが西田選手について「ユージは常にバレーのことを考えて生きているような人間」だったとインタビューで答えていました。
西田選手は、いきなり清水さんの家に「ただいま」と言って入ってくる”気まぐれな友”だったようです。
バレーで超多忙な日々を送っていた西田選手にとって清水家はホット一息つける場所だったのかもしれませんね。
西田有志が通った場所
西田選手が古くから通っているスポーツ店は、桑名市中央町にある「服部スポーツ桑名店」で、高3の時に通った自動車教習所は、桑名市長島町西外面にある「長島総合自動車学校」だそうですよ。
因みに、「服部スポーツ桑名店」は宮下遥選手も御用達の店なんだとか。
このスポーツ店にはお二人のサイン入り色紙がしっかりと飾ってあるそうです。
西田有志の高校時代のバレーボールエピソード
海星高校のバレー部に所属した西田選手が当時困惑したのはネットの高さでした。
ネットの高さが2m40cmでセットされていて、中学時代のネットの高さより10㎝高かったようです。
入部した当時の西田選手は、ネットの高さに慣れず中々アタックが決まらず苦労したそうですが、打ち続けているとジャンプ力が上がっていき、悠々とネットの上から打てるようになったそうです。
高1年の4月に行われた三重県高等学校春季バレーボール大会の準優勝に貢献した西田選手でしたが、監督の大西正展氏は当時の西田選手の将来を「セッターかリベロ」と考えていたようです。
それは、高校入学時の西田選手の身長は180cmだったため、バレーボラーとしては高くない身長だったからでした。
ですが、西田選手を見ているうちに「サーブレシーブ」の上手さを知ることとなり、”攻撃専門”のポジションの「オポジット」に将来的なポジションの変更を考えるようになったのでした。
高2の春高バレー県大会準決勝で、エースとして挑んでいた西田選手は、試合終盤に体の限界がきたのか、下半身がつり肉離れを起こしプレーが出来なくなってしまいました。
その後のチームはエース不在で試合を続けましたが、惜しくも負けてしまったのです。
その試合を見ていた母親は、西田選手が治療をしているところに行って、「負けたのはお前のせいやぞ」と言って叱咤したとか。
母親は「足がつるのは練習していない証拠」」と思うと頭にきたんだとか。
この経験で西田選手は、ご自身の体の事を考えるようになったそうな。
この経験後は、部活動の練習がない日は公共の体育館に行ってウェイトトレーニングをし、食事は「アスリート食」に変え、好物の肉ばかりを食べるのではなく、5大栄養素を摂取するようになったそうです。
世界ユースの代表メンバーからもれたことで、1週間ほど落ち込みましたが、立ち直ってからは常に全力で練習に励むようになった西田選手。
時間が少しでもあれば筋トレに励み、日課は上半身裸になって姿見で筋肉を確認することで、常に体脂肪4~5%をキープしていたとか。
春高予選敗退後にチームの主将も任された西田選手でしたが、西田選手は高校バレーの最高峰になる春高の舞台に一度も立てずに高校を卒業したのでした。
15歳の高1/2015年4月:海星高等学校入学のバレーボール部に入部・三重県高等学校春季バレーボール大会で準優勝となる
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16歳の高1:2016年2月:三重県高等学校新人バレーボール大会で準優勝
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16歳の高1/2016年3月:第 21 回全国私立高等学校男女バレーボール選手権大会に出場
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16歳の高2/2016年4月:ヴィアティン三重バレーボール U-19に所属し、天理大学バレーボール部との合同練習に参加
三重県高等学校春季バレーボール大会において準優勝
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16歳の高2/2016年5月:三重県高等学校総合体育大会で準優勝
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16歳の高22016年6月26日: 8回三重県ヤングバレーボール選手権大会 U-19男子の部で「ヴィアティン三重バレーボール U-19」が優勝
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16歳の高2/2016年8月:東海高等学校総合体育大会会場においてジェイテクト STINGS 寺嶋大樹総監督より勧誘を受ける
中国寧波市で開催された第 24 回日・韓・中ジュニア交流競技会に日本代表として出場
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16歳の高2/2016年9月25日:第19回全国ヤングバレーボールクラブ優勝大会で「ヴィアティン三重バレーボール U-19」が優勝
日本ヤングクラブバレーボール連盟賞を受賞
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16歳の高2/2016年10月:第71回国民体育大会・希望郷いわて国体に三重県代表として出場し、ベスト 16 となる(展示番号15)
国体終了をもって「ヴィアティン三重バレーボール U-19」が解散する
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16歳の高2/2016年11月:三重県高等学校選手権大会で準優勝
海星高等学校バレーボール部主将となる
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17歳の高2/2017年2月:第14回 2017 全日本ジュニアオールスタードリームマッチに「WING」チームに所属して優勝
三重県高等学校新人バレーボール大会で優勝、海星高等学校バレーボール部としては創部以来初の県大会優勝となる
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17歳の高2/2017年3月:第 23 回東海高等学校バレーボール選抜大会で準優勝
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17歳の高3/2017年4月:第11回アジアユース男子選手権大会(U-19)日本代表となり優勝(同大会における日本の優勝は史上初となる)
三重県高等学校春季バレーボール大会で優勝
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17歳の高3/2017年5月:三重県高等学校総合体育大会で優勝
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17歳の高3/2017年7月:全国高等学校総合体育大会に出場し、ベスト 16 入り
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17歳の高3/2017年10月:ジェイテクト STINGS への入団が内定
第 72 回国民体育大会・愛顔つなぐえひめ国体に三重県代表チームの主将として参加
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17歳の高3/2017年11月:三重県高等学校選手権大会で準優勝
ジェイテクト STINGSに高卒内定選手として入団
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17歳の高3/2018年1月7日:堺ブレイザーズ戦に途中出場し、史上最年少の V リーグ公式戦デビューを果たす
8日JT サンダース戦にスターティングメンバ―として出場
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17歳の高3/2018年2月:三重県より三重県スポーツ新人賞を受賞・三重県体育協会より特別優秀選手賞を受賞
愛知県刈谷市のジェイテクト STINGS の選手寮に転居
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18歳高3/2018年3月:全日本男子バレーボールチーム「龍神 NIPPON(監督:中垣内祐一)メンバーに選出
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