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西田有志の東芝名古屋の元バスケ選手の両親&バレー経験者の兄弟と結婚後の家族やバレーの歩みをまとめて紹介!

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西田有志の中学時代のあゆみ

出典:桑名市社会福祉協議会@kshakyo

2012年4月にいなべ市立大安中学校に入学した西田選手。

バレーボールに青春を捧げていた西田選手でしたが、バレーボールが強い中学に進学をせず、地元の中学にこだわりなく進学をしたのでした。

バレーボール部に迷いなく入部した西田選手を待っていたのは、バレーを経験したことがない者の集まり。

それプラス監督もバレー経験がなかった為、西田選手が導者の役割も果たしていたとか。

西田選手が指導するに当って自分ができないと説得力がないと考え、指導する前にご自身がさまざまなことを習得して、それを周りに教えるということをしていたようです。

そして、中1からレギュラーで試合に出場していた西田選手は、夏前に四日市市にある海星高校バレー部の練習に参加するチャンスあり、そこで参加していると当時バレー部監督の大西正展氏と部長の藤田勝成氏の目に留まったそうです。

そして、その年の6月から藤田氏の勧めで中学生クラブチーム※「NFO オーシャンスター」に入団した西田選手でした。

西田選手の中1時代は大忙しのバレーてんこ盛りの日々を送ることになったようです。

学校の部活動海星高校で行なわれる部活の練習+中学生クラブチーム「NFO オーシャンスター」での活動と3つ掛け持ち状態でした。

週2回は、中学での部活が終り帰宅後は急いで夕食を食べ、食べ終えたら母親が「NFO オーシャンスター」の練習場所になる海星高校の体育館まで車で送り、その練習が終わるのは夜中になることもあったようです。

そんな多忙な日々を送っていた西田選手は、2013年3月に三重県の北勢地区の選抜チーム(U-14)に選ばれたのでした。

※「NFO オーシャンスター」の「NFO」 とは、当時三重県バレーボール協会の役員を務めていた中尾聡氏と藤田勝成氏・大西正展氏のクラブの創設者であり、指導者を務めた3人の頭文字を取ったものだそうです。

因みに、西田選手は「NFO オーシャンスター」の一期生になるんだとか。

2013年3月に三重県の北勢地区の選抜チーム(U-14)に選ばれた西田選手は、中2の12月に開催されたJOCジュニアオリンピックカップ(JOC杯)で全国の選抜チームと対戦したそうです。

対戦前の4ヶ月間はみっちりと指導を受けた西田選手で、この期間で西田選手のご両親が感じる程大きく成長したそうです。

この経験で「レベルが高くて、すごく勉強になった」とインタビューに答えていた西田選手でしたが、同時にご自身のジャンプがほかの選手よりもジャンプが高いことに気づいたんだとか。

学校の部活は、西田選手と彼の両親の熱意によって周囲の意識も変わっていき、チームが段々と強くなりコンスタントに上位に食い込めるようになったそうです。

そして、中学2年の冬の新人大会で県の3位に入るという素晴らしい結果が!

西田選手のこの頃の夢は、「石川祐希選手と一緒にプレーをしたい!」だったようです。

また、この頃の西田選手は山に登ると、橋の上から滝壺のような所に飛び込んでは上がってくる遊びを半日ぐらいしていたそうです。

西田家ではこの遊びを「野生児遊び」と言っているようですよ♪

中3になる頃には、バレー部員や部員の保護者も意識が変っていて、最後の大会前になると自主練をしたり、練習が終わった後には、保護者からアイスクリームの差し入れがあったりしていたそうです。

西田選手の母親は、その様子を見て「強くなれば保護者の意識も変るんだ」と思ったんだとか。

当時の西田選手は、3年生になっても三重県選抜としてJOC杯に出場し、日本中学選抜にも選ばれて合宿にも参加していたそうですが、腰を痛めていてほとんど練習できずにいたこのエピソードは西田選手にとって結構悔しい思いでの一つになるようです。

卒業が近づくにつれ、近隣の強豪校からの勧誘が多くなった西田選手。

愛知県の星城高校や地元の松阪工業高校など8校からラブコールを受けていたそうです。

この当時の西田選手の憧れの選手は石川祐希選手。

石川祐希選手は、出身の星城高校を史上初の高校6冠に導いたすっごいバレーボーラー。

西田選手の部屋には石川選手のポスターを貼ってあって、髪型もシューズもマネしたいたんだとか。

高校に進学すると、石川選手と一緒なネックレスを何個も購入と言う徹底ぶり!

西田選手の母親は、石川選手の出身校の星城高校に進学し、今以上に恵まれた環境で全国を目指してほしいと願っていたそうですが、当の西田選手が選んだ高校は、海星高校でした。

西田選手は、ご自身がその高校に進学をしても石川選手は高校を卒業しているため一緒にはプレーできない事を考えると「自分の力で強くして、強豪チームを倒したい」と思う様になり、そこで選択肢に上がったのが海星高校だったみたい。

当時の海星高校は、春高バレーなど全国大会に出場した経験がなかったそうな。

そんな高校のバレー部にご自身が行くべきだと・・・そしてご両親に相談をした西田選手でした。

三重県バレーボール協会の役員である中尾氏が西田選手の中学に訪れ、名門・松阪工業高校を勧めるが、小学生の頃から持っていた「自分の力で勝つ」という思いを貫いた西田選手だったようです。

「なぜか強豪校に行こうと思わなかった」と後に当時を振り返りインタビューに答えていた西田選手でした。

中3の14歳の時書いた作文のタイトルは「オリンピックへの道」で、内容は「私の夢は、2020年東京で開かれるオリンピックに出ることです。」でした。

東京オリンピックを夢見て励んでいる息子を、ご両親は未来の西田選手の身体を思いスポーツ選手にありがちなケガの痛みをつり除くことに最善をつくし、複数の名医を訪ね納得するまで診察や治療をしてもらっていたとか。

西田有志の中学時代の番外エピソード

この中学でバレーを始めた頃は、周りがド素人だったため、かなりのストレスだった西田選手は、見かけだけのヤンチャでカッコよさを真似しようとしていたようです。

バイクに乗りたい、タバコを吸いたいと思う様になった西田選手を止めたのは西田母でした。

「吸いたいなら吸え、その代わり背は伸びんし、その前にお母さんが吸うわ」と言って吸えないタバコを吸ったりしたそうです。

そして、高身長だった西田選手は何をしなくても目立つ存在だったので「お前はしゃべるな、動くな。バレーだけしとけ」と西田母は叱ったそうな。

この時期にバレーから道をそれていたら西田選手の未来が変わっていたかもしれませんね。西田母Goodjob!

西田有志の中学時代のあゆみのまとめ

12歳の中1/2012年4月:いなべ市立大安中学校のバレーボール部に入部
海星高等学校バレーボール部の練習に参加

12歳の中1/2012年6月:四日市市のクラブチーム「NFO オーシャンスター」に入団し、海星高等学校体育館での練習に通う

13歳の中1/2013年3月2日:北勢選抜チーム「ジュニアラークス」に所属し、第 4 回東海ブロック U-14 クラブチャンピオンシップ男子バレーボール大会出場

13歳の中2/2013年8月:北勢選抜、三重選抜に選出される

13歳の中2/2013年秋:大安中学校バレーボール部主将となる

14歳の中3/2014年12月27日:JOC ジュニアオリンピックカップ第 28 回全日本都道府県対抗中学バレーボール大会で決勝トーナメント進出

15歳中3/2015年3月:いなべ市立大安中学校卒業・「NFO オーシャンスター」卒団

 

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こんにちは! あんびと申します。 犬が好きすぎて数頭のわんこを保護し、 ペット看護師の資格とペットセラピストの資格も取得して、 犬のために生きているような日々を過ごしているおばちゃんです。 こんな私ですが、よろしくお願いします。