高橋藍の大学2年生(2021年4月~2022年3月)の時系列エピソード
2021年5月:中国との五輪テスト大会で国際試合デビューを果たす
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2021年6月:イタリアで行われたネーションズリーグに出場
ネーションズリーグが終わった6月に、パドヴァとチステルナからお声掛けがあった高橋選手でした。
石川祐希選手からは「行くチャンスがあるなら、大学のうちに(海外へ)行ったほうがいい」とアドバイスを受け、男子バレーボール監督のフィリップ・ブラン氏からも「すぐにでも行け、行ったほうがいい」と言われていたようです。
高橋選手は、高校を卒業した当たりから海外での挑戦を考えていたこともあり、その考えを実現する為に動き出したのでした。
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2021年7月:東京オリンピック代表の12人に選出され、スタメン出場。
1年延期された東京五輪のメンバーに選ばれた時に「まずは楽しもう」と思った高橋選手。
そして、自分がチームの勝利の為に貢献したいと言う思いで五輪に臨んだんだとか。
初めて日本代表に選ばれたのが2020年の19歳の時でバレーボール男子日本代表史上最年少だった高橋選手で、東京五輪は日常が一変してしまい、日本体育大学のキャンパスに行くと、高橋選手目当ての学生が多数集まってしまう事態に!
急きょ、高橋選手はONLINEで授業を受講することになったのでした。
その他、巣材依頼が殺到するわ、SNSのフォロワーが激増わで、高橋選手の想像をはるかに超えていたそうです。
世間は高橋フィーバーが起きていましたが、高橋選手自身は、「自分にもっと経験があれば、日本はメダルに届いたんじゃないか」と悔しい思いで一杯だったとか。
そして、世界の高さに慣れてこないことが”決められない原因”と考え、海外行きを決意していたのでした。
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2021年9月:アジア選手権に出場
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2021年11月29日:全日本インカレの開幕
日体大はこの大会後に高橋選手がイタリア・セリエA「パッラヴォーロ・パドヴァ」への入団を表明。
渡伊後は、現役の日体大生としてオンライン授業を受けながら、現地の大学で語学も学び、プロバレーボール選手としてプレーすることも説明されたようです。
パッラヴォーロ・パドヴァに決めたのは、石川選手から「パドバはすごくいいチームだよ」と勧められたことが大きく、その言葉が後押しになったそうです。
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2021年12月10日:高橋選手渡伊
東京五輪を経験したことで、ご自身の気持ちがより強くなったと感じた高橋選手は、高校時代から思い描いていた海外でのプレーを実行に移したようです。
2024年パリ五輪でのメダル獲得へ「スパイクを磨くため」の思いもあり、各国のトッププレイヤーがしのぎを削る、世界最高峰のプロリーグでプレーでした。
空港に到着するとパドヴァのクラブのマネージャーがすでに迎えに来てくれて、ランチをしてから寮に行き、その日は就寝となったととか。
高橋選手曰く、「驚くほどスムーズにイタリアでの1日目が始まり、それからの日々もあっという間」とのこと。
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2021年12月19日:セリエAデビュー
イタリアの観客が「ウェルカム、ウェルカム!」と言って高橋選手を歓迎してくれたようで、本当に嬉しく思いながらのプレーだったようです。
デビューからのその後は、主にレシーブでの貢献を求められながらも出場機会が減っていったそうです。
そして、ついにヤコポ・クッティーニ監督からリベロでの起用を告げられたのでした。
その理由について監督は、チームのスパイカーと比べると髙橋選手にはフィジカルの強さと経験が足りないと感じたんだとか。
リベロを告げられた当時の高橋選手は、「スパイカー」として世界に学びに来ていたため複雑な思いだったそうな。
ですが、シーズン途中に加入した高橋選手は、スタメン出場が難しいと感じる中で1試合でも多く経験するため「リベロ」で挑戦する事にしたのでした。
その後はリベロでプレーしても、普段はアウトサイドヒッターの練習をしていた高橋選手。
アウトサイドヒッターとして、現状維持ではなく、少しでも能力を上げなければと言う思いだったそうです。
高橋藍のイタリア生活こぼれ話
パドヴァは穏やかな街で人も優しいそうです。
チームメイトはとても親切にしてくれ、日本のアニメやマンガがよく話題になるんだとか。
クラブのマネージャーはセーラームーンが好きで、日本のアニメショップにも連れて行ったり、高橋選手よりも、チームメイトの方が詳しいのに、日本のことに興味津々でさらに教えてと言ってくれるようです。
車の免許がない高橋選手は、大学の寮住まいで、同じ寮住まいのチームメイトに車で練習や試合に連れていってもらっているとか。
外食にも誘ってくれたりと、生活面ではほとんど不自由がないイタリア生活。
そんな生活を過ごしていたある休みの日に、食材を買って自炊をした高橋選手でしたがお腹を壊されたそうな・・・( ´゚ェ゚)チーン
新年を迎えるための爆竹音も経験したのでした。
コロナ渦でなければ、石川選手と会っていたそうですが、自宅隔離だった為、叶わなかったそうな。
人生で初めて、年末年始をお一人で過ごされ、寂しいかったそうです。

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