※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

高橋藍はハーフではなく名前は野球由来!生い立ちや2歳まで髪がなかった毛情報やエピソードを紹介!

Sponsored Links








男子バレーボール選手で大活躍をしているクォーターの高橋藍選手は2001年9月2日に京都市で生れ、18歳だった2020年に日本代表に初選出されました。

188㎝の高橋選手のポジションはアウトサイドヒッターですが、リベロもバッチリなオールラウンダー的な選手は2023年10月にパリ五輪行きの切符をてにするため、大活躍をしていました!

そんな高橋藍選手は、ツルツルの肌で無駄な毛がないような感じ。

実は、高橋藍選手は、2歳頃までは髪の毛がほとんどなかったんだとか。

そして、今でもヒゲは毎日剃ることもないくらい毛が薄いそうで、遺伝だそうです。

反対に兄の塁さんは脱毛サロン行って処理をしているんだって。

そんな高橋選手の生い立ちを「高橋藍の名前は野球由来!生い立ちと出身校やエピソードをまとめて紹介!」と題して、お伝えします。

因みに、高橋の苗字の「高」は”はしごだか”の「髙」だそうですよ。

高橋藍のプロフィールや名前の由来

出典:みみみ@miisato04

高橋藍のプロフィール

名前:高橋藍(たかはし らん)

本名:髙橋藍(「高」は正しくは「はしご高」)

生年月日:2001年9月2日

年齢:21歳(2023年3月時点)

血液型:O型

出身:京都市

身長:188cm

体重:72㎏

最高到達点:343㎝

ポジション:OH(アウトサイドヒッター)

好きなマンガ:ONE PIECE

お金:バンバン使う派で欲しい物は全部買う

高橋藍の使用しているネックレス

2023年6月から始まったネーションズリーグで高橋選手が付けていたネックレスはグッチ。

グッチのネックレスはいつから付けていたのかは存じませんが、その前は石川祐希選手と同じセブでした。

高橋藍の名前は野球由来

高橋選手の父親が高校球児だったこともあり、高橋選手の「藍」はホームランの「ラン」から、そして、母親は日本人と米国人のハーフであることから、海外でも名前が呼びやすい名前をと思っていたことから「ラン」で命名されたようです。

フォトエッセイ「高橋藍 カラフルデイズ」

高橋藍小学時代は専用練習場で練習

出典:高橋塁Instagram

高橋藍はハーフではなくクォーター

先にお伝えしましたが、高橋い選手はハーフではなくて、クォーターだそうです。

イケメンは母親に似たようで、母親はアメリカ人と日本人のハーフなんだとか。

母親の血統にはイギリスとドイツの血も混ざっているとのこと。

詳しくは、当サイトの「高橋選手の実家の家族」をご覧くださいませ。

高橋藍のバレーを始めたきっかけ

高橋選手の小1当たりから、兄がバレーボールに興味を持ち、両親にバレーボールをしたいことを言っていたそうです。

始めの頃は、兄のそんな欲望をスルーをしていたご両親でしたが、兄は1年間くらい言い続けたことで「本気」だと分かり、バレーボールを始めることを許可したそうな。

高橋選手は、兄の練習や試合について行くことが多く、あるの日の練習し合いの時に兄が所属しているチームのメンバーが一人足りない状況になったことから、監督が「お前、試合に出ろ」と高橋選手に言ったことがきっかけになったとか。

プレーをしてみると楽しく、親の勧めもあってバレーボールを始めたそうです。

それは高橋選手の小2の頃のことで、この頃の高橋選手は、アメリカ代表のエースだったマシュー・アンダーソン選手を憧れていたそうですよ。

高橋藍の小学時代はリベロ

高橋藍 9歳

高橋選手が所属していたチームは、高橋選手の兄が得点源でした。

その当時の高橋選手は小柄だったため、動き回ってボールを拾ったり、レシーブ力を養ったりしていたんだとか。

セッターの特訓を受けたこともあったそうですが、監督にリベロとどっちがいいかと聞かれた時に、高橋選手は「リベロいい」と答えたそうです。

チームの練習のほかでは、学校から帰宅してすぐ兄に連れられ自宅近くの公園に行って鉄棒をネット代わりに、自分たちで線を引いたコートを”専用練習場”にして練習したそうな。

それは日が暮れるまで”ひたすら”だったそうです。

身長が伸びると、鉄棒から公園の木と木の間にゴムで張ったネットを練習場所にして、更にひたすらに対人練習をしていたそうな。

兄はこの公園を「俺らが育った公園」と言っているんだとか。

高橋藍が憧れた選手は石川祐希

出典:集英社スポルティーバ@webSportiva

高橋選手の小6の時に、石川選手が春高で優勝しエースとして活躍する姿を見たことがきっかけで憧れたようです。

「自分が高校生になったこんなプレイがしたい」と思ったとか。

高橋藍の小学校の卒業文集

2013年の高橋選手が小6の時に東京五輪の開催が決定。

「東京五輪出場」の夢は一時期、リベロとしてかなえようと思っていた高橋選手でしたが、東京五輪が開催されるはずだった2020年の夏は18歳の高橋選手だったため、その当時は「ちょっと厳しいかな」という思いもあったとか。

卒業文集には「ニッポンチャチャチャ。ニッポンチャチャチャ。目を開けると、東京オリンピック、バレーボールの会場にいる」と綴り、目標に変更はなく、ひたすら努力を重ねた高橋選手。

それから8年後には有言実行にした”まさに男前な高橋選手”でした!!

高橋藍の小学時代のバレーボールEP.時系列

小学2年:兄の影響でバレーを始め、レシバーとして練習をしていた。


小学4年:スパイカーの練習を開始

小5年:兄が中学に進学したことで、自分が何のためにバレーボールをしているのか分らなくなった高橋選手でした。
不安定になった高橋選手を、チームの監督や両親が支えてくれ、「スポーツは絶対にやりなさい」と強く背中を押してくれた両親だったそうな。
このことがバレーボール人生のターニングポイントになったようです。

小6年:東京オリンピックが決定したことで、目標を東京オリンピック出場に定め、湧き上がる熱い思いを卒業文集に綴った高橋選手でした。

高橋藍の中学時代はリベロを経験

出典:https://youtu.be/m9RZ_YXQS-s

自宅から徒歩で10分以内にある京都市立蜂ヶ岡中学校に進学をした高橋選手。

中一で身長は約158㎝で、中学時代は年に1~2㎝ほどしか身長が伸びなく、かなり心配していた高橋選手だったそうな。

身長を伸ばす為、たくさん食べて、毎日21時には就寝していたそうですよ。

中一の時のポジションはリベロ。

2歳年上のエースの兄が中学を卒業すると、スパイカーに。

身長が低かった高橋選手は、高さがない分小技を身につけ、更にレシーブに磨きをかけバレーボール選手としての土台作りをしたようです。

中学時代の高橋選手は、3年連続で全日本中学校選手権に出場しました。

「中1の2014年は2位」で、「中2の2015年には優勝」を経験し、「中3の2016年は2位」という成績でした。

先にお伝えしましたが、中一はリベロで、中二と中三はスパイカーとして出場していた高橋選手であったことを念のためここでもお伝えします。

高橋 藍 ファースト写真集 RAN

高橋藍の高校時代の勝負飯はハンバーグ

出典:高橋塁Instagram

兄と同じ男子校を選び、片道徒歩で約2時間、電車では約1時間かかる東山高校に進学をした高橋選手でした。

京都の男子校のレベルが高かった為、2学年上の兄は大塚達宣選手がいた洛南の壁に阻まれ春高の舞台に立つことがなく卒業。

高橋選手が3年の時には、あれよあれよと言う間に全国制覇まで果たしました。

高校の時の勝負飯は、母親が作ったハンバーグだったとか。

高橋選手曰く、「お母さんが作るハンバーグが一番美味しい」とのこと。

ポジティブで元気ハツラツって感じの高橋選手ですが、高2まではネガティブシンキングだったそうな。

「自分に自信がなくて、めちゃめちゃ緊張しいで、試合前にオエッとなるほど」だったとインタビューで当時の様子を明かしていた高橋選手で、高2の時に悩んで悩んだ末に出て来た言葉が「世界の中で考えたらオレのこんな緊張なんてちっぽけ」だったとか。

それからは、何でもポジティブに考えるようになったそうです♪

高橋藍のバレーボール人生においてのキーマンは松永理生

Vリーグのパナソニックでプレーし、日本代表に選ばれた経歴も持つ松永理生氏が現役を引退してからは、石川祐希選手の指導し、高橋選手も指導することに。

高橋選手が高校2年の時、石川選手の所属する中央大学で監督をしていた松永監督が月1〜2度指導してくれることに。

そして、高橋選手が3年のときには、東山高校のコーチに正式に就任したことで、高橋選手や東山バレー部の練習方法に変化がありました。

松永監督が月1〜2度指導に来ていた時から、「石川選手は、どのような練習をしてたんですか?」・「ビック(バックアタック)ってどう打つんですか?」・「この練習は石川さんもやっていたんですか?」などなどと松永監督に石川選手についての質問をしまくり、石川選手と同じ練習、トレーニングにしてもらったとか。

松永監督は石川選手と高橋選手の違いを「石川は、やりたいプレーを頭で想像できて、体現してしまう天才。高橋の場合は見本を吸収する。教科書があれば、コピーして自分のものにしていく。タイプは全く違う」と表現していたようです。

そして、二人の選手に共通することは、”努力と貪欲”だそうで、「もうそろそろ、練習やめたら?」松永氏は2人に対し共通の言葉をかけていたそうな。

松永監督から「セリエAの会場での雰囲気は経験したほうがいい」と聞いたことから海外でプレーをしてみたという気持ちが芽生えたそうです。

2017年:インターハイベスト16

2018年:インターハイ京都予選準優勝
近畿大会準優勝
全日本高校選手権京都府大会準優勝

2019年:インターハイベスト4
国民体育大会京都代表優勝
全日本高校選手権京都府大会優勝

2020年1月:全日本バレーボール高等学校選手権優勝
※シニアの日本代表初選出

※一番レベルの高い全日本代表選手
バレーボールでは『シニア』下に『ユース』代表があり、大学生や高校生の選抜選手が国際大会を戦っていて、その選手らが学校を卒業後『シニア』と呼ばれるクラスに移行します。

高橋藍の大学時代のエピソード

出典:まゆみ⭐️@renren204

高橋藍が日本体育大学(日体大)を選んだ理由

”高校や大学で勝つ”と言う期間の限られた目標ではなく、世界を見据え、日本を背負って戦う選手になりたいと思っていて、そのための知識や体力と技術を身につけられるには、スポーツに特化した大学がいいと思い、日本体育大学(日体大)を選んだようです。

兄の後ろを歩んでいた高橋選手でしたが、兄と違った大学を選んだようですね。

因みに、兄は日本大学(日大)進学。

高橋藍の座右の銘

2020年のコロナ渦の自粛中に、観ていた海外ドラマの「プリズン・ブレイク」で出てくる「勇気と信念が世界を変える」の言葉を一生座右の銘にしたいと思っている高橋選手。

このドラマでは他に、主人公のセリフで「信じるべきものは、自分だ」が好きなんだとか。

高橋藍の大学1年生(2020年4月~2021年3月)のエピソード

2020年4月に入学した高橋選手で、登録は同年の2月にされた全日本男子バレーボールの活動に合流。

レシーブを期待されていたことでプレッシャーを感じ、いきなり”飛び級”でシニア代表に呼ばれたこともあって、当初は不安だったとか。

高橋選手の合流後しばらくして新型コロナウイルスの影響で、メンバーでの練習がままならなくり、一人ウエイトトレーニングに励み、食事は一日4食として体作りをしたそうな。

これは、憧れていた石川祐希選手に合宿で一緒になったことから刺激を受けたようです。

ご自身はプレーヤーとして身体に気を遣っていましたが、実際に石川選手の私生活を見て、”アスリートの意識の高さ”に触れることができたとか。

コロナ渦で大学が解散になったことで、2ヶ月くらい実家に戻っていた高橋選手でした。

身体を休めることを基本にして、ケアとかに治療に行ったりもしていたとか。

気分転換には散歩をしたり、買い物に行ったりしていたようですよ。

高橋藍の大学2年生(2021年4月~2022年3月)の時系列エピソード

出典:https://twitter.com/JVA_Volleyball

2021年5月:中国との五輪テスト大会で国際試合デビューを果たす

2021年6月:イタリアで行われたネーションズリーグに出場

ネーションズリーグが終わった6月に、パドヴァとチステルナからお声掛けがあった高橋選手でした。
石川祐希選手からは「行くチャンスがあるなら、大学のうちに(海外へ)行ったほうがいい」とアドバイスを受け、男子バレーボール監督のフィリップ・ブラン氏からも「すぐにでも行け、行ったほうがいい」と言われていたようです。
高橋選手は、高校を卒業した当たりから海外での挑戦を考えていたこともあり、その考えを実現する為に動き出したのでした。

2021年7月:東京オリンピック代表の12人に選出され、スタメン出場。

1年延期された東京五輪のメンバーに選ばれた時に「まずは楽しもう」と思った高橋選手。
そして、自分がチームの勝利の為に貢献したいと言う思いで五輪に臨んだんだとか。

初めて日本代表に選ばれたのが2020年の19歳の時でバレーボール男子日本代表史上最年少だった高橋選手で、東京五輪は日常が一変してしまい、日本体育大学のキャンパスに行くと、高橋選手目当ての学生が多数集まってしまう事態に!
急きょ、高橋選手はONLINEで授業を受講することになったのでした。

その他、巣材依頼が殺到するわ、SNSのフォロワーが激増わで、高橋選手の想像をはるかに超えていたそうです。
世間は高橋フィーバーが起きていましたが、高橋選手自身は、「自分にもっと経験があれば、日本はメダルに届いたんじゃないか」と悔しい思いで一杯だったとか。
そして、世界の高さに慣れてこないことが”決められない原因”と考え、海外行きを決意していたのでした。

2021年9月:アジア選手権に出場

2021年11月29日:全日本インカレの開幕

日体大はこの大会後に高橋選手がイタリア・セリエA「パッラヴォーロ・パドヴァ」への入団を表明。
渡伊後は、現役の日体大生としてオンライン授業を受けながら、現地の大学で語学も学び、プロバレーボール選手としてプレーすることも説明されたようです。

パッラヴォーロ・パドヴァに決めたのは、石川選手から「パドバはすごくいいチームだよ」と勧められたことが大きく、その言葉が後押しになったそうです。

2021年12月10日:高橋選手渡伊

東京五輪を経験したことで、ご自身の気持ちがより強くなったと感じた高橋選手は、高校時代から思い描いていた海外でのプレーを実行に移したようです。
2024年パリ五輪でのメダル獲得へ「スパイクを磨くため」の思いもあり、各国のトッププレイヤーがしのぎを削る、世界最高峰のプロリーグでプレーでした。

空港に到着するとパドヴァのクラブのマネージャーがすでに迎えに来てくれて、ランチをしてから寮に行き、その日は就寝となったととか。

高橋選手曰く、「驚くほどスムーズにイタリアでの1日目が始まり、それからの日々もあっという間」とのこと。

2021年12月19日:セリエAデビュー

イタリアの観客が「ウェルカム、ウェルカム!」と言って高橋選手を歓迎してくれたようで、本当に嬉しく思いながらのプレーだったようです。

デビューからのその後は、主にレシーブでの貢献を求められながらも出場機会が減っていったそうです。
そして、ついにヤコポ・クッティーニ監督からリベロでの起用を告げられたのでした。
その理由について監督は、チームのスパイカーと比べると髙橋選手にはフィジカルの強さと経験が足りないと感じたんだとか。

リベロを告げられた当時の高橋選手は、「スパイカー」として世界に学びに来ていたため複雑な思いだったそうな。
ですが、シーズン途中に加入した高橋選手は、スタメン出場が難しいと感じる中で1試合でも多く経験するため「リベロ」で挑戦する事にしたのでした。

その後はリベロでプレーしても、普段はアウトサイドヒッターの練習をしていた高橋選手。

アウトサイドヒッターとして、現状維持ではなく、少しでも能力を上げなければと言う思いだったそうです。

高橋藍のイタリア生活こぼれ話

パドヴァは穏やかな街で人も優しいそうです。

チームメイトはとても親切にしてくれ、日本のアニメやマンガがよく話題になるんだとか。
クラブのマネージャーはセーラームーンが好きで、日本のアニメショップにも連れて行ったり、高橋選手よりも、チームメイトの方が詳しいのに、日本のことに興味津々でさらに教えてと言ってくれるようです。

車の免許がない高橋選手は、大学の寮住まいで、同じ寮住まいのチームメイトに車で練習や試合に連れていってもらっているとか。
外食にも誘ってくれたりと、生活面ではほとんど不自由がないイタリア生活。

そんな生活を過ごしていたある休みの日に、食材を買って自炊をした高橋選手でしたがお腹を壊されたそうな・・・( ´゚ェ゚)チーン

新年を迎えるための爆竹音も経験したのでした。

コロナ渦でなければ、石川選手と会っていたそうですが、自宅隔離だった為、叶わなかったそうな。

人生で初めて、年末年始をお一人で過ごされ、寂しいかったそうです。

高橋藍の大学3年生(2022年4月~2023年3月)のエピソード

イタリア期間は、英語でコミュニケーションをとっていたそうですが、イタリア語の必要性を想像以上に大切だと痛感したそうです。

渡伊するまでは、英語もほとんど話せなかった高橋選手だったそうで、パドヴァ大学の教授に英語を習う環境を用意してもらい、日常生活はそれなりに会話が出来るようになったとか。

耳を慣らすために、海外のコメディを英語で見たり、間違えても積極的に英語で話すという努力していた高橋選手。

チームメイトと食事に行くことも、コミュニケーションを図るだけでなく、語学を勉強する場だったとか。

イタリアは。食事が出てくるのがゆっくりで、食事を長い時間をかけて楽しむのが基本だそうな。

試合後の夕食に出掛けても、そのディナーは3時間以上かけるのがポピュラーだそうで、体が疲れていても”耳を慣らす貴重な時間”として参加していたようです。

イタリアの生活で高橋選手は「おしゃれしないといけない」と思ったそうで、カラフルなものを着るようになったそうな。

日本ではチョイスしなかったであろうようなパーカーを着たり、サングラスを付けて歩いたりと、かなりおしゃれになったとのこと♪

イタリアのエスプレッソがお気に入りで、飲む量が増えたそうです。

4ヶ月間のイタリア修行で、高さに対する戦い方はレベルアップし、メンタルを一番に学んだとのこと。
体重は6㎏ほど増え、心技体で大きくなって帰国した高橋選手でした。

2022年6月:FIVBバレーボールネーションズリーグ2022 予選ラウンド第2週フィリピン大会が始まる前の検査で陽性反応が出た高橋選手。
身体に影響はない無症状でしたが、5日間の隔離を余儀なくされ、隔離期間はホテルの部屋から出ることができなかったそうな。

行動が限られたためトレーニング程度しかできず、それまでいい感覚で積み重ねてきたものがかなり低い段階まで落ちてしまったとか。
隔離期間が過ぎ、実際練習へ合流しても体がうまく動かせることができなかったことで戦えるのかという不安を抱いていたそうです。

2022年7月:男子バレーボール世界選手権壮行試合 日本代表紅白戦に出場

ネーションズリーグのファイナルラウンドを終えてからすぐの開催だった為、疲労がたまっていた高橋選手は休みが欲しいと思っていたそうな。
ですが、ポジティブ思考の高橋選手は、沖縄でバレーボールが開催できること自体めったにないことなので、ソーキそばを食べに行ったり、朝は海を散歩したり、夜は砂浜でヤドカリを探したりと小さな楽しさを満喫したようです。

2022年8月:2022男子世界選手権 – 国際大会に出場した高橋選手でしたが、結果が目標としていたベスト8に届かず12位だったため、大会終了直後は涙も出ないぐらい悔しかったそうです。

この大会中に21歳の誕生日を迎え、みんなにお祝いをしてもらった高橋選手でしたが、前日にホテルのスタッフが「日本にラン・タカハシっているよね。明日が誕生日だからケーキを出すんだ」と高橋選手にサプライズケーキの事を本人と知らずに話してしまっていたんだとか。

2022年9月13日:2022-23シーズンも引き続きイタリアのセリエA・パドヴァでプレーするため渡伊した高橋選手。

昨年のシーズンは途中からの参加をしたため、チームが出来上がっている状態だったことから、今シーズンからはスタート時から勝負するためにリーグ開幕前の9月から合流する事にしたそうです。

試合が続くと体重がすぐ落ちてしまう高橋選手だそうですが、日々鍛えながらとにかく食べていると、その成果が現われているんだとか。
イタリアは試合の2日前でもしっかりとウエイトトレーニングをするんだそうですが、始めの頃はキツく感じていたことが、続けるうちに確実に変り、筋肉量も増え、見た目にも判るほど大きくなったそうです。
なによりも「体を守る頑丈な“鎧”がある」という感覚を強く持つようになったとのこと。

オフの日は、リラックスするための日としているそうで、パドヴァの町を1人で音楽を聴きながら散歩するのがお気に入りな高橋選手。
チームメイトと食事に行ったりして、シーズン2回目になるとイタリア生活に慣れたようです。

イタリアの生活に慣れた高橋選手ですが、たまにお味噌汁が恋しくなるそうです。

基本自炊をしている高橋選手で、ブロッコリーをそのまま切って食べていたんだとか。
食べながら「ブロッコリーってこんなに固かったかな?」と思っていて、親に言ったら茹でて食べる野菜と初めて知ったエピソードも!

イタリアのチームメイトから、本場のカルバナーラの作り方を教わったことで、オフの日は作って食べているそうですよ。

チームメイトで特に仲良しだったのは1歳年下のフェデリコ・クロザート氏だったとか。

高橋藍の大学4年生(2023年4月~2024年3月)のエピソード

出典:公益財団法人日本バレーボール協会@JVA_Volleyball

2023/2024シーズンは「Vero Volley Monza(セリエAのモンツァ)」でご活躍されるそうです。

【ご報告】

いつも沢山の応援ありがとうございます。
先日発表がありましたが、2023/2024シーズン 「Vero Volley Monza」でプレーすることになりました。

沢山の支援のおかげで日々成長できています。更に高みを目指して自分を磨きます。
引き続き応援よろしくお願いします。

引用元:髙橋藍(Ran Takahashi)@Ran_volley0902

2023年のバレーボールワールドカップでも大大活躍をした高橋選手で、いろんなフェイクプレーも披露してくださいました。

高橋選手曰く、「今の監督はもう昔みたいに『何やってんだー!』って怒らないから」なんだとか。

試合中に遊びでやっても『何なんだー、これは!』って怒らないブラウン監督だそうですよ。

スロベニア戦で勝利した時は、コートの中央でうずくまり、泣いていた高橋選手でした。

当時を振り返り高橋選手は「やっぱりしんどかったです。この大会自体もそうですけど、ここまで来るためにたくさんの犠牲を払ってきた。イタリアへ行って、家族や友達にも会えない。大げさじゃなく、人生をかけてここまできた。勝って、解放された瞬間に、そういういろんな思いや感情が溢れてきました」とのこと(˶ඕ ⌔ ඕ˶)ジーン

世界が注目する高橋選手がパリ五輪でどんなプレーを”魅せて”くれるのか楽しみですね♪

 

この時点での紹介はこれで終わりです。

お付き合いを頂きまして、ありがとうございます。

この記事の参考元:(高橋選手が19歳の時の)当サイト旧記事・中日スポーツWEB2022年6月1日・日刊スポーツ・プレミアム2022.05.30・日刊スポーツ・プレミアム2022.05.2・HOMINIS2020.10.10・日本経済新聞2022年8月26日 ・スポニチ2022年5月16日・スポニチ2021年11月30日 ・スポニチ2021年8月4日・スポニチ 2021年8月3日・web Sportiva2023.01.06・web Sportiva2022.01.03・web Sportiva2021.11.30・Number Web2023年10月14日・NumberWeb2023/01/13・NumberWeb2022/09/23・NumberWeb2022/01/31・NumberWeb2021/12/29・NumberWeb 2022/12/10・NumberWeb2021/12/08・web Sportiva2021.05.28 ・NumberWeb2022/09/23・NumberWeb2022/08/25・NumberWeb2022/04/08・NumberWeb2021/08/02 ・livedoor2023年1月6日 ・4years.2021/03/11・4years.2020/01/27・TBS NEWS DIG2022年7月9日・サンスポ2021年7月8日・an・anNEWS2022年10月30日・・髙橋藍オフィシャルサポーターズクラブ・バレーボールマガジン・FNNプライムオンライン2023/03/12・髙橋藍(Ran Takahashi)@Ran_volley0902・VOLLEYBALL HEROES2023.01.31・アサ芸プラス2023年10月12日・ほか

Sponsored Links








コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

こんにちは! あんびと申します。 犬が好きすぎて数頭のわんこを保護し、 ペット看護師の資格とペットセラピストの資格も取得して、 犬のために生きているような日々を過ごしているおばちゃんです。 こんな私ですが、よろしくお願いします。