俳優の升毅(ますたけし)さんは、升たけしで一時期ご活躍されていたようで、志垣太郎さんにと間違える方の多いそうですが、実際は雰囲気が似ているだけの赤の他人同士だそうですよ。
升毅さんとい言えば、一時期ひかり法律事務所のCM出演していた記憶がございますが、あなた様はご覧になりましたか?
現在の升毅さんは本名で存在感抜群のバイプレーヤーとして多くの出演されています。
ご結婚され別居中の升毅さんですが、そのお相手は俳優の「牧野エミ」さんではないかと言われているようですが、彼女は演劇ユニット「売名行為」のメンバーであって妻ではないようです。
料理するのが大好きな升毅さんのあれこれをまとめてお伝えしていますので、是非、最後までお付き合いしていただければと思います(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
2025年2月4日タイトルを「升毅(ますたけし)の父はテレビ局勤務で妻とは別居し娘や姪は芸能人!生い立ちや家族を紹介!」から変更し加筆しました。
目次
升毅の生い立ちから名バイプレーヤーになるまでの歩み

出典:ばりん@everynda_rynda
升毅の太っていた幼少期~転校ばかりの小学時代
東京で生れた升毅さんの父親の仕事の都合で引越しが多い升家でした。
その都合に付き合わなくてはいけなかった升毅さんは、幼稚園~小学1年~2年の1学期まで大阪で過ごし、その後の小2の2学期からは東京都中野区立若宮小学校に転入したようです。
中野区に約半年間住んでいて次に、家はひばりが丘団地(現在は西東京市)に引越ししたそうですが、ストレスがかかる転校をこれ以上繰り返したく野区立若宮小学校を卒業するまで
バスと電車で約1時間かけて通学していたそうです。
その期間に遠足とかキャンプなど集合する時間が早い時は、時間が早すぎてバスがなかったので、父親と自転車で駅まで一緒に行ってくれていたんだとか。
運動好きで活発な子だったお調子者の升毅さんでしたが、この頃になると大の料理好きになっており、冷蔵庫にある食材で手早く作っていたそうですよ。
母親の手伝いでおせち料理の松前漬けなんかを作っていたとのこと。
また、大の中日ドラゴンズファンの彼は、この頃から応援グッズを集めていたそうな。
升毅の人生で一番モテた中学時代
父親の転勤で大阪の吹田市立高野台中学校入学し、箕面自由学園中学校を卒業した升毅さんでした。
大阪に引越しをしたことで、ご自身が40歳になるまでお住まいになることとは思っていなかったようです。
吹田市立高野台中学校時代が人生で一番モテたそうで、家の前に下級生の女子がいたり、休みの日でも家の近くに女子がいたりして「キャーキャー♡」言われていたそうな。
デートは、南千里の駅前や千里南公園でしていたそうですよ。
この時代は自分部屋を与えられていて、コーヒー、砂糖、お湯を入れたポットを自分専用にセットして自室に持ち込みをしていたそうな。
升毅の野口五郎の髪型をマネていた高校時代
箕面自由学園高等学校高等科に進学した升毅さんは、高1年の時に野口五郎さんがデビューしたそうな。
野口五郎さんとは同じ歳だった升毅さんは衝撃を受け、その後“新御三家”に憧れを持つようになったそうです。
ご自身も「アイドルになりたいでも恥ずかしい」で口に出せずにいたそうです。
父親が放送局の技術職ということからか、当時のご実家には劇団四季の役者やテレビ業界の人たちが遊びに来るような環境だったそうで、俳優の仕事は升毅さんにとって遠いものではなく、近い世界に感じていたとか。
高校3年の進路指導の面接の時、受験勉強が本当に嫌でやりたくなかった升毅さんは、とっさの思いつきで「俳優になりたいので、大学には行きません」と担任の先生に言ったそうです。
それを聞いた担任の先生はびっくりしながらも「ご両親と相談しなさい」と言ったそうな。
何事も長続きしなかった升毅さんは、両親に相談すると、父親は「俳優になりたいならなれ。でも条件として大学を受験して現役で4年で卒業しろ」という条件付でOKをいただいたそうです。
その条件を聞いた後は、大学受験に向けて必死に勉強をしたそうです。
升毅の自炊をしたくて一人暮らしをした大学時代
近畿大学商経学部に進学した升毅さんでしたが、1年の時はキャンパスライフが楽しくて、アルバイトと雀荘の行き来だったようですが、2年になる頃に「こんなことをしていたらダメだ!」と思うようになり、具体的に役者の道を進めようと思い始めたそうです。
1975年の20歳の頃にNHK大阪放送劇団付属研究所に入所し、週4回夕方から3時間ほどのレッスンを受けていたそうです。
4月に養成所に入って、9月に初めてNHK銀河テレビ小説「紬の里」に出演したそうですが、養成所は1年間で終わり卒業し、その後は劇団五期会に所属してご活躍していたそうです。
その間は、バイトをして何とか生活をしていたそうですが、時には夜バーをしている店の昼間を借りて、ランチタイムに定食屋をしてたことも。
自分専用のキッチン欲しさに、大学3年で一人暮らしを始めた升毅さん。
岸和田に近い1Kの古い物件に当時付き合いっていた今の妻と一緒に同棲していたそうです。
升毅の名バイプレーヤーになるまでの歩み
劇団五期会に10年間所属していた升毅さんでしたが、20歳でデビューし、1980年の25歳の時に大阪演劇フェスティバルで新人賞を受賞したそうです。
1985年の30歳の頃に立原啓裕さんや牧野エミさんと一緒に「売名行為」を結成し、1991年に解散。
解散後には、売名行為を母体にした「劇団MOTHER」を結成し、2002年に解散するまで主宰・座長を務めていたようです。
1995年に東京での仕事でテレビドラマ『沙粧妙子―最後の事件―』の出演後からは、すぐに仕事が増え始め、東京の仕事と大阪での演劇活動との両立が難しくなっていった為、ご自身が主宰・座長を務めていた「劇団MOTHER」を解散することにしたそうです。
因みに、40歳で出演したテレビドラマ『沙粧妙子―最後の事件―』の時は、「この役者誰?」って感じの周囲だったそうですよ。
今では名バイプレーヤーとして全国的に有名になり大活躍中♪
升毅の一人暮らしからの住まい歴
岸和田に近い1Kの古い物件
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千里の小さめの2DK
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千里ニュータウンの公団住宅で広めの6畳と4畳半の3LDK(23歳頃)
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阪神淡路大震災後に東京の目黒区のワンルーム
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長女が都内の大学に進学し、同居することで8年後目黒区の2DKに引越し
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隣の部屋で居酒屋ますやをオープンする
升毅の不定期開店の居酒屋ますや
升毅さんは、娘さんと同居する前は、劇団の男子を居候させていたようですが、その後、娘が上京してきた後は娘と一緒に東京に住んでいるようです。
自分の部屋の台所はなるべく人に使わせたくない升毅さんは、ご自身のマンションの隣の部屋をホームパーティー用に借りていて、「大衆居酒屋 ますや」として時々オープンしているんだとか。
その居酒屋のお客は、役者の後輩や草野球仲間がほとんどだそうですが、未来は本当に居酒屋をオープンさせたいみたい。
幼少期から料理をするのが好きな升毅さんですが、今でも大好きだそうで、料理本や料理番組をマメにチェックしたり、コンビニでNEWな商品が発売されると必ずチェックするそうですよ。
升毅の通いの店
お料理好きな升毅さんが足繁く通う店は「梅仁」で通いはじめて13年になるそうな。
偶然に入った「梅仁」で日本酒とお鍋を堪能して帰宅すると帽子を店に忘れてことがきっかけで、そのに通うようになったそうです。
主人・菅原勝美さんとはいまでは、一緒に酒を酌み交わす仲なんだとか。
名バイプレイヤー・升毅のおすすめは「菓子工房フラノデリス ふらの牛乳プリン」で、特別な日の差し入れの定番になっているそうです。
ご自身でこの味のプリンを作ってみたはいるものの、「まったく太刀打ちできません」とのこと。
升毅さんが仕事で北海道に行っていたときに、富良野の会場の支配人の方が差し入れてくれたのがそのプリン。
升毅さんが食して感動し、それからファンになったそうな。
中日ドラゴンズファンの升毅さんは、毎年キャンプを見に行くそうですが、警察官に職務質問された事があるんだとか笑
カラオケで楽しむ時の十八番は郷ひろさん・西城秀樹さん・野口五郎さんの歌なんだそうですよ。
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升毅の作品は<U-NEXT>で決まりだね!!
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