デビュー作は1992年に公開された映画「裸足のピクニック」で、1994年に公開された映画『愛の新世界』で”主演”を果たした鈴木砂羽さん。
鈴木砂羽さんの初主演作品は衝撃的で、日本映画初のヘアヌードが話題にもなったようです。
現在は、相棒で寺脇康文の妻・亀山美和子役でご活躍されています୧( •̀ㅁ•́๑)૭✧
そんな浜松市出身の鈴木砂羽さんのご実家から若い頃~現在を綴って参りますので、最後までお付き合いくださればと願います。
この記事でお伝えしていることは執筆時や加筆時のものであり、現在では異なる場合がありますのであらかじめご了承の上、お読みくださいませ(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
また、情報に誤りがあった場合など、ご指摘いただけると幸いです。
この記事は、2024年11月に「鈴木砂羽の実家は浜松市で父親は画家でバツ1?母親も画像と一緒に紹介!妹もや若い頃~現在もね!」のタイトルを上記に変更しました。
目次
鈴木砂羽の実家の家族は4人
鈴木砂羽の元実家は平屋の借家
鈴木砂羽さんと父親・母親と妹の構成の4人家族でしたが、鈴木砂羽さんの中2の時に離婚しています。
映画好きの両親は多摩美術大学で知り合い、両親の故郷の静岡県に戻ってから結婚したそうです。
母親方の祖父も画家だったので、結婚後に祖父と両親の3人で浜松市で「はままつ美術研究所」で、美大受験の講師をしていたそうです。
父親は自主制作映像集団も主宰していたそうですが、1982年からは画家のみの活動をしているとか。
そんな両親は、鈴木砂羽さんが生れ育ってもお昼まで寝ていたそうです。
鈴木砂羽さんの食事は1日2回で、小学校に進学するまでは1日3食が当たり前だとは知らなかったそうな。
両親は、鈴木砂羽さんを小学低学年から美術館やレストランなど大人の場所に連れて行き、食事をはじめマナーなどの行儀を徹底して教えたそうです。
鈴木砂羽さんの子供の頃のおやつの一つは”塩辛や塩昆布などでお茶漬け”で、これが当たり前だと思っていたみたい。
この頃の住まいは、借家の平屋だったとか。
両親が離婚した後は、浜松市で別々に暮らしていて、鈴木砂羽さんは両親に会うために月に1~2回帰省しているそうですよ。
鈴木砂羽の父親は西条俊生で多摩美術大学造形学部彫刻科卒業の画家
鈴木砂羽さんの父親は西条俊生(さいじょうしゅうせい)の名前で画家として活躍をされています。
1948年に静岡県袋井市に生れのプロレス好き。
特にアントニオ猪木氏が好きだったとか。
鈴木砂羽さんと父親とのエピソードは、上京した父親にハグしているところを「鈴木砂羽、酔っぱらって男性とハグ」とツイートされたそうです。
このことで鈴木砂羽さんは「そっくりだから親子って分かるでしょ」って嘆いていたとか。
2024年時点での父親の年齢は76歳のお一人様のようです。
鈴木砂羽の母親は画家で多摩美術大学卒業
鈴木砂羽さんの両親は美術研究所「はままつ」で美大受験の講師をしていて、お名前は鈴木葵さん。
鈴木砂羽さんの中2の時に離婚が成立し、母親は鈴木砂羽さんを引き取り一緒に暮らし始めたました。
離婚後は借家住まいをしていたそうですが、2002年~2001年当たりに鈴木砂羽さんが家を建てたので、そこを住まいにしているとか。
母親と鈴木砂羽さんは一卵性双生児のような感じなんだそうです。
鈴木砂羽は兄弟は妹が一人
鈴木砂羽さんには、心臓が弱い妹がいたそうですが、鈴木砂羽さんが小3になるちょっと前に、他界したそうです。
妹は生れてからほぼ入院生活をしていて、母親は妹につきっきりだったため、鈴木砂羽さんは祖母の家に預けられていたとのこと。
享年3歳でした。
鈴木砂羽の母方の祖父は鈴木貞夫氏
浜松市中区富塚町で「はままつ美術研究所」代表を務めていた鈴木砂羽さんの祖父でしたが、2023年1月16日に他界。
享年101歳でした。
祖父は30代で美術教室を開き、約50年の間本紙の学童紙上作品展の選者・評者として活躍し、元陽展大賞や日本選抜美術展金賞などの受賞歴があるそうです。
祖父は静岡県袋井市生れで、芸術家系のご実家で、幼い頃から絵に親しんでいたそうです。
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