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岡部たかしの生い立ち~若い頃

出典: Pukumedia
岡部たかしのひょうきん大賞をもらった生い立ち~若い頃
岡部さんのニセ広東語は、いまも持ちネタのひとつ。
それは、幼少期に憧れたジャッキー・チェンからの影響でニセ広東語がネタになったよう。
テレビで映画「酔拳」を観て、ジャッキー・チェンの魅了され、ご自身を「ジャッキーたかし」と名乗り、「ジャッキー軍団ザ・ピンク」を結成したんだとか。
結成後は、田んぼにわらを積んでバック転の練習をし、ほうきとちりとりを手にアクションのマネをしながらニセ広東語を操る「ジャッキーたかし」だったそうな。
小5のときには担任から「ひょうきん大賞」をもらうほどクラスの盛り上げ役だったみたい。
この時代から少年野球チームに入り、友達とつるんで遊ぶのが楽しかった岡部さんで、小学時代は学級委員に度々なっていたそうです。
中学時代になると、「ビー・バップ・ハイスクール」に影響を受け、髪を染めたりして「ビー・バップ・ハイスクール」に出てくるヤンチャな生徒のマネをしたようですが、岡部さんの母親が厳しかったことで、「ビー・バップ・ハイスクール”岡部”」に変身するのは、”友達の家で着替えた後”からだったようです。
仲の良い友人が地元の「工業高校の土木科に行く」と言ったことから、「じゃあ俺も」とその高校に進学した岡部さんでした。
高校卒業後はバブルの名残で就職には困らず、大阪府泉佐野市の奥村組土木興業で現場監督として働く事ができましたが、全く肌が合わなく、1年くらいで辞めたそうです。
当時は入社したら一生勤めるのが当たり前の時代だったことがあり、地元に帰ると母親は「なんで辞めんねや!」と大激おこで騒ぎしたんだとか。
その後は、トラックの運転手や喫茶店などでフリーターで働きながら、地元の友達と一緒にいることを楽しんでいましたが、23歳当たりになると、仲良かった友人たちは結婚したり、正社員で就職したりと落ち着き始めたことで次第に「このまま和歌山にいても面白くない」と思っていたそうな。
芸能人になろうと思い、松田優作氏の出身が文学座だったと思いだし、授業料を調べてみると・・高い!
たまたま大阪での公演をしていた柄本明氏が座長を務める「劇団 東京乾電池」を観て衝撃を受けた岡部さんで、東京乾電池の授業料を調べてみたら、非常に安く、これなら払えそうと思った岡部さんは、東京でオーディションを受けてみようかと思うものの心細さが先立っていると、当時付き合っていた彼女が「一緒に行っちゃるから行きなよ! そんなびびってやんと!」「ええ? ほんま、来てくれる?」と上京することがすんなりと決まったとか。
岡部たかしの現実逃避のひとつで選んだ俳優の歩み
1997年の24歳の時に上京し、「劇団東京乾電池」の研究生のオーディションを全身白のスーツ姿で大真面目で尾崎豊の「アイラブユー」を熱唱しただけの岡部さんでした。
その後、柄本明氏自らの面接を受けるのですが、何故が柄本氏はずっと笑っていたそうですが、、受かるというミラクルが起き、晴れて研修生になれたのでした。
合格後の1年間は、自分たちで台本を書き、演技をレッスンの繰り返しの日々だったそうです。
大変だったのが「言葉」で、標準語と和歌山弁の感覚が一致せず、セリフを言っていても気持ち悪くてしかたがなかったんだとか。
卒業公演の脚本を担当したそうですが、思う様に進まず体重は激減し、ストレスで十二指腸潰瘍になったそうです。
そして、卒業公演の本番の舞台で恥ずかしさが勝って前を向くことが出来なく、後ろにどんどん下がっていったんだとか。
観に来てくれた彼女が「辞めたら? 向いてへんで」というくらいの失態だったそうな。
ですが、”何も染まっていない素人っぽい人材”を求めていたこで、ここでもミラクルが起き正式に劇団員に決定したのでした。
3年お世話になった劇団を2000年に退団し、その後の2002年に元WAHAHA本舗の村松利史さんと岩谷健司さんと結成したユニット『午後の男優室』で、劇場を中心に活動していたそうです。
居酒屋でアルバイトをしながら、活動をしていると、俳優で脚本・演出家の村松利史氏と縁があり、村松氏のもとで岩谷さんと岡部さんは「狂気のような」修業時代を過ごしたそうです。
野球で言えば千本ノック状態で「役のノリとか空気が全然、出来上がってないよ!」とダメ出しをされる毎日。
とにかく「おもしろくある」ことが命題になっていた当時で、歯を食いしばって頑張っていると30歳になっていたそうな。
村松氏の勧めで舞台を紹介され、2004年に山内ケンジ氏が立ち上げた「城山羊(しろやぎ)の会」で岡部さんと岩谷さんが参加することになったみたい。
今度は「おもしろい」ではなく、「自然にやる」演技を求められ、芝居が上手く出来なかったんだそう。
オーディションに行っても受からない日々。
鬱屈した思いを、酒場で俳優仲間と分け合っていた当時の岡部さんでした。
そして、その頃は”売れることを諦めていた”そうな。
40歳でクリオネに移籍したことでてテレビやドラマの仕事が徐々に増え、アルバイトをしなくても演技だけで食べていけるようになったんだとか。
クリオネに移籍する前までは、警備員、居酒屋、日雇いの作業員、テレフォンアポインター、宅配寿司のデリバリーなどいろんなバイトをして生きていた岡部さん。
2022年10月から放送されたドラマ「エルピス」のプロデューサー・佐野亜裕美さんが、城山羊の会の公演で岡部さんの芝居と声に魅了されたことで、「難しい役でも岡部さんなら何とかしてくれるかもしれない」という絶対的な信頼感で「村井役」のオファーが岡部さんの元に来たそうです。
ですが、その台本を読んでみると長澤まさみさんに「オバハン」「能なし」「更年期か」などと酷い事を言わないとイケない。
監督からは「炎上しないようにお願いします」と言われ、悩みに悩んだあげく「垂れ流すように酷い事」を言うことにしたそうです。
そして、エルピスの反響は大きく「岡部たかし」の名前が一気に全国に広がったのでした。
役者を始めて25年後にブレイクした岡部さんでした。
2023年の7月には2本のドラマにレギュラー出演することになり、同年秋からのNHK連続テレビ小説「ブギウギ」への出演も決まっちゃうほど、役者人生がうなぎ登りに!!
因みに、ドラマ『エルピス』に着手したのは2017年なんだって。
一つのドラマが放送されるまでに長い時間が必要なんですね。
ブレイクする前は、“僕のこと知らないでしょ?”という思いがあり、番組の収録などでも初対面ではない人に「はじめまして」と挨拶していたそうです。
楽屋には行かず、喫煙者でないのに禁煙所で過ごしていたりと辛いことが多々あったようです。
そんな経験をずっとしていた岡部さん曰く、「楽になりました」とのこと。

出典:【公式】月10ドラマ『エルピス』Instagram
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