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井上尚弥のサッカーからボクシング界のモンスターになった歩みは?「尚弥」と「怪物」の由来も紹介!

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日本だけではとどまることなく、世界も驚愕の「日本の最高傑作のボクサー」と称されている井上尚弥(いのうえなおや)選手の信条は「強い相手としか戦わない」だそうです。

ボクシング界のモンスターこと井上尚弥選手は、生まれ変わったら歌手になりたいと思うほど歌うことが好きなんだとか。

そんな井上尚弥選手のストレス発散法はカラオケで、十八番はスピッツ『チェリー』なんだって。

そんな井上尚弥選手のことを知りたくて、「井上尚弥の怪物になった生い立ちや歩みを紹介!「尚弥」と「モンスター」の由来やファイトマネーも!」と題して綴ることにしました。

圧倒的実力の持ち主・怪物こと井上尚弥選手は、アメリカのボクシング専門誌「ザ・リング」が格付けするパウンド・フォー・パウンドランキングにおいて、日本人として初めて1位の評価を受けたことも頷けますね♪

井上尚弥選手と対戦したボクサーは、有名で偉大なボクサーたちなのに、彼と対戦すると平凡なボクサーに見えてしまうから不思議。

最後までお付き合いくだされば幸いです。

この記事でお伝えしていることは執筆時のものであり、現在では異なる場合がありますのであらかじめご了承の上、お読みくださいませ(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
また、情報に誤りがあった場合など、ご指摘いただけると幸いです

怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ ~必読書~

 

目次

井上尚弥のプロフィールと「尚弥」名前の由来

出典:井上尚弥Instagram

井上尚弥のプロフィール

名前:井上尚弥

生年月日:1993年4月10日

年齢:30歳(2023年11月時点)

出身地:神奈川県座間市

血液型:A

身長:165(164.5)㎝

好きな食べ物:焼き肉・そば

嫌いな食べ物:玉ねぎの料理

ストレス発散法:カラオケ

好きな有名人:長澤まさみ

所属事務所:ホリプロ(2015年12月1日-)

所属ボクシング事務所:大橋ボクシングジム(2012年-)

担当トレーナー:井上真吾

井上尚弥の「尚弥」名前の由来

井上選手の父親の真吾トレーナー曰く、「和尚さん」の「尚」に由来していて「まっすぐに」と言う意味で命名したとのこと。

ご両親の願い通りに、井上選手はまっすぐに成長し、前人未到の高みに立っていますね。

ですが、このステキなお名前にケチを付けた週刊誌系のネット記事がありました。

「強すぎて試合が面白くない」・「国内での認知度は今イチ」・「名前も地味」とか言って書きたい放題の失礼な内容でした。

この記事の「名前も地味」に対して、「失礼な記事だな。親がつけた名前に地味だなんて記事にする必要はありますか?」とtweetした井上選手・・・そのtweetに拍手!

井上尚弥写真集

井上尚弥の生い立ちと”怪物”になるまでの歩み

出典:
ロッキー【格闘技大好きチャンネル】

井上尚弥の幼稚園時代はサッカークラブに所属~ボクシングを始めた小学時代

生後8ヶ月で歩き出した井上選手ですが、3歳の頃には補助輪無しの自転車を乗り回すようになり、サッカーを2年間していたそうです。

ですが、東原幼稚園の卒園と同時にサッカーを止めてボクシングを始めたようです。

それは、ご自身が「ボクシングをやりたい」と言い出したことがきっかけ。

アマチュアボクサーだった父親の姿を見てきた井上選手でしたが、「危ない」という理由で父親は反対したようです。

ですが井上選手の「やりたい気持ち」は本気だったようで、とうとう父親はボクシングをすることに許可をしたんだとか。

座間市立栗原小学校に進学と同時にボクシングを始めた井上選手。

「練習は仕事と思ってやれ」と父親に教えられ、1㎞未満の距離の「家の前の広場を5周」をロードワークにしていたそうです。

父親は、「打たせないで打つ」というボクサーとしての理想的なスタイルを息子に身につけさせるために「幼いころから技術をしっかりと教える」ことにしたそうです。

・一つ一つの技術を、できるようになるまで反復させる

・限られた時間に集中してトレーニングする

この2つのことを基本とし、徹底的に学んだそうです。

小学校6年生で初試合を迎え、全国大会で中学2年生を相手に、RSC(レフェリーストップコンテスト)で勝利を収めて注目された井上選手でしたが、当時の井上選手は「恐怖でしかなかった」だそう。

井上尚弥の小学時代のこぼれ話

小学時代に父親が家にいると「嫌だな」と思っていたんだとか。

トレーナーがずっと一緒にいる感じだったそうで、特に休日に少しストレスを感じていたそうです。

休日に子供向けのアニメを見ていると父親から「そんなもの見てる時間があるなら走ってこい」と言わると、自分から教えてほしいと頼んだことから、それに従うしかなかったみたい。

走りたくない思っても、父親が先に走り出すと、自分もやらななくてはと思う様になり、結局は父親の背中を見ながら走っていたんだとか。父強し!

井上尚弥のこぼれ話~井上家の基礎~

井上選手が中学に進学する前から、弟の拓真選手といとこの井上浩樹選手で朝練を3人で始めたそうです。

基本的にランニングをして、時にはシャドーや筋トレも行っていたそうな。

この3人だけで毎日連絡を取り合いっていた朝練は、15年以上も続いていたとのこと。

井上浩樹選手の引退後は、この朝練をしなくなっていたそうですが、浩樹選手が2022年2月に現役復帰すると、また朝練が再開されたそうな。

これが井上家の基礎だと真吾トレーナーがおっしゃっていました。

井上尚弥の小学時代のお小遣い

お小遣いは、火事を手伝った時にもらっていたそうです。

その時々のお手伝いで報酬額が変り「100円」の時もあれば「200円」の時もあったんだとか。

井上尚弥の放火事件

井上選手が小3の時に、自宅の網戸をライターで燃やして穴を空けてしまったんだとか。

困った井上選手は、小1だった弟・拓真さんに拓真がやったことにしてくれる?」とお願いしちゃった。

その後、父親があなが空いている網戸に気が付き「なんだこれ?!」になったんだとか。

すると男前な拓真さんが「ごめん、ライターで燃やしちゃった」と父親に告白をしたのでした。

その後の拓真さんは父親から「放火魔」と呼ばれることになったのでした。

父親が真実を知ったのは、井上選手が高校に進学した時だったそうですよ。

井上尚弥の野菜事件

野菜が嫌いだった井上選手は、父親がいなくなった隙に、弟の拓真さんのお皿にその野菜をせっせと載せたり、見つかりそうな時には、弟の口に運んだりしていたんだとか。

井上尚弥の「ヤバイ中学生がいる」と話題になった中学時代

出典:ロッキー【格闘技大好きチャンネル】

座間市立栗原中学校に進学すると、ロードワークの距離は6㎞になり学校へ登校する前にしていたそうです。

中3の時に開催された第1回全国U-15大会で優秀選手賞に輝いた後、「ヤバイ中学生がいる」と話題になっていたんだとか。

初めての出稽古を体験したのも中3で、現在所属している大橋ジムで当時東洋太平洋チャンピオンだった八重樫東氏とスパーリングして、その後に八重樫東氏が「中学生にしては強い」と評価したこともあり、今まで以上にトレーニングに精を出すようになった井上選手でした。

井上尚弥の(当時)史上初の国体の3大タイトルを含む7冠を達成した高校時代

出典:ロッキー【格闘技大好きチャンネル】

新磯高校(在籍時に相模原青陵高校に改称)に進学した井上選手は、1年の時に全国高等学校総合体育大会(インターハイ)・国民体育大会(国体)・全国高等学校ボクシング選抜大会の三冠、アジアユース選手権3位入賞を果たしました。

2年の時には国体を連覇し、全日本アマチュア選手権準優勝して輝きを増します。

そして、3年になると、初の国際大会となったインドネシア大統領杯を制するも、世界選手権フライ級部門ではベスト16に終わった井上選手でした。

2度目のインターハイ優勝・全日本アマ選手権を初制覇したことで、高校生初のアマチュア7冠を成し遂げた偉業を果たした高校時代の井上選手でした。

この頃に、父親の真吾トレーナーが全貯金を使って秦野市内にジムを構えたことで、井上選手は「これは自分たちがチャンピオンにならないと家が大変なことになる」と思い、この時に覚悟が決めたとのこと。

井上尚弥のボクシング人生のターニングポイントになった高2

井上選手のボクシング人生のターニングポイントになったのは、高2で初出場した全日本選手権の決勝だったそうです。

優勝を狙っていた井上選手だったのですが、柏崎刀翔に勝っていたことから”気を抜いていた”のでした。
決勝の前日に、父親と井上選手で「明日は優勝したらNHKのインタビューがあるから何て言おうか?」などそんな話しをしていたそうです。

対戦相手の駒澤大の林田太郎選手は、高校生の井上選手には負けることは出来ないプレッシャーを背負っていたことで、その当時の試合は120%で勝負を挑んできたようです。

そして、まさかの完敗を喫した井上選手。

このことから、深く反省した井上選手と父親で、このことが井上選手のボクシング人生のターニングポイントになった試合だったようです。

真っすぐに生きる

井上尚弥ことモンスター誕生~モンスター時代2012 – 2013

出典:ロッキー【格闘技大好きチャンネル】

男子ボクシングの階級

ミニマム級(47.62kg以下)

ライトフライ級(48.97kg以下)

フライ級(50.80kg以下)

スーパーフライ級(52.16kg以下)

バンタム級(53.52kg以下)

スーパーバンタム級(55.34kg以下)~The monster is here now~

フェザー級(57.15kg以下)

スーパーフェザー級(58.97kg以下)

ライト級(61.23kg以下)

スーパーライト級(63.50kg以下)

ウエルター級(66.68kg以下)

スーパーウエルター級(69.85kg以下)

ミドル級(72.57kg以下)

スーパーミドル級(76.20kg以下)

ライトヘビー級(79.38kg以下)

クルーザー級(90.72kg以下)

ヘビー級(90.72kg超)

井上尚弥がプロ転向に決意したきっかけはアジア選手権

高校を卒業した2012年4月にロンドンオリンピック予選会を兼ねたアジア選手権に出場した井上選手でしたが、ライトフライ級決勝で、カザフスタンのビルジャン・ジャキポフ選手との戦いで11-16で判定負けをしました。

ロンドンオリンピック出場を逃した当時19歳の井上選手は、プロに転向することを決意したのでした。

も~も

井上選手のアマチュア時代の戦績は81戦して75勝6敗。

6敗しているなんて意外~。

井上尚弥がプロになる前に体験したアルバイト

プロのボクサーになる前の短い期間のアルバイト体験でしたが、父親こと真吾トレーナーは、体を使って汗を流して給料をもうということの大変さを分ってもらいたく「社会常識を知る、社会勉強のつもりでアルバイトをしてみなさい。決まった時間に決まった仕事を毎日して、自分でお金を稼ぐ大変さを体験してみなさい」と言って、井上選手にアルバイトをすることをススメました。

井上選手は知人を頼って、時給850円の工場での仕分けや梱包の流れ作業のアルバイトを見つけたのでした。

そのバイト先では、上記の仕事の他に、焼酎のビンが詰められた重たい荷物なども運ぶ作業もあり、井上選手は「それなら筋トレ代わりになる」と思いそこで働いたそうです。

初めてバイト代を手にした時は、母親からリクエストをされていたスニーカーをプレゼントし、その残りは、家族全員に焼き肉をごちそうしたそうな。

このアルバイト経験があることで、多額のファイトマネーが入っても金銭感覚がマヒすることはないそうです。

井上尚弥のモンスターになる前のプロテスト

出典:ロッキー【格闘技大好きチャンネル】

2012年に大橋ボクシングに入門した井上選手ですが、契約書に井上選手ご自身の希望で「強い選手と戦う。弱い選手とは戦わない」との条件が付帯されたそうです。

プロテストはスーパーバンタム級でB級ライセンスを受験し、実技試験は後楽園ホールの興行内で公開され、日本ライトフライ王者でもある黒田選手相手に行われたのですが、井上選手の圧倒的な強い実力を示して合格を果たしたのでした。

強過ぎてデビュー前から相手が見つからない状態になった井上選手。

井上尚弥が田口良一を泣かしたスパーリング

当時の日本1位だった田口良一選手に大橋ジムからオファーがあり、井上選手と田口選手のスパーリングが実現したのでした。

いざスパーリングが始まると、田口選手は1R目からダウンを奪われ、2Rでもダウンを奪われたのでした。

4Rの予定だったスパーリングが3Rで打ち切られてしまうことになったのでした。

井上選手の圧倒的な強さを受けた田口選手はその後は悔しくて泣いたそうです。

井上尚弥というモンスター誕生~「怪物」から「モンスター」の愛称の由来

井上選手のデビュー会見の際に「会長は150年に1人の天才といわれてデビューしましたが井上選手は?」と記者から聞かれると、大橋会長は「彼は怪物です」と答えたことから「怪物」と言われるようになったようです。

ですが、大橋会長には”思い”があって、「怪物」を後に「モンスター」と愛称付けることに。

それは、世界のボクシング界のレジェンドには必ずと言っていいほど愛称があることから、後に大橋会長は「日本からメジャーリーグに行って活躍した松坂(大輔)選手のように、井上には世界を相手取るようなボクサーになってほしかった。より広い世界に進出してほしいとの思いで”怪物”ではなく、モンスターと名付けました」と。

ですが、当初の井上選手は「名前負けしている感じがしてこのニックネームが嫌だった」ことから大橋会長に「モンスター」と呼ばないでとお願いしたそうですが、大橋会長は「俺が気に入っているからいいんだ」と言ってそのままになっていたそうですが、現在では「会長に感謝しています」というほど「モンスター」の呼び名が気に入っているんだとか。

も~も

・元ヘビー級の伝説的王者モハメド・アリ氏は「最も偉大なボクサー」という意味を持つ「The Greatest(ザ・グレーテスト)」と呼ばれていました。

・元ヘビー級3団体統一王者マイク・タイソン氏は、破壊力抜群のパンチ力と屈強な肉体から「鉄人」の愛称が付き、「アイアン・マイク・タイソン」と呼ばれていました。

・無敗のまま世界5階級を制覇したフロイド・メイウェザーJr氏は「金の亡者」を意味する「Money(マネー)」と呼ばれています。

・マニー・パッキャオ氏は「パックマン」の愛称で親しまれています。(ゲームの中で敵をパクパク食うキャラクターで対戦相手をパクパク食う姿と似ていることからこの愛称が付いたようです。)

このことから世界のボクシング界のレジェンドには必ずと言っていいほど愛称があるのがわかりますね♪

井上尚弥ことモンスターのデビュー戦が決まるまで

井上選手はジムに入る際に「強い選手と戦う。弱い選手とは戦わない」という契約を交わしてため、ジムは井上選手よりも格上の日本人の世界ランカーや日本ランカーに声を掛けるのですが、プロテストの強さが衝撃的だったため全て断られてしまっていたそうです。

トホホの状態でやっと井上選手との対戦を承諾してくれたは、日本ランカーよりも遥かに格上の選手でした。

井上尚弥ことモンスターのデビュー戦は4回KO

井上選手のデビューは、2012年10月2日フィリピンミニマム級王者、東洋太平洋7位のクリソン・オマヤオ(Crison Omayao/フィリピン)選手相手に行われました。

後楽園ホールにて49キロ契約8回戦で対戦。

プロ受験時のライセンスはB級だが特例によりA級(8回戦以上)ライセンスが認められてのデビュー戦となった井上選手でしたが、試合は1回にボディストレートでダウンを奪取、4Rに左ボディーブローを打ち込んでダウンを取り4回2分4秒KOで勝利。

この勝利で、プロ転向から3か月でOPBF東洋太平洋ライトフライ級10位にランクインし、日本ライトフライ級6位にもランクした井上選手でした。

モンスターのプロキャリア幕開けに相応しい試合でしたが、デビュー戦にも関わらず東洋太平洋ランカーを歯牙にもかけない強さだったことから、第2戦として契約寸前だった試合はキャンセルとなってしまったんだとか。

井上尚弥ことモンスターのライトフライ(Light Fly Weight/ limit 48.9kg)級の歩み

井上尚弥vsガオプラチャン・チュワタナ(タイ)~交渉4人目に決定した対戦相手は1回KO~

2戦目はタイ国内2階級王者のガオプラチャン・チュワタナ(タイ)選手でした。

世界ランカーを予定していた当初でしたが、デビュー戦をYouTubeで見た世界ランカーが対戦をキャンセル。

そのため、交渉4人目にして決定したガオプラチャン・チュワタナ選手だったのです。

11勝の内KOは9つの戦績を持つチュワタナ選手。

この試合は1R1分半過ぎ、井上選手のコンパクトな左フックがヒットしキャンバスに沈んだチュワタナ選手。

わずか2分足らずで試合が終わった2戦目でした。

試合経験を積むために、父親の真吾トレーナーはすぐに倒さないように指示を出していたのですが、思わず倒してしまっちゃった井上選手でした。

井上尚弥vs佐野友樹~右の拳を痛めて10回TKO~

戦目はプロでは初めてとなる日本人ボクサー、佐野友樹選手相手に行われました。

佐野選手の戦績は、23戦17勝2敗4分けのベテランボクサーでしたが、右目に白内障を患っていたため約1年試合から遠ざかっていたそうです。

井上選手のプロデビュー戦、2戦目と衝撃のKOで試合を終わらせた圧倒的強さがあだとなり、お声がけをしても断られる状態のなかで佐野選手が試合を引き受けたのでした。

当時の佐野選手は「もしかしたら現役生活はそう長くないかもしれない。だから、消化試合のような相手とはやりたくない。強い奴とやりたい。31歳だったし、待っていてもチャンスは来ない。僕だって怖い。だけど、逃げたくない。」と思っていたんだとか。

2013年4月16日に後楽園ホールにてノンタイトル10回戦で対戦となり、井上選手は10回1分9秒TKO勝ちで佐野選手を下したのでした。

この試合の3Rに打った右ストレートが佐野選手の頭部に当たった際に右拳を負傷した井上選手。

その後は左手一本での戦いを余儀なくされたのこと。

何故なら、この試合の対戦相手の佐野選手は根性で粘り、打たれても打たれても諦めなかったからです。

10Rを迎えるとレフェリーは、佐野選手に試合を最後までさせたかったようですが、「佐野、ごめんな」と瞼から流血している佐野選手に囁き試合を止めたのでした。

当時の佐野選手は”最後まで試合をやりたかった”という気持ちはレフェリーにも通じていたようですが、佐野選手の状態を考えると致し方なかったようです。

試合後、佐野選手に「感動した」というコメントや電話が殺到したそうでが、残念ながら佐野選手は網膜剥離を患い引退をしたのでした。

佐野選手曰く、「あのとき僕ができることはやりきった。一生、忘れられません」とのこと。

デビュー3戦目で日本ライトフライ級1位にランクされた井上選手でした。

井上尚弥vs田口良一~10回判定で日本チャンプになった20歳の時のモンスター~

出典:井上尚弥Instagram

2013年8月25日にスカイアリーナ座間にて日本ライトフライ級王者の田口良一選手と対戦した井上選手。

田口良一選手は世界ランキング11位。

過去にスパーリングで何もできず負けてしまった田口選手は屈辱で頭が真っ白になり、悔しくて泣いてしまったことがありました。

その後の田口選手は「もっとやれたハズ」と反省して、スパーリング前の練習よりも濃い練習をし、日本ライトフライ級王者に君臨したのでした。

そして1年後、日本のチャンピオンになった田口選手の元に、初防衛者として井上選手の挑戦を受けることになったのでした。

それがこの試合。

井上選手とやりたいと言ったのは田口選手だったそうで、当時は相変わらず多くの選手が井上選手の実力に試合を避けていたなか、田口選手は「逃げたと思われたくなかった」と思っていたそうです。

田口選手が所属していたジムの会長は「井上選手に勝ったら世界戦をやらせてやる」と約束してくれたんだとか。

この試合で田口選手は、井上選手の強打を被弾しながらも気持ちで負けないプレイが会場にも伝わり、最終ラウンドまで試合が続きましたが、両者失速するどころか全力で打ち合う姿はまさしく「死闘繰り広げた」と言っても過言ではない試合となりました。

試合終了のゴングが鳴った後、井上選手と田口選手はフラフラになりながら抱き合い、その両者を会場は惜しみない拍手を送ったのでした。

判定結果は3-0で井上選手が勝利し、プロ入りから4戦目での日本タイトル奪取は、辰吉丈一郎選手以来23年ぶりの快挙となったのでした。

負けた田口選手ですが、所属しているジムの会長は田口選手の戦いぶりに感動し「絶対に世界戦をやらせてやるからな」と約束してくれ、そしてこの試合から約1年半後に世界王者になり、2団体の世界王座を統一する偉業を成し遂げたのでした。

田口選手曰く、「井上君より強い相手はいないと思ったら自信を持って試合に臨めたし、あの試合がなかったら世界チャンピオンにはなれなかったかもしれないとも思っています」とのこと。

井上尚弥vsへルソン・マンシオ(フィリピン)~5回2分51秒TKOで東洋太平洋のチャンプになったモンスター~

2013年12月6日にOPBF東洋太平洋ライトフライ級2位のヘルソン・マンシオ(フィリピン)と両国国技館にて対戦した井上選手。

マンシオ選手は18勝9KO3敗3分けの戦績。

そのマンシオ選手から2ラウンドにはダウンを奪い、5Rに連打でレフェリーストップを呼び込み勝利し、デビュー5戦目でOPBF王座を獲得。

Number1053号「井上尚弥 無限の拳。」

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井上尚弥の”世界のモンスター”時代2014-Now

世界タイトル挑戦のためOPBF王座を2014年2月28日に返上した井上選手。

井上尚弥のWBCライトフライ級の歩み~2014~

井上尚弥vsアドリアン・エルナンデス~日本人最速の世界チャンプになったモンスター~

出典:あーやん@meganeaayan

2014年4月6日に大田区総合体育館にてWBC世界ライトフライ級王者でメキシコの選手のアドリアン・エルナンデスに挑戦した井上選手でしたが、この試合の試合の3週間前にインフルエンザにかかったため、減量のための練習が1週間できず、2週間で10㎏の体重を落とす過酷な減量を強いられました。

計量前の3日間はほぼ絶飲絶食だったとか。

エルナンデス選手の戦績は、32戦29勝(18KO)2敗1分け。

この試合は、減量苦の影響が出てたことで3R終了時から井上選手の左足太ももの裏が痙攣し始め、5R終了時に「このままでは脚がもたない」と危惧したことで6Rで倒すことを決意したのでした。

6Rが始まると、被弾しながらも強打を打ち込んでいく井上選手で「狙っていた」という右の打ち下ろしのパンチがエルナンデスにヒットし、対戦相手をキャンバスに沈めました。

キャンバスに沈んだエルナンデスはゆっくりと立ち上がりましたが、その目に戦闘意志はなく、カウントを数えるレフェリーに背を向けたためレフェリーは試合終了を告げたのでした。

勝利を知った瞬間の井上選手は、キャンバスに倒れ込んで喜びを感じていました。

6回2分54秒TKO勝ちを収め、当時日本人男子最速となるプロ入り6戦目での世界王座獲得に成功した井上選手でした♪

井上選手曰く、「あそこまで打ち合ったのは初めて。強い相手で苦しかったけど、本当に楽しかった。ボクシングは素晴らしいですね」とのこと。

も~も

計量直後の撮影時には、「食べる?」って感じで井上選手に食べかけのバナナを渡そうとした選手がエルナンデスて記憶しているわ。

この試合の翌日、減量苦で体に影響がある事を考慮して、防衛戦をしないまま王座を返上して階級を上げる事も検討したそうですが、結果、王者としての責任として防衛戦を行い、初防衛が成功してから階級を上げることにした井上陣営でした。

井上尚弥vsサマートレック・ゴーキャットジム(タイ)~チャンプモンスターの初防衛~

国立代々木第二体育館にて元PABAミニマム級王者でWBC世界ライトフライ級13位のサマートレック・ゴーキャットジムと2014年9月5日に対戦した井上選手。

ゴーキャットジム選手の戦績は、22戦17勝5敗。

この試合での井上選手は、11回1分8秒TKO勝ちを収め初防衛に成功し、試合後には王座を返上し、2階級を上げることを表明したのでした。

井上尚弥のスーパーフライ級(Super Fly Weight/limit 52.1kg)時代~階級制覇2014 – 2017~

スーパーフライ級へ転向するためにWBC世界ライトフライ級王座の返上を2014年11月6日に発表した井上選手。

井上尚弥vsオマール・ナルバエス(アルゼンチン)~一気に2階級アップ~

出典:井上尚弥Instagram

東京体育館でWBO世界スーパーフライ級王者オマール・ナルバエス選手に2014年12月30日挑戦した井上選手。

レジェンド級のチャンピオンことナルバエス選手は、43勝1敗2分の戦績。

当時のオマール・ナルバエス選手は、

・フライ級世界王座を16連続防衛

・WBO世界スーパーフライ級王座を11連続防衛中

・プロ・アマ通じて20年以上150戦超のキャリアで一度もダウンを喫した事はない

・スーパーフライ級以下では14年間無敗の王者

・プロでの敗戦は1階級上のバンタム級でノニト・ドネアに判定負けしたのみ

以上のレジェンド級のチャンピオンの超スゴイボクサーだったことから、井上選手は「観客からのブーイング覚悟でKOは捨てて判定でもいいから勝ちにいかないと勝負にならない相手」とコメントするほど。

ナルバエス選手に黒星をつけたドネア選手が、試合前に直接指導をし対策を伝授したそうな。

試合が始まると、積極的に攻撃に出て初回からナルバエス選手に2度のダウンを奪う展開となり、この試合は井上選手の攻勢がずっと続いたのでした。

攻勢が続いた2Rで、井上選手の右アッパーからの左ボディフックを受けた後、少し間おいてキャンバスに座り込んだナルバエス選手。

4度目のダウンをしたナルバエス選手でしたが、立ち上がることが出来なく、2回3分1秒KO勝ちを収めた井上選手でした。

当時は世界最速となる8戦目での飛び級での2階級制覇を達成したのですが、井上選手は右拳を痛めてしまったようです。

2015年3月にこの試合で痛めた右拳が脱臼していたことが判明したため手術を行った井上選手で、この手術より1年間試合から遠ざかることとなりました。

も~も

試合直後のリング上ではナルバエス陣営が井上選手のグローブに「鉛を仕込んでいるのではないか?」と疑い、グローブをその場で外して相手に確認させる場面があったほどナルバエス陣営にしたら「あり得ない展開」だったようです。

井上尚弥vsワルリト・パレナス(フィリピン)~モンスターの1年ぶりの試合は防衛戦~

出典:井上尚弥Instagram

有明コロシアムでWBO世界スーパーフライ級1位のワルリト・パレナス選手と2015年12月29日に対戦。

パレナス選手はかつて日本の勝又ボクシングジムに所属しウォーズ・カツマタのリングネームで活動していた選手で、戦績は31戦24勝6敗1分け。

元世界王者をスパーリングでダウンさせたこともあるもちゃくちゃ強い選手でしたが、2度のダウンを奪って1分20秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した井上選手たったのでした。

も~も

パレナス選手は「2Rにダウンしたパンチはスピードが速すぎて見えなかった」と試合後に語っており、井上選手については「想像していたよりも強かった」と。

井上尚弥vsデビッド・カルモナ(メキシコ)~モンスターの2度の防衛戦は12回判定勝ち~

有明コロシアムでWBO世界スーパーフライ級1位の指名挑戦者デビッド・カルモナと2016年5月8日に対戦した井上選手。

カルモナ選手の戦績は、27戦20勝2敗5分け。

初回から圧倒していた井上選手でしたが、カルモナ選手のこめかみにヒットさせた際に古傷である右拳を負傷し、左拳で戦い続け、8回頃に今度は左拳までも負傷してしまうというアクシデントに。

両拳の痛みに耐えながら猛攻を仕掛けていましたが、最後は判定になり、12回3-0勝ちを収め2度目の防衛に成功した井上選手でした。

も~も

試合終了後には、負けているはずのカルモナ選手が両腕を上げたのでした。

完敗したカルモナ選手でしたが「自分がもっともイノウエを苦しめた」とご自身を誇らしく思い、それが自信に繋がったんだって。

井上尚弥vsペッチバーンボーン・ゴーキャットジム(タイ)~モンスターの3度目の防衛戦は10回KO~

スカイアリーナ座間でWBO世界スーパーフライ級1位でABCOコンチネンタル王者のペッバーンボーン・ゴーキャットジム選手と2016年9月4日に対戦した井上選手。

この試合に至った経緯は、

再戦権を持つWBO世界スーパーフライ級1位の前王者オマール・ナルバエス選手との再戦が予定されていたが彼ががバンタム級転向を理由に対戦を辞退

元IBF世界スーパーフライ級王者でWBO世界スーパーフライ級2位のゾラニ・テテ選手にオファーをしたものの、彼もバンタム級転向を理由に対戦を拒否

その経緯があったことでWBO世界スーパーフライ級3位のペッバーンボーン選手との対戦になったのでした。

ペッバーンボーン選手の戦績は、46戦38勝(15KO)7敗1分け。

試合前に井上選手は、試合の2週間前から腰を痛めており、身体をひねれない状態であることを隠していたのでした。

そんな状態で試合に臨んだ井上選手は、後半になると腰痛が出始め、更に痛めた右拳に痛みが出始めたのでした。

10Rに二重苦に耐えながらもノーガードで打ち続けペッチバンボーン選手をKO。

も~も

試合が終わり、リング上で勝利者コールを受ける井上選手側に、真吾トレーナーこと父親の姿はなく、記者会見にも現れず、数日家にも帰らなかったとのこと。真吾トレーナーにしたら、腰痛を隠していたことに対して納得できなかったようです。

ですが、後にお二人は互いの本心を話し合い再び二人三脚で歩むことを決めたそうですよ。

この試合以降、バンテージ職人のニック永松氏が井上選手のバンテージを巻くことになりました。

井上尚弥vs河野公平(こうのこうへい)~モンスターの4度目の防衛戦は6回TKO~

有明コロシアムで元WBA世界スーパーフライ級王者でWBO世界スーパーフライ級10位の河野公平選手と2016年12月30日に対戦し、6回1分1秒TKO勝ちを収め、4度目の防衛に成功した井上選手でした。

当時の井上選手は強すぎて、対戦相手が決まらなかった状態で、河野選手にオファーしたのでした。

その時の河野選手には複数のオファーがあり、選びたい放題だったようで、河野選手の妻には「井上選手だけは止めて」と言われ、ジムの会長も「井上選手は止めた方がいい」と言われていたそうですが、河野選手は、無敵の井上選手に挑戦したいという思いが強く、井上選手からのオファーを承諾したのでした。

河野選手の戦績は、42戦32勝(12KO)9敗1分け。

この試合で、井上選手の強烈なパンチを浴び続ける河野選手でしたが、5Rで井上選手の顔面に河野パンチがヒットするも6Rに井上モンスターの強烈な一撃をくらいキャンバスに倒れた河野選手。

倒れてしまった河野選手には、井上モンスターと闘うエネルギーは残っていなかったんだとか。

そんな状態の河野選手を無視してレフェリーは試合を続行させましたが、エネルギーがなくなっていた河野選手はズルズルと倒れたことでレフェリーはすぐにTKOを宣告。

井上選手の4度目の防衛に成功瞬間が訪れたのでした。

も~も

河野選手は「井上選手の左は普通の人の右ストレート並に強くて、右はその3倍の威力だった」と語っていました。

井上尚弥vsリカルド・ロドリゲス(アメリカ)~モンスターの5度目の防衛戦は3回1分08秒でTKO~

出典:ボクシング・マガジン@boxing_magazine

有明コロシアムでWBO世界スーパーフライ級2位でWBOラテンアメリカ王者のリカルド・ロドリゲス選手と2017年5月21日対戦した井上選手でした。

ロドリゲス選手の戦績は19戦16勝3敗。

この試合は、井上選手の3Rでラッシュでの左のダブルがカウンターで入りロドリゲス選手はダウン。

そして、その後にフックのカウンターをくらい再ダウンしたロドリゲス選手。

ロドリゲス選手は試合終了後しばらく立ち上がれないほどのダメージを受けたようです。

井上尚弥vsアントニオ・二エベス(アメリカ)~モンスターの6度目となる防衛戦は6回TKO~

出典:井上尚弥Instagram

カリフォルニア州カーソンのスタブハブ・センター・テニスコートで行われた「SUPER FLY」にてローマン・ゴンザレスvsシーサケット・ソー・ルンヴィサイ第二戦の前座でWBO世界スーパーフライ級7位で元NABO北米バンタム級王者のアントニオ・ニエベス選手と2017年9月9日に対戦した井上選手。

ニエベス選手の戦績は20戦17勝1敗2分け。

この試合は、ニエベス選手が6回終了時に試合を棄権したため、6度目の防衛に成功しアメリカデビュー戦を飾ったモンスター井上でした。

この試合で井上選手は182,500ドルのファイトマネーを稼いだそうですよ。

因みに、ニエベス選手は35,000ドルのファイトマネーでした。

も~も

ニエベス選手は銀行マンとしても働いているランキング7位のプロボクサーでした。

試合前に「彼はまだ本物であるかテストされていない。試合はほとんど日本で行われていた。過大評価されているか俺がテストしてやる」と語っていたのですが、試合後には「彼はとどまることがなかった。情け容赦なかった」と語っていたのでした。

井上尚弥vsヨアン・ボワイヨ(フランス)~モンスターの7度目になる防衛戦は3回TKO~

横浜文化体育館でWBO世界スーパーフライ級6位で元フランスバンタム級王者のヨアン・ボワイヨ選手と2017年12月30日に対戦した井上選手でした。

モンスターであるが故に、井上選手には対戦相手になってくれるボクサーがいなかったのですが、ボワイヨ選手はオファーを受けいれてくれたそうです。

ボワイヨ選手の戦績は46戦41勝4敗1無効試合で、当時は30連勝中と勢いがあったのでした。

も~も

井上選手は勝利者インタビューで「なかなか相手が決まらなかった中で試合を承諾してくれた相手に感謝します。」と語り、1つ上のバンタム級に階級を上げることを示唆したのでした。

井上尚弥のバンタム級(Bantam Weight/limit 53.5kg)時代~世界初のバンタム級4団体統一を成功~2018 – 2022

井上選手が保持していたWBO世界スーパーフライ級王座を2018年3月6日に返上。

真吾トレーナーこと父親は、井上選手の強烈なパンチを長年受けてきたことでこの頃には体にダメージが・・・。

手のしびれが取れなくなってしまったためミットを持たなくなったそうですよ。

井上尚弥vsジェイミー・マクドネル(イギリス)~スーパーフライ級から1階級上げたバンタム級の初試合は1回TKO~

大田区総合体育館でWBA世界バンタム級レギュラー王者ジェイミー・マクドネル選手と2018年5月25日に対戦した井上選手。

当時のマクドネル選手は、33戦29勝2敗1分け1無効試合の戦績で、IBFとWBAのバンタム級王者になっていて、10年間無敗の選手でしたが、開始直後にマクドネル選手の左ボディが当たるとすぐさま攻勢を仕掛けた井上選手。

そして、右フックからの左ボディでマクドネル選手のダウンを奪い、その後もラッシュを仕掛け、初回1分52秒TKO勝ちを収め3階級制覇を達成した25歳の時の井上選手でした。

も~も

マクドネル選手は試合前、「イノウエのファーストネームすらどう発音するかも知らない、俺の方がタフで強い。イージーな相手だ」と語っていたのでした。

そして、試合前日の計量では1時間以上の遅刻をしても詫びることをしなかった無礼な選手でした。

そんなマクドネル選手に対して井上選手は、「ふざけているなと思います。謝る態度1つなくて王者陣営の態度にイラっとしました。明日はそれをぶつけようと思います。1時間オーバーはないですよ」と宣言し、熱い思いで迎えた試合は1分52秒で決着を付けた世界のモンスターでした♪

井上尚弥が参戦したバンタム級トーナメントWBSS(ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ)

出典:井上尚弥Instagram

WBSSとは1つの階級の強い選手だけを集めて行われるトーナメント戦で、第一回大会はクルーザー級で行われたとのこと。

第二回大会はバンタム級で行われることになり、7月にモスクワで組み合わせ抽選会が行われ、4人の世界王者を含む計8人のボクサーが集結したのでした。

第二回大会の8人のボクサーの紹介は以下。

・井上 尚弥 選手
・ライアン バーネット 選手
・エマヌエル ロドリゲス 選手
・ミーシャ アロイヤン 選手
・ジェイソン モロニー 選手
・ゾラニ テテ 選手
・ファン カルロス パヤノ 選手
・ノニト ドネア 選手

井上尚弥vsファン・カルロス・パヤノ(ドミニカ共和国)~1回戦はWBA世界バンタム級タイトルマッチは70秒でKO~

出典:井上尚弥Instagram

横浜アリーナでWBA世界バンタム級4位で元WBA世界バンタム級スーパー王者ファン・カルロス・パヤノ選手と2018年10月7日にWBSS一回戦を行った井上選手。

カルロス・パヤノ選手の戦績は21戦20勝1敗。

この試合はスピード決着で、井上選手が1分10秒の間に放したパンチは3発で、その3発目の高速のワンツーがクリーンヒットし、パヤノ選手は後頭部から倒れ、1回1分10秒KO勝ちを収め初防衛に成功しWBSSの準決勝に進出した井上選手でした。

実際は70秒でのKO。

この試合でパヤノ選手は、8年のプロキャリアで初めてのKO負けを体験したのでした。

かたや井上選手は、2018年度リングマガジン ノックアウト・オブ・ザ・イヤーを受賞♪

も~も

テレビ側は「試合が早く終わりすぎて、テレビ局としては困る」と井上親子に冗談交じりでツッコッミを入れたんだとか。

ぱんちゃん

この後、井上選手はスランプに陥ります。

バンタム級に上がってからの2試合をいずれも1RKOで勝利したことで、「次の試合も1RKO」という周囲からのプレッシャーを受けていたからです。

練習中に心と体が一致しなくなり、井上選手の不調を見て所属事務所の会長がデビュー7年目で初めてのアドバイスし、井上選手はその後1ヶ月間ボクシングから離れ精神的にリフレッシュできたのでした。

 

井上尚弥vsエマニュエル・ロドリゲス(プエルトリコ)~2回戦はIBF世界タイトルマッチは2回TKO~

出典:TAKT@38ZAc0eBxa47EAV

当時のロドリゲス選手は、アマチュア171勝11敗、プロでは19戦全勝12KOとパーフェクトレコードの保持者でダウン経験もない選手で、IBF世界バンタム級の現役王者だったのでした。

この準決勝の前には、ロドリゲス選手の練習風景を動画撮影していた父親こと真吾トレーナーに、ロドリゲス陣営が不満を露わにし、真吾トレーナーを突き飛ばし、その後もずっと睨んでいたのでした。

井上選手は「腹立たしい。絶対にぶっ倒してやろう」と思ったそうです。

この騒動をWBSSがツイッターに流したためロドリゲス選手は、大ブーイングで迎えら、井上選手はまるでホームのように迎えられ試合が♪

短期KOで試合を決め、WBSS決勝の切符・IBF世界バンタム級王座獲得・WBA世界バンタム級V2を手に入れた井上選手でした。

井上尚弥vsノニト・ドネア(フィリピン)~WBSS決勝戦は12回判定の歴史的な試合~

この試合は、多くの海外メディアが年間最高試合に選出した歴史的な試合といわれ、”ドラマ・イン・サイタマ”と称されているんだとか。

ドネア選手が持つWBAスーパーのベルトと井上選手が持つIBFのベルトをかけた二団体統一戦がさいたまスーパーアリーナで2万3000人の観客を集めて行われました。

ドネア選手の戦績は45戦40勝5敗。

26歳の井上選手は、WBA世界バンタム級スーパー王者ドネア選手と2019年11月7日に対戦し、2Rにドネア選手の左フックがヒットしたため井上選手の右目上部がカットされ、8Rにはドネア選手の攻勢で鼻から出血した井上選手。

プロアマ通じて初の出血になった井上選手でした。

そして、9Rにはドネア選手の右クロスを被弾し、慣れないクリンチでその場のピンチを抜けましたが、クリンチを使うほどのトラブルに陥ったのはボクシング人生で初めてだった井上選手。

11R1分過ぎ、井上選手の渾身の左ボディーがドネア選手にクリーンヒットし、この試合の最初のダウンを奪ったのでした。

最終回も打ち合いが続き、試合終了のゴングが鳴った後の二人は戦友のように抱き合いました。

この素晴らしい試合に観客はスタンディングオベーションで両雄を称えたのでした。

優勝はできなかったドネア選手ですが、試合前に「優勝トロフィーを持ち帰る」と2人の息子に約束をしていたため、井上選手からトロフィーを1日だけ借りたんだとか。

も~も

リスペクトしているドネア選手との死闘の後「楽しかったー!」と言っていた井上選手。

それを聞いた大橋会長は∑(⊙∀⊙)ファッ

井上尚弥vsジェイソン・モロニー(オーストラリア)は7回KO~無観客試合でファイトマネーは1億円~

出典:Boxing Fan 🇯🇵@boxing_fan_jp

井上選手のラスベガスデビュー戦となりました。

米国ラスベガスでWBA世界バンタム級3位・WBC4位・IBF4位・BO1位のジェイソン・モロニー選手と2020年10月31日に対戦。

モロニー選手の戦績は、22戦21勝1敗、ランキング1位の選手でKO負けはナシなモロニー選手。

コロナ禍による厳戒態勢でこの試合が行われたのでした。

この試合の2週間前に入国した井上陣営で、ホテルとジムの往復のみの自主隔離を行い、食事は日本から持ち込んだ食材で自炊し、試合2日前からはバブルと呼ばれる施設内で完全隔離下に置かれたようです。

試合前はかなりストレスになる環境なのに、それプラスこの慣れない環境・・・大変だったと思われます。

3~4R中に6年前のエルナンデス戦で起きた悪夢が蘇るように、井上選手の脚がつり始めたようです。

7R中の2分が過ぎた頃、脚が復活してきたのかステップを踏み始め、調子が出て来たように見えた井上選手でした。

そして放した右クロスがモロニーにヒットした瞬間、井上選手はKO勝利を収めたのでした。

この試合後は、モロニー選手は井上選手をリスペクトしています。

※Moloney選手の名前を一部では「マロニー」と記載しているようですが、ここではモロニーと記載しています。

井上尚弥vsマイケル・ダスマリナス(フィリピン)戦は3回TKO~『こんなものか』戦~

出典:井上尚弥Instagram

マイケル・ダスマリナス選手の戦績は、33戦30勝2敗1分けのIBF1位の選手ですが、井上選手より格下の選手で、2021年06月19日にラスベガスで行われた試合結果は3回TKO。

1R終了時点で『こんなものか』と思った井上選手だったんだとか。

井上尚弥の新階級のためのフィジカルトレーニング

以下の2021年12月14日に行われたアラン・ディパエン戦の1ヶ月前から、元3階級制覇王者の八重樫東氏の指導を受けることになり、スーパーバンタム級で戦うための準備を始めた井上選手でした。

通称“八重トレ”は試合ギリギリまでフィジカルをするそうで、井上選手がその成果を感じたのは、2022年6月7日行われたドネア戦だったとか。

井上尚弥vsアラン・ディパエン(タイ)戦は8回TKO~自信がなくなりかけた試合~

ディパエン選手の戦績は、14戦12勝2敗。

ディパエン選手は元ムエタイ選手だったそうですが、井上選手がどれだけ打ち込んでも倒れることなく、試合途中に井上選手は「もしかして俺パンチないのかな」と、自信がなくなりかけたんだとか。

この試合の8R中にディパエン選手がダウンした後、立ち上がったもののすぐにレフェリーストップとなり試合終了。

「タイ人のため」に倒れないと心していたタフなディパエン選手でした。

井上尚弥Vsノニト・ドネア(フィリピン)戦は2回TKO~初戦を上回る衝撃的な試合~

さいたまスーパーアリーナで2022年6月7日行われた、ドネア選手が持つWBCのベルトと井上選手がもつWBA・IBFのベルトをかけた三団体統一戦でした。

井上選手と再戦を望んでいたドネア選手は、WBC無敗の王者ウバーリ選手4RKOで下し王座返り咲きを果たし、WBC暫定王者の25歳ガバーリョ選手と対戦し、4RKO勝ちを収め団体内王座統一及び初防衛に成功させベルトを持って井上選手の前に現われたのでした。

誰もが苦戦すると思っていたこの試合が始まると、1R終了直前に井上選手の右ストレートが炸裂し、一瞬にしてドネア選手は尻もちをつくことになったのでした。

この時は観客やドネア選手自身は一瞬何が起こったのか判らないほど「一瞬」で、ドネア選手が我に返るとレフェリーがカウントしていたんだとか。

「????」になっているドネア選手に、ドネア夫人がキャンバスを叩き「ファイティングポーズ!」と必死に伝えたのでした。

状態が飲み込めたドネア選手がファイティングポーズを取ったことで試合続行とともに1R終了。

2Rが始まるとドネア選手に次々と強打を打ち込んでいく井上選手でしたが、「もう殴りたくないから止めてくれ!」と思っていて、第一戦で交流があり、リスペクトしているレジェンドでもあったドネア選手との勝負はその時にはすでに勝負はついていたと感じていたとのこと。

被弾しているドネア選手でしたが、最後まで諦めないファイティングスピリッツをあふれさせながらでしたが、結局キャンバスに崩れ落ちてしまいました。

その瞬間、TKOを宣告したレフェリー。

4分半で決着がついたこの試合に拍手がしばらくなり止まらなかったそうな。

ドネア選手は井上選手をハグし「アリガトウ、コングラッチュレーション」と勝利を称え、四方の観客に深々と頭を下げながらの退場に観客からは惜しみない拍手が降り注いだのでした。

も~も

日本タイトルマッチで死闘を繰り広げた田口選手は、

「自分が戦った時の当時20歳の井上くんと今の井上くんでは別人。29歳が彼の全盛期かどうか分かりませんが、デビュー以来、今が最強でしょう」と成長しているモンスターぷりに驚いていたんだとか∑(⊙∀⊙)ファッ

井上尚弥vsポール・バトラー(イギリス)戦は11回TKO~バンタム級4団体統一~

出典:井上尚弥Instagram

対戦相手のバトラー選手は34勝15KO2敗のレコードを誇るWBO王者ですが、代役のジョナス・スルタンとの暫定王座決定戦での勝利から繰り上げで獲得したタイトルだったそうです。

バトラーの戦績は、36戦34勝2敗。

2022年12月13日に有明アリーナで開催されたこの試合は、バトラー選手の終始ガードを固めながらサークリングで距離を取る戦法で、見た目消極的な戦い方だったからか「ハラハラドキドキ感」がなく、ときめかない時間が流れることに。

これに対して井上選手は、後ろに手を組んでのノーガードなどでバトラー選手を挑発しますが、消極的な戦い方に変化はなく、またしてもときめかない時間が過ぎ去っていたのでした。

そして、11Rのゴングが鳴ると、井上選手は猛攻撃をしかけたことに。

連打のラッシュ浴びたバトラー選手は30分間耐え続けましたとうとうダウンしたのでした。

闘志心が折れたバトラー選手なのか、カウントするレフェリーを横に首を振りったことで、井上選手のKO勝利となったのでした。

世界初のバンタム級4団体統一に成功した井上選手でした。

も~も

バトラーの消極的な戦法に批判があったことで、バトラー陣営は「イノウエのショットはまるで銃声音のようだった。あなた達も『それを受けてみろ』と言いたい」と返していたようです。

11R耐えたバトラー選手は、試合が終わるとリング上で、井上選手と一緒に写真を撮ってもらっていたそうですよ

あんび

この試合後の数ヶ月後には井上選手をディスっているって言うじゃない!激おこmeよ💢

その動画は「アツキの格闘技CH【格闘技解説】」~『井上尚弥は反則行為をしている』井上尚弥に敗れたポール・バトラーが発言した暴論がエグすぎた…【格闘技解説】~をご覧くださいませ。

2023年1月にバンタム級全王座を返上し、4階級目となるスーパーバンタム級転向を発表した井上選手でした。

井上尚弥のスーパーバンタム級(Super Bantam Weight/55.3kg)時代~2023 – now~

井上尚弥vsスティーブン・フルトン(米国)戦は8回TKO~WBC、WBO世界スーパーバンタム級王座獲得~

出典:
井上浩樹 Koki Inoue ヰ乃上ころまる🥊🗿✒️@krmr_511

WBO・WBCのスーパー便ダム級の2階級王者で、21戦21勝の無敗の戦績のフルトン選手。

2023年7月25日に有明アリーナで行われました。

中盤までは、お互いにジャブを打っては、それを防御するという大きな展開がないままの試合が続きましたが、8Rを迎えると井上選手がボディジャブから右ストレートを打ちフルトン選手をぐらつけ、更に左フックを追撃しフルトン選手をダウンさせたのでした。

フルトン選手がなんとか立ち上がると、今度はコーナーに追い詰めレフェリーが試合を止めるタイミングとフルトン選手がリングに倒れ込むタイミングがほとんど同じで試合終了。

井上選手の強さ洗礼を受ける前は、「俺にとって井上は小さい、圧倒して勝てる」と答えていたフルトン選手でしたが、負けたことで2階級王者になったのは井上選手でした。

も~も

当初は5月7日に横浜アリーナで開催予定だったのですが、井上選手の拳の負傷と肩を痛めていたことで延期され、場所も変更されたとのこと。

以前闘ったモロニー選手の予想が的中した結果となりました。

 

井上尚弥vsマーロン・タパレス(フィリピン)10回1分2秒KO~2階級での四団体統一を達成~

2023年12月26日に有明アリーナで行われた試合。

タパレス選手は10回まで井上選手に強打されても平然としていましたが、右からのパンチを綺麗に決められキャンバスに沈んでしまいました。

タパレス選手が今回の敗因を「井上選手はスピードがあって追いつけなかった。タイミングを合わせることができなかった」と分析。

しかし、タパレス選手も強かった!拍手!

マニー・パッキャオから「すべてを出し切って世界最強の男に負けたんだ。フィリピンのプライドを見せてくれた。誇りに思う」とのメッセージが届いたとのこと。

井上尚弥のファイトマネーと手元に残るお金

出典:井上尚弥Instagram

井上尚弥のファイトマネーの金額と手元に残るお金

おおよそのファイトマネーを公開している井上選手ですが、それは「金額を出していけば、ボクシングをやっている子供たちに夢を与えられる」と思っているからなんだとか。

■2017年9月9日  VSニエベス/2,100万円

■2017年12月30日 VSボワイヨ/3,000万円

■2018年5月25日 VSマクドネル戦/4,000万円

■2018年10月7日 VSパヤノ/6,500万円

■2019年5月18日  VSロドリゲス/8,800万円

■2019年11月7日 VSドネア/1億1000万円

■2020年10月31日 VSモロニ―/1億1000万円

■2021年6月19日 VSダスマリナス/1億1000万円

■2021年12月14日 VSディパエン/1億1000万円

■2022年6月6月7日 VSドネア/ 2億3000万円

■2022年12月12月13日 VSバトラー/3億円

■2023年7月7月25日 VSフルトン/6億4000万円

■2023年12月26日 VS マーロン・タパレス/10億円

 

回を重ねるごとに金額が上がっている模様。

高額のファイトマネーですが、源泉税が課され、1回のファイトマネーにつき50,000円を控除した残額の10%が税金。

更にそこからジムへマネージメント料の約30%と諸経費を支払うそうです。

例えば5億円で計算すると、500000000ー50000=499,950,000

499,950,000ー49,995,000=494,950,500

これから30%の148,485,150円を事務所に支払うと、残りは346,465,350。

そして諸経費代を346,465,350円から引くと・・・手元に残るお金はこんな金額になるかと。

井上尚弥のファイトマネーの振込先

井上選手のファイトマネーの金額は、試合が決定すると同時だそうです。

ファイトマネーが決定すると、大橋会長から父親こと真吾トレーナーに通じて知らされた後、井上選手が真吾トレーナーに金額を聞くって感じだそうです。
井上選手も真吾トレーナーもファイトマネーに対しての不満はいっさいないとか。

そのファイトマネーは「プロボクサー井上尚弥の価値」と思っており、その時その時の「実力に相応の金額」と思っているからだそうです。

井上選手は法人を設立していることから、ファイトマネーはジムからその会社に振り込まれるそうです。

一試合の総収入を10億円超えることを目標にしていた井上選手でしたが2023年12月にその目標を達成しましたね♪

井上尚弥の練習と減量

出典:井上尚弥Instagram

井上尚弥の日常と合宿の練習

井上選手は、日曜日以外は毎日練習をしているそうです。

午前中は、自宅で2~3時間のロードワークや筋トレをして、夕方からジムで2~3時間ミット打ちなど練習メニューをこなしているとのこと。

これ以上すると本気でしているので集中力が持たないそうです。

普段でも本気で練習をしている井上選手ですが、その本気のエンジンがフル活動するのは試合の2ヶ月くらい前なんだとか。

井上尚弥の減量

井上選手が減量を始めるのは、試合の1ヶ月前からだとか。

バンタム級の時の様子を紹介しますと、その時は8㎏の減量していたとのこと。

1回の練習の汗で2㎏減るそうですが、これはだた水分が抜けただけの「-㎏」だそうです。

食事を減らして脂肪を落とし、脂肪を落としきった後は、水分をグッと抑え試合の体を作っているとのことですが、計量直前は水分を摂取しないからか、ガムを噛んでも唾液が出ないくらい口の中がカラッカラ状態になるんだとか。

バンダム級は、井上選手にとってまだ「ラク」だそうで、ライトフライ級の時は12㎏減量していたことから、口も聞けないほどキツかったとか。

試合前日の計量が終わった後は、ドリンクやスープなどの水分で一気に5㎏ぐらい増やして体力を戻して試合に挑んでいるそうです。

減量中の井上選手がすることは、買い物に行き、試合が終わったら飲みたいと思った商品を大量に購入するそうですが、試合が終わるとその購入した商品には一切手を付けないそうです。

試合後はダウンタウンの松本人志さんと浜田雅功さんに焼く肉をごちそうしてもらっているんだとか。

 

井上選手の歩みはまだまだ続きますので、また次回にお会い出来ればと思います♡

長々記事になりましたが、お付き合いくださりありがとうございました。

この記事の参考元が消えてなくなってしまいましたが、以下はその後に追記した参考元を記載しました。

この記事の参考元:Yahoo!知恵袋ガッシ右松さん・日本経済新聞2022年11月4日・ 東洋経済オンライン2020/01/05・東洋経済オンライン2020/01/12・Sponichi Annex 2023年7月15日・Number Web 2023/01/15・Number Web2022/06/06・中日スポーツ・東京中日スポーツ2022年6月8日・カナロコ by 神奈川新聞2014年4月9日・Presented by ワークポート・日刊スポーツ2023年12月26日・ほか



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こんにちは! あんびと申します。 犬が好きすぎて数頭のわんこを保護し、 ペット看護師の資格とペットセラピストの資格も取得して、 犬のために生きているような日々を過ごしているおばちゃんです。 こんな私ですが、よろしくお願いします。