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高橋藍小学時代は専用練習場で練習
高橋藍はハーフではなくクォーター
先にお伝えしましたが、高橋い選手はハーフではなくて、クォーターだそうです。
イケメンは母親に似たようで、母親はアメリカ人と日本人のハーフなんだとか。
母親の血統にはイギリスとドイツの血も混ざっているとのこと。
詳しくは、当サイトの「高橋選手の実家の家族」をご覧くださいませ。
高橋藍はポケモンカードに釣られてバレーを始めた小学時代
マシュー・アンダーソンの画像を英語でMatthew John Andersonと検索するよりも韓国語で매슈 존 앤더슨と検索した方が大量に出てきた^^さすが現代のエース!! pic.twitter.com/fB2q34pK
— 祝迫ゆみこ (@iwaizako10) November 29, 2011
高橋選手の小1当たりから、兄がバレーボールに興味を持ち、両親にバレーボールをしたいことを言っていたそうです。
始めの頃は、兄のそんな欲望をスルーをしていたご両親でしたが、兄は1年間くらい言い続けたことで「本気」だと分かり、バレーボールを始めることを許可したそうな。
高橋選手は、兄の練習や試合について行くことが多く、あるの日の練習し合いの時に兄が所属しているチームのメンバーが一人足りない状況になったことから、片岡聡監督が「お前、試合に出ろ」と高橋選手に言ったことがきっかけでバレーボールに触れたんだとか。
その後、高橋選手は高い身体能力を持っていると感じた片岡監督は、高橋選手がチームに所属することを勧めてみるも、当時の高橋選手はお友達と遊ぶことが楽しく、「うん」と首を縦に振ってくれなかったようです。
諦めなかった片岡監督は、当時の高橋選手が夢中になっているポケモンカードを集め、高橋選手の前でピラピラと1枚ずつ落としていったそうな。
床に落ちるポケモンカードを拾いながら「うわーうわー♪」と楽しい声を挙げながら監督の後をついていったキラキラお目の高橋選手。
そして、監督が「バレーやるんやったら、このカード全部あげるぞ」の言葉に対して、高橋選手は即答で「ほんなら全部くれ!バレーやる!」と答え、交渉は成立したのでした。
ポケモンカードに釣られて「京都ヤングバレーボールクラブ」に所属した高橋選手でした。
プレーをしてみると楽しく、親の勧めもあってバレーボールを始められたんだとか。
それは高橋選手の小2の頃のことで、この頃の高橋選手は、アメリカ代表のエースだったマシュー・アンダーソン選手を憧れていたそうですよ。
高橋藍の小学時代はリベロ
高橋選手が所属していたチームは、高橋選手の兄が得点源でした。
その当時の高橋選手は小柄だったため、動き回ってボールを拾ったり、レシーブ力を養ったりしていたんだとか。
セッターの特訓を受けたこともあったそうですが、監督にリベロとどっちがいいかと聞かれた時に、高橋選手は「リベロいい」と答えたそうです。
チームの練習のほかでは、学校から帰宅してすぐ兄に連れられ自宅近くの公園に行って鉄棒をネット代わりに、自分たちで線を引いたコートを”専用練習場”にして練習したそうな。
それは日が暮れるまで”ひたすら”だったそうです。
身長が伸びると、鉄棒から公園の木と木の間にゴムで張ったネットを練習場所にして、更にひたすらに対人練習をしていたそうな。
小5の時に、兄が卒業したことで「バレーをやめたい」と母に告げたのでした
高橋藍が憧れた選手は石川祐希
高橋選手の小6の時に、石川選手が春高で優勝しエースとして活躍する姿を見たことがきっかけで憧れたようです。
「自分が高校生になったこんなプレイがしたい」と思ったとか。
高橋藍の小学校の卒業文集
2013年の高橋選手が小6の時に東京五輪の開催が決定。
「東京五輪出場」の夢は一時期、リベロとしてかなえようと思っていた高橋選手でしたが、東京五輪が開催されるはずだった2020年の夏は18歳の高橋選手だったため、その当時は「ちょっと厳しいかな」という思いもあったとか。
卒業文集には「ニッポンチャチャチャ。ニッポンチャチャチャ。目を開けると、東京オリンピック、バレーボールの会場にいる」と綴り、目標に変更はなく、ひたすら努力を重ねた高橋選手。
それから8年後には有言実行にした”まさに男前な高橋選手”でした!!
小学2年:バレーを始め、レシバーとして練習をしていた。
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小学4年:スパイカーの練習を開始
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小5年:兄が中学に進学したことで、自分が何のためにバレーボールをしているのか分らなくなった高橋選手でした。
不安定になった高橋選手を、チームの監督や両親が支えてくれ、「スポーツは絶対にやりなさい」と強く背中を押してくれた両親だったそうな。
このことがバレーボール人生のターニングポイントになったようです。
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小6年:東京オリンピックが決定したことで、目標を東京オリンピック出場に定め、湧き上がる熱い思いを卒業文集に綴った高橋選手でした。
高橋藍の中学時代はリベロを経験
自宅から徒歩で10分以内にある京都市立蜂ヶ岡中学校に進学をした高橋選手。
中一で身長は約158㎝で、中学時代は年に1~2㎝ほどしか身長が伸びなく、かなり心配していた高橋選手だったそうな。
身長を伸ばす為、たくさん食べて、毎日21時には就寝していたそうですよ。
中一の時のポジションはリベロ。
2歳年上のエースの兄が中学を卒業すると、スパイカーに。
身長が低かった高橋選手は、高さがない分小技を身につけ、更にレシーブに磨きをかけバレーボール選手としての土台作りをしたようです。
中学時代の高橋選手は、3年連続で全日本中学校選手権に出場しました。
「中1の2014年は2位」で、「中2の2015年には優勝」を経験し、「中3の2016年は2位」という成績でした。
先にお伝えしましたが、中一はリベロで、中二と中三はスパイカーとして出場していた高橋選手であったことを念のためここでもお伝えします。
高橋 藍 ファースト写真集 RAN
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