ここでは、バルセロナ五輪代表で”日本の壁”と呼ばれた208cmのMBだった大竹秀之さんの息子の大竹壱青(おおたけ いっせい)選手のバレーの歩みやご家族について紹介しています。
大竹壱青選手のお名前は、「大」きな「竹」が「一」番「青」々と伸びるようにと願いを込めて命名されたそうですよ。
因みに、大竹選手の姉もバレー選手でポジションはMB。
大竹選手も以前はMBでだったのが、石川祐希選手の提案でOPに転向したこんだとか。
そんな大竹選手のまとめ情報を綴って参りますのでお付き合いくださいね。
この記事は、当サイトの「大竹壱青の経歴と高校・大学での実力は?ファンからの人気も!」と「大竹壱青の出身地はどこ?家族構成(父・母・姉)も気になる!」を合わせ、内容を変更し、新しいタイトルを付けてお届けしています。
この記事でお伝えしていることは執筆時のものであり、現在では異なる場合がありますのであらかじめご了承の上、お読みくださいませ(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
また、情報に誤りがあった場合など、ご指摘いただけると幸いです。
>>モヤモヤしたらココナラだよね。
目次
大竹壱青のプロフィールと所属チーム歴
大竹壱青のプロフィール
生年月日:1995年12月3日
年齢:27歳(2023年7月時点)
出身地:神奈川県横浜市
身長:202cm
体重:98kg
足のサイズ:31.5cm
血液型:O
利き手:右
日本代表:2015年・2017年・2018年・2019年・2020年・2021年・2022年
所属:ソウル・ウリィカード・ウリィWON(2023年7月時点)
ポジション:OP
指高:267cm
最高到達点:345cm
大竹壱青の所属チーム歴
サレジオ中学
↓
東亜学園(2011-2014年)
↓
中央大学(2014年-2018年)
↓
パナソニックパンサーズ(2018-2023年)
↓
ソウル・ウリィカード・ウリィWON(2023年-)
大竹壱青の小3から始めたバレーボールの歩み
大竹選手がバレーボールを始めた時は、小学3年生のとき。
大竹選手の父親はバレーボールの日本代表選手で、その父親の活躍を大竹選手が幼い頃から見ていたのでした。
そんな偉大な父親のことを大竹選手は素直に「カッコいい」と思っていて、バレーを始めたそうです。
大竹選手がバレーボールを始めると、元全日本の偉大な選手だった父親と比べられることもあり、それが嫌で反発する時代もあったとか・・・。
バレーボールの強豪校「サレジオ中学校」を卒業すると、全国的なバレーボールの強豪校を言われている「東亜学園高校」に進学した大竹選手。
高2から春高バレーに出場し、3年にはチームのキャプテンとして出場しご活躍したすごい選手。
2014年に関東大学1部リーグの中央大学に進学して、東京オリンピックの強化指定選手である「Team CORE」のメンバーに選出され、
同年の冬に行われた全日本バレーボール大学選手権では、1年生の大竹選手は、中央大学の18年ぶり13度目の優勝に貢献し、その時に大竹選手にスパイク賞が与えられました。
2015年の全日本バレーボール大学男子選手権大会でも優勝して、2連覇を達成している凄い経歴の持ち主で、同年には全日本代表メンバーに初選手出されたのでした。
大竹選手は、まだ先だと思ってっていたらしく「衝撃的でした」とインタビューに答えていたそうですよ。
2016年の夏に、石川祐希選手から大竹選手のポジションの変更を提案されたんだとか。
その理由は、「(大竹選手は)オポジットのほうが将来的に輝けると思った」とのこと。
その提案を聞いた後の大竹選手は、その翌日に監督に掛け合いMBからOPに転向したんだって。
2017年のJVAを確認すると、その年のポジションはウィングスパイカー(今で言うMB)と記載されていますが、2018年になるとOPと記載されていまので、その年度から代表も認めるOPになったのだと思いました。
大学3年の時には、イタリアセリエ A2所属トゥスカーニアへ1か月間練習生として参加したり、大学4年の2017年にドイツリーグ1部フランクフルト(ユナイテッド・バレーズ・ラインマイン)からお声がけがあり、ワンシーズンの契約で同年の9月からご活躍されたようです。
この頃は、大学卒業後は、企業人として歩むことを考えていたそうですが、2017年12月にパナソニックパンサーズから入部内定が発表され、アスリートとして歩みことになったようです。
清水邦広選手の後継者がいないと言われていたパナソニックのOPでしたが、大竹選手のポジション転向でパナソニックに光が見えたのかも。
大竹壱青のアスリートの歩み
2018年4月からパナソニック・パンサーズの選手としてご活躍され、2022年のAVCカップでベストオポジット賞を受賞するなど輝かしいアスリート時代を歩んでいたようですが、2022年6月にパナソニックに入団した西山大翔選手のご活躍で出場機会が大きく減少した大竹選手でした。
2023年6月30日をもってパナソニックを退団し、ソウル・ウリィカード・ウリィWONに移籍されました。
大竹壱青の実家の家族
大竹壱青の実家の家族構成
大竹選手の実家のご家族は、父親・母親・姉とご本人の構成の4人。
大竹壱青の父親は元全日本男子代表のバレーボール選手の大竹秀之
父親の秀之さんは、元全日本男子代表のバレーボール選手で、日本人バレーボール選手およびオリンピック出場選手として歴代最長身の208㎝高さです。
日本バレーボール協会発掘育成委員会副委員長をして、NPO法人日本バレーボール・オリンピアンの会理事でもある凄い方。
208㎝って大きいな~と想像がつくけど、可視化した方がいいと思いまして、画像を探してみました。
大竹秀之さんの経歴がすごくて、1992年にオリンピックに出場しています。
その他、1990年、1994年、1998年には世界選手権、1989年、1991年、1995年、1999年にはワールドカップっと輝かしい経歴の持ち主のポジションはMBでした。
大竹秀之のプロフィール
生年月日:1967年7月16日
年齢:55歳(2023年7月11日時点)
出身地:神奈川県横浜市
最終学歴:法政大学
身長:208cm
体重:85kg
大竹秀之の略歴
法政大学4年:全日本に選出
↓
卒業後:NECブルーロケッツに入団し、Vリーグで優勝3回、ベスト6X4回と貢献
↓
1992年:バルセロナオリンピックに出場
↓
2001年:現役引退→全日本男子のコーチを務める
↓
現在:NEC(日本電気)本社のマーケティング部門担当社員
NEC公式サイト「イチ押しゼミナール」のWEB講師としても活躍中
大竹壱青の母親は大竹秀子で元栄養士で現在は講師
鮮明な画像は こちら からご覧くださいませ。
大竹秀之さんが大学生の頃に秀子さんと知り合ったそうです。
その頃の秀子さんは、病院で栄養士のお仕事をしていたそうで、当時大学生だった大竹秀之さんと出逢ったようです。
ご結婚されてからはお仕事は辞められましたが、現在は「アスリートフードマイスター3級」を取得し、「ジュニアアスリート食育講演会」の講師としてご活躍されています。
2023年の7月時点で59歳の秀子さんの身長は160㎝。
母親は毎朝4時に起きて、朝食の他に、姉と大竹選手に持たせる2食分(朝練とお昼用)をのお弁当、合計4個を作っていたそうです。
5㎏のお米が1週間でなくなるペースだったとか。
大竹壱青の姉は大竹里歩
姉の里歩さんもバレーをしていて、父親と同じポジションのMB。
2014年6月には東京オリンピックの強化指定選手に選ばれ、2015年にワールドカップに出場されるなど輝かしい活動をされていましたが、2017年5月の試合中に左膝を負傷して長期のリハビリ生活を送ることになったようです。
1年半のリハビリ生活を終え、2018年11月3日のVリーグ開幕戦で公式戦復帰し、現在もご活躍中。
大竹里歩のプロフィール
生年月日:1993年12月23日
年齢:29歳(2023年7月時点)
出身地:神奈川県横浜市
身長:182cm
体重:65kg
利き手:右
所属:久光スプリングス
日本代表:2012年・2013年・2014年・2015年・2016年
大竹里歩の所属チーム歴
山下ジュニア
↓
淑徳SC中等部
↓
下北沢成徳高等学校(2009-2012年)
↓
デンソー・エアリービーズ(2012-2021年)
↓
久光スプリングス(2021年-)
大竹壱青選手の紹介を今回はこれでお終いにしますが、追記をしていく予定でいます。
お付き合いを頂きまして、ありがとうございました。
この記事の参考元:このサイトの旧記事「大竹壱青の経歴と高校・大学での実力は?ファンからの人気も!」と「大竹壱青の出身地はどこ?家族構成(父・母・姉)も気になる!」・パンサーズ | パナソニック スポーツ・ライブドアニュース2017年6月28日・枚方経済新聞2017年12月11日・中央大学2 0 1 7.0 9.2 6 ・ web Sportiva2018.01.28・Number Web2017/12/06・ 月バレ.com2023.05.24・Yahoo!ニュース2023年5/24(水)・アスレシピ2019年2月20・ほか
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