大宅真樹の経歴

■小学校1年生からバーボールを始める
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■スパイカーからセッターに転向したのは、中学3年のJOCカップ時
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■セッターで活躍をするが、高校2年の時にリベロで試合に出場(インターハイ準優勝)
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■高校3年はセッターとして活躍し、春高・インターハイ・ユース・ジュニアと世代別で代表に選抜された。
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■大学4年時はU-23世界選手権でキャプテンとセッターを務めた
当時を振り返って「高梨健太と小野遥輝がどんなトスでも打って決めてくれたので、めちゃくちゃ助けられました」と言っていました。
ベストセッター賞を獲得
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■2018年:サントリーサンバーズに入団(登録日は2017年12月15日)
サントリーサンバーズから声がかかり、所属することになった(荻野正二監督が直接大宅の元に出向いてたとのこと)
サントリーサンバーズから声がかからないければ大宅選手は9人制のバレーボールに行こうと思っていたそうです。
荻野監督から大宅選手は「パス力がある」そうで、大宅選手の全てに惚れて抜擢をしたそうです。
荻野監督は、大宅選手の技術を大宅選手の大学時代から練習や試合で何度も見て、特に練習を見た時にこれは違うなと思った選手だったそう。
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■2018年:始めて全日本に招集されたが、アジア大会の出発前に左足を骨折したため、やむなく離脱した。
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■2019年:日本代表予選落ち
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・2019年:8月1日付けでプロに転向する
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■2020年:日本代表を獲得
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■2021年:2年連続で日本代表に選ばれる
同年4月24日:入籍したことを発表した
2020-21シーズンのサントリーサンバースのキャプテンに就任(2020年7月追記)
大宅選手の経歴をサッとお伝えしました。
大宅選手はセッターの他にスパイカーやリベロもやっていたのですね。
大宅真樹がバレーバールを始めたきっかけ

小学1年生の時。
大宅選手のお姉さんがバレーボールをしていて、幼稚園の頃からそれについて行って、お姉さんのプレーを見ていたり、一人で壁打ちをしたりして過ごしていたそうです。
家の中では、風船を代用してバレーボールの練習をしていたくらいバレーボールに興味を持っていて、小学校に入学したらすぐにバレーボールを本格的に始めました。
小学校ではレシーブに時間をかけていたこともあり、大宅選手にとってレシーブは小学校時代ベースだそうです。
因みに、セッターは高校時代がベースとのこと。
大宅真樹の挫折~心が折れた時~
大宅選手が挫折を味わったのが、大学1年の時にジュニアのアジア選手権で負けた時。
セッターをしていた自分のせいだと周りから言われ、それをまともに受けてしまいバレーボールを本当に辞めようと思い1ヶ月ちょっと地元に帰ってしまった経験があります。
その時のメンバーは、「石川祐希」・「久原翼」・「高橋健太郎」・「小野寺太志」・「大竹壱青」・「川口太一」と凄いメンバーで、サイドは石川祐希選手と久原翼選手。
ミドルは高橋健太郎選手・小野寺太志選手。
オポジットは大竹壱青選手でリベロが川口太一選手。
これだけの豪華メンバーが揃って、試合に勝てなかったのはセッターのせいだと直接言われたりもしたそう(T_T)
このことを知った時は、「うわぁ~こんなことを言われたら再起不能だわ!」と思った私でした。
ですが、大宅選手は違います。
心が折れてしうようなことが起こっても、大宅選手は復帰しました!(^^)!
それは以下でお伝えしますね。
大宅真樹がバレーボール復帰したきっかけ
高校のOB会に参加してバレーボールゲームを見ていたらソワソワして「やりたい」気持ちが湧き上がってきたそうです。
その気持ちになった頃、大学の監督(佐幸法昭)からも「帰ってこい」と連絡がありバレーボールをまた始めた大宅選手でした。
あの高校のOB会がなければ、佐幸監督から連絡がなければ、今の大宅選手がいたのでしょうかねぇ~。
バレーボール界には大宅真樹選手が必要だった!!と思います。
大宅真樹の一生忘れられない試合
全日本インカレ3回戦の余韻その11
大宅くんのプレーを現地で観たのは初めてだったけど、とても魅力的なプレーと強烈なキャプテンシー。文句なしに格好良かった!#全日本インカレ#東亜大学バレーボール部#大宅真樹#対日本体育大学戦 pic.twitter.com/7nJFBnhsgR
— ROSA (@rosahimeiroha) December 15, 2017
大学4年生の時の全日本インカレで、日体大にフルセットで負けた試合。
”負けたけど、楽しかった。
納得して終わった試合はあれしかないし、たぶんその試合が(自分の)自信になった”
とインタビューで答えていた大宅選手です。
そんな負け試合だったにもかかわらず、「こんな試合見れてよかった」・「本当に応援したくなりました」などのいろんな言葉をかけてもらったお陰もあり、負けたけど忘れられない試合で、この試合の経験から「本番でで完璧にできる人はそうそういないと思うし、その中でもがき苦しんでやっていくのがスポーツ」だと思う様になったそうです。
その試合を経験した後に、心の変化が起こり「たたかれても、何を言われても気にしなくなった」大宅選手でした。
大宅真樹のケガ
2018年のアジア競技大会直前にケガをしてしまいました。
「足を怪我してしまい、アジア大会に出れなくなりました。非常に悔しいですが、このチームの一員として日本から応援しています!」
2018年8月12日のツイートでこのようなメッセージを・・・。
日本代表にも選出されたのに・・・本当に悔しかったと思います。
大宅真樹は2019年にプロに転向/年棒は?
【報告】
この度8月1日よりプロ選手として活動することになりました。
より一層バレーボールに向き合い、人間性を磨き、精進して参ります。ここに至るまで相談に乗ってくれた家族、恩師の気持ちに応えられるように日々成長していきます。
これからも変わらぬご声援よろしくお願いします。 pic.twitter.com/HSQ6f7RieG
— 大宅 真樹 (@mamama_kn) August 1, 2019
2019年8月1日付けでプロに転向した大宅選手。(サントリーサンバーズは、2006年より日本人プロ契約制度を導入しています。)
プロになったバレーボール選手の年棒は、トップクラスの選手で年収1億円からで最低は1000万円程度だそうです。
大宅選手が何年契約をしているのかまでは、現時点では公表されていませんでした。
分かり次第こちらで追記をする予定でいます。
※「大宅真樹の経歴」は2018年の雑誌バレーボールNEXTを一部参考にしています。

次のページから以下は、大宅真樹選手の魅力や・行きつけの店・愛用品・ご結婚などをお伝えしています♫
全日本インカレで「日大」に敗れたとありますが、「日体大」ですね?
修正お願いいたします。
こんにちは!
ご教示頂きまして、ありがとうございます。
修正いたしました♪